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『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』

・「決定障害」。はじめてこの言葉を聞いたとき、私はおもしろい言葉だと思った。

・差別しているつもりがないのに、マイノリティが差別されているとして、その是正を求める政策は、マジョリティにとっては理不尽で不当なあつかいを受けているように感じられる。

・好意を見せ続けたら、相手はつけ上がる。

・善意で与えていたのに、彼らはそれを権利だと思っているようだ。それで彼は支援をやめることにした。

・だれもが平等な社会であれば、みんなの生活は楽になるだろうか。答えだけを見ようとせず、まず質問そのものが正しいかを考えてみよう。

・プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシアの哲学者たちは、人は他人の弱さ、不幸、欠点、不器用さを見ると喜ぶと述べた。このような観点を優越理論(Superiority theory)という。

・トマス・ホッブズは、人は他人と比べて自分のほうが優れているとと思うとき、プライドが高まり、気分がよくなって笑うようになると説明する。

・優越理論によれば、自分の立ち位置によって、同じシーンでもおもしろいときと、そうでないときがある。そのシーンから自分の優越性を感じると際にはおもしろいけれど、逆に自分がけなされたと感じればおもしろくない。

・「なぜおもしろいのか?」という質問は、「笑っているのは誰か?」という質問に置き換えられる。黒人の扮装を見て笑う人は、自分をどんな集団と同一視する人なのか。笑わない人たちは、どんな位置にいる人たちなのか?

・ユーモア、いたずら、冗談という名のもとに、他人を侮蔑することで人を笑わせようとするとき、「だれか」が揶揄され、蔑視される。そして、その「だれか」の役割を担うのは、「からかってもいい」とされる特定の人々で、彼らだけに同じようなことが集中して繰り返される。

・私たちは、誰を踏みにじって笑っているのかと、真剣に問いかけるべきだ。

・人々はよく、「だれかを嫌う自由もある」と言う。文在寅大統領も、大統領候補時代にテレビ討論会でこのように言った。「私は、同性愛者が好きではないです」

・しかし、権力を持った人が使う「嫌い」の表現は違う。社長が社員に向かって嫌いと言うとき、教師が学生を嫌いと言うとき、これらは単なる個人の好みの問題ではなく、まさに権力そのものである。

・ハンナ・アーレントの言葉を借りれば、奴隷はその労働力の必要性によって「人間存在の枠の中にとにかく組み入れられた」が、人間としての権利を失い「人類から追放」されたのだ。

・誰にでも表現の自由があると言われる。しかし、実際にマジョリティとマイノリティの自由は同じではない。

・無知のためにしてしまった差別について「そんなつもりはなかった」「知らなかった」「あなたが敏感すぎるだけ」と言い訳するよりは、きちんと理解する努力をするべきだったのに考えがおよばなかったことを、省察するきっかけにすることを提案する。

・私は幼いころ、新学年になると、友達をつくりたくて、もっと正確には、友達がいるという安心感を得たくて、クラスの何人かでグループをつくろうと懸命に努力していた。数十年経った現在でも、当時の私のような不安を浮かべた学生たちを大学のキャンパスでよく見かける。



差別はたいてい悪意のない人がする

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  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 2021/08/26
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