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『環境リスク学 不安の海の羅針盤』 [☆☆]

・工場が自分の排水を自己責任で処理すべきというのは、今では誰でも当然と考えるでしょう。ところが当時は、共産党から自民党まで全政党と市民運動も、企業に任せてもだめだから自治体や国が責任をもつほうがいいと考えていたのです。公害追及の第一線で企業と闘っている人も、自治体が処理したほうがいいと言っていました。

・ダイオキシンは、多塩素化ジベンゾジオキシンと多塩素化ジベンゾフランを指していますが、塩素の数や位置が違うものが、塩素数4以上にかぎっても、136もあります。この136のうち17種が有害で、他は無害とされています。

・思想論争ではどちらが正しいという決着をつけられないものだということを肌で感じました。父の主張が正しいのだろうが、相手の言うことにも理があるなというような感じ方でした。

・日本では、レントゲン(X線撮影)によるリスクが高いという結果が新聞に載っていました。この調査によれば、年間の全がん発症者の3.2%が検査被曝によるものだとなっている。やたらと撮りすぎていることは確かです。ことに歯医者さんは必要のないに相当撮っている。

・職業とリスクとの関係をみると、米国はリスクが高いと給料が高いのに、日本はこの傾向がはっきりでません。むしろ逆なことが多いかもしれません。危険な仕事の給料がかえって低いのです。

・カネミ油症は、食用油の中にPCBが混入してしまったために起きたのですが、重大な症状は、PCBそのものではなく不純物として含まれていたダイオキシンであると考えられているのです。

・リスクとは、「どうしても避けたいこと」が起きる確率です。ここで、「どうしても避けたいこと」を専門用語で、エンドポイントと言う。

・米国はどこかの学部を出てからロースクールに進から、理科をやって弁護士になったり、あるいは経済学を勉強して法律をやったりと視野を広げています。いきなり法律を学ぶことはできないシステムです。

・日本の法律では、因果関係をはっきりさせ、ある人が病気になったら補償しなければならないとしているので、その人がどんなにメチル水銀を摂取していても一定の基準を満たす病気になっていなければ補償はない。このため、病気か病気でないかを延々と争うのです。

・リスク評価という考え方からすれば、一握りのとてもひどい人がいれば、そうでない人が延々といるのです。しかし、どこで切ってどこまで補償するかという議論ばかりしているから、延々と裁判が続いてしまう。

・全頭検査でBSEの牛がどんなに少ないかということがわかって、そのためBSEのリスク削減に対して全頭検査そのものがほとんど意味のないことがわかったからです。それでもまだ続けています。

・補償を要求するときに「この病気はこれほど悲惨です。だから補償すべきだ」と言います。一方で、そう言われると、当事者の患者には反発する気持ちも出てきます。「そんなことを言われたら結婚できなくなる」「就職先がなくなってしまう」「そんなにひどくありません」ということも随分耳にしました。だから、患者が主体の運動はそれほど先鋭になりません。ところが支援者だけだと、こんなに悲惨な病気だという面だけが強く出てきます。

・ダイオキシンに関する議論で一番の問題は、「ハザード」と「リスク」の区別がないことである。たとえばある物質の1グラムのもつ毒性が他の物質の1グラムの毒性に比べて大きければ、その物質はハザードである。ダイオキシンは間違いなくハザードである。しかし、人の健康への危険度、つまりリスクはその物質の毒性と摂取量とで決まるから、強いハザードでも摂取量が小さければリスクは小さくなる。人間にとって大切な指標は、ハザードとしての特性ではなく、リスクの大きさとその特性である。

・日本の場合には、ダイオキシン摂取量が減少する原因がありそうだ。それはわれわれの食品の輸入依存率が上がっていることによる。食べ物の大半を外国や遠洋に依存していれば、日本のダイオキシン汚染と関係なくなるのは当たり前である。

・多くの識者やテレビや、新聞、雑誌で、「疑わしきは罰する」でなければいけない、だから、疑わしいものは使うのをやめるべきだという主張を展開した。それは、これこそが公害病や薬害の愚を繰り返さないための「予防原則」だと主張した。

・ダイオキシン特別措置法が制定され、根拠がはっきりしないまま、焼却炉排ガスの厳しい規制がはじまり、ごみ焼却の広域化、RDF(ごみ固形燃料)発電への誘導が、規制と財政という国家権力を使って行われた。

・しばしば言われる予防原則が、本当に水俣病などの公害病から学んだことだろうかということにも疑問を抱く。結果論ですべてを考えているような気がしてならない。水銀が原因だとされる前に、熊本大学研究班は、原因物質として、最初にマンガン、つぎにセレン、タリウムを挙げ、その都度膨大な研究論文を出した。この時点で、「予防原則」にしたがって、マンガンを禁止すべきだったのだろうか? この時点で、マンガンを禁止しなかったことは正しかったわけである。もし、マンガンを禁止していたら、水銀の規制措置は、現実よりさらに遅れていたのではないかと思う。

・チッソ以外の汚染源がみつからないような状態で、チッソの工場内の調査ができないというのもおかしい。必ずしも原因物質を特定しなくても、排出源はわかった筈だ。実は、こういうことをやる体制(法的な整備)は今もないのである。

・定年延長は、教官たちにとって都合がいいだろう。都合がいいことを、自分たちで決めてはいけない。このことについて、外部の委員会に託そうと、誰も言い出さなかったのだろうか? これが、大学自治の象徴のように思えて悲しい。

・ラドンは地中に含まれているが、通常の大気中の濃度はそれほど高くない。つまり、そのリスクはそれほど大きくはない。土を掘ったり、地下室を作ると問題が出てくる。一番大きなリスク源は地下室の空気である。地下室から他の部屋にも流れていく。

・疫学調査の結果から、心臓血管症の病気のリスクが騒音で増加し、しかも、大気汚染物質による発がんリスクより、騒音によるリスクの方が大きいという。

・リスク問題はすべて科学技術の中で、その一部として常に対処しなければならない問題である。もちろん、車はなぜ許されるの? 携帯はなぜいいの? ユビキタスコンピューティングなんて、いいの? という問題はある。しかし、市民はずるいから、これらの商品の魅力が大きいために、リスクには今は言及していない、考えないことにしているだけであって、もう少し落ち着けば、問題は過去の分まで含めて出てくるのである。

・塩ビなどは昭和30年代に、リスクが問題にならず、どうしてあんなに売れたの? ということを考えた方がいい。今、そのつけが回ってきているのである。



環境リスク学―不安の海の羅針盤

環境リスク学―不安の海の羅針盤

  • 作者: 中西 準子
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 単行本



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