『僕の人生には事件が起きない』
・皆が注目していないその芸人を応援することで、友達には「え!? あんなのの何がいいの!?」と言われることこそを、人と感性が違う自分として、自分の中の唯一性を保っている感じだ。
・そう、僕は何でも、すぐにある程度それらしくできてしまうのだ。それ故に「もうある程度わかった」と、それ以上突き詰めないで飽きてしまうことが多い。
・”忘れる”の本質は忘れること自体にあるのではない。確認を怠ってしまうことにある。
・現代アートは大喜利に似ている。キャンバスに絵を描くとしても、絵の具でどんな絵を描くかというのも重要だが、まずキャンバスをどう使うかを考える。バラバラに解体してもいいし、燃やしてもいい、そのまま何も描かずに飾ってもいい。言わばキャンバスを使った大喜利だ。
・”そんなにみんな野球が好きなわけではない”。僕は好きなものの話をする時は、これを思い出しながら話すことにしている。
・「国民的スポーツ」という言葉がある。しかし実際はというと、スポーツ観戦をしている国民の方が今はマイノリティではないか。
・30歳を過ぎたくらいで、人を集めて同窓会をやろうと思う訳は大体想像がつく。同級生に自分の現状を聞かれて、答えたいのだ。自慢したいのだ。
・学生時代の楽しさのピークを更新できていない。
・いざテレビに出だすと応援しているなどと言い出す。ずっと応援していた人がテレビに出始めたわけではなく、テレビに出たから応援しているのだ。
・誰がやってもいい仕事をやって結果を出しても僕は満足感を得ることができない。
・そう、僕は何でも、すぐにある程度それらしくできてしまうのだ。それ故に「もうある程度わかった」と、それ以上突き詰めないで飽きてしまうことが多い。
・”忘れる”の本質は忘れること自体にあるのではない。確認を怠ってしまうことにある。
・現代アートは大喜利に似ている。キャンバスに絵を描くとしても、絵の具でどんな絵を描くかというのも重要だが、まずキャンバスをどう使うかを考える。バラバラに解体してもいいし、燃やしてもいい、そのまま何も描かずに飾ってもいい。言わばキャンバスを使った大喜利だ。
・”そんなにみんな野球が好きなわけではない”。僕は好きなものの話をする時は、これを思い出しながら話すことにしている。
・「国民的スポーツ」という言葉がある。しかし実際はというと、スポーツ観戦をしている国民の方が今はマイノリティではないか。
・30歳を過ぎたくらいで、人を集めて同窓会をやろうと思う訳は大体想像がつく。同級生に自分の現状を聞かれて、答えたいのだ。自慢したいのだ。
・学生時代の楽しさのピークを更新できていない。
・いざテレビに出だすと応援しているなどと言い出す。ずっと応援していた人がテレビに出始めたわけではなく、テレビに出たから応援しているのだ。
・誰がやってもいい仕事をやって結果を出しても僕は満足感を得ることができない。
タグ:岩井勇気