SSブログ

『戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』 [☆☆]

・冷戦の時代には、アメリカをはじめとする西側の論理からすれば、ソ連が敵である、とはっきりしていた。だが、冷戦後の世界で起こるさまざまな問題や紛争では、当事者がどのような人たちで、悪いのがどちらなのか、よくわからないことが多い。誘導の仕方次第で、国際世論はどちらの側にも傾く可能性がある。そのために、世論の支持を敵側に渡さず、味方にひきつける優れたPR戦略がきわめて重要になっているのだ。

・議会は国民の世論が賛成しない政策には予算をつけません。そして、アメリカ国民に声を届かせるには、なにをおいてもメディアを通して訴えることなんです。

・「泣かない赤ちゃんは、ミルクをもらえない」 国際社会に振り返ってもらうには、大きな声を出さなければならない。

・人によっては、話す言葉のセンテンスが長く、区切れがないため、短く編集することが難しい場合がある。こうした人のコメントはテレビのニュースとして使いにくいため、おのずとテレビ局に嫌われ、ニュースに登場する機会も減る。

・PRのプロから見れば、目前の記者に不満をぶつけるのは賢明な方法ではなかった。ここにいるのは足を運んでくれている記者たちなのだ。むしろ感謝しなくてはならない。

・つまるところ大切なのは票につながるような話題だった。

・日本語でニュースを流す日本のメディアは、国際世論への影響力という意味では眼中になかったのだろう。

・情報の「ウラ」をとる取材のために記者が動けば、それだけで大きな成果だった。数少ない現地の記者の貴重な時間とエネルギーを、クライアントを有利にするために使わせることができるのだ。その分、セルビア人の言い分を聞くためにさく時間と労力が減ることになる。

・ワシントンは三角形でできています。その三つの頂点にあるのは、大統領に率いられる政権、連邦議会、そしてメディアです。この中にある一つを動かしたければ、他の二つを動かせばいいのです。たとえば政権を動かすには、議会とメディアを動かせ、というわけです。

・サラエボはモスレム人の拠点である。そこで見聞きする情報の大半が、加害者はセルビア人で被害者はモスレム人である、というストーリーになるのも当然だった。

・もし、キャスターの質問に、常に当意即妙で答えてしまえば、私はとてつもなく頭がいい、いや頭がよすぎる人間であるか、さもなければ事前に答えを用意していたのだ、という印象を与えることになります。それでは、私が普通の感覚を持った視聴者と同じ生身の人間、というイメージから遠くなってしまい、効果は半減してしまいます。

・人間の「慣れ」とは残酷である。攻撃の映像がより多く放送されるようになれば、遠からず人々は慣れ、飽きてしまう。そして、他の場所で起きるもっと「新鮮な」紛争の話題に世論はすぐに関心を移してしまうだろう。

・実利に徹していた。必要な人材なら、金で雇われていようが他国籍だろうが、使えばよいという考えだった。

・国際的な首脳会談で意外にありがちなのは、友好的ないい雰囲気で話が進んではいても、じつは単なる世間話をしているだけで、あっという間に予定の時間が終わってしまうというケースです。

・「loaded」とは、銃に弾丸が「装填された」という意味である。そこから「言外に含みを持つ」という意味も派生する。

・スピルバーグが、富も名声も得た後に『シンドラーのリスト』でアカデミー賞を獲りにいった時、選んだテーマが強制収容所だった。スピルバーグは、審査員の心の最も深いところを突くテーマがこれだ、と知っていたのだ。

・ある一つのテーマが最初にスクープの形でもたらされた場合、それが大きな波となって広がるかどうかは「主流」とされる他のメディアがこぞって後追いをするかどうかで決まることが多い。

・「ラジオアクティブ」とは、放射能力を持っているという意味である。セルビア人は、彼らに触れたり、近づいたりしたものまでも汚染し、世間の悪評の対象にしてしまう存在になっていた。

・薄いドアやガラスが銃弾に対し無力なことは一目瞭然だ。だが、ABCのスタッフの頭の中には、銃弾への恐怖ではなく、映像を撮りのがすことへの恐怖しかなかった。

・西側のメディアは何かあると、全部セルビア人のせいにしました。彼らは「悪者」を作るのが好きなのです。そしていったん「悪者」ができると、その「悪業」を、ろくな検証もせずに書きたてて、ニュースとして報道するのです。民主主義の原則である「推定無罪」はセルビア人にはいっさい適用されませんでした。

・日本と同様に安全保障をアメリカに依存するカナダの軍隊は、国連での活動を重視している。

・たとえば、敵を攻撃するとき、迫撃砲をわざと病院の脇に設置するのです。こちらが撃てば当然敵が反撃してきて、味方の迫撃砲陣地を狙った砲弾がとなりにある病院の小児科病棟にも落ちます。それがサラエボにたくさんいた記者たちの手で報道されて世界の母親たちが同情する、というわけですよ。国際世論をひきつけるために、自分の国民を犠牲にするやり方ですよ。

・憎悪と不信が渦巻く紛争地帯において、「中立」であろうとするのは危険なことだ。「われわれの味方でなければお前は敵だ」というのが、ボスニア・ヘルツェゴビナで戦うすべての者たちのメンタリティだった。その中で「中立」を保とうとする国連平和維持部隊は、双方から敵とみなされる。

・現在のセルビア共和国政府は、ミロシェビッチ大統領を国際社会に差し出し罪を負わせることで、問題はセルビア人全体にあるのではない、とアピールしているのだ。

・日米首脳会談などがあると、両首脳は相手をファーストネームで呼び合う関係になった、と宣伝されることがよくある。だが、問題はファーストネームで呼び合うことではなく、そこから先、冗談もまじえた丁々発止の会話が成り立つ関係になるかどうかだ。

・優れた「素材」が近くにある、ということを見逃さず、それを即座に料理して最大の効果をあげるように持ってゆくのがプロの技術なのだ。

・ミロシェビッチは、セルビア人がCNNなど見ないことを知っていたのです。ミロシェビッチの関心の的は、自分がセルビア政界で権力を保持できるかどうか、という一点だけでした。そのためには、西側記者にサービスする必要はなかったのです。

・どんな人間であっても、その人の評判を落とすのは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。たとえ事実でなくとも、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね。

・紛争に介入するPR企業は「情報の死の商人」ということもできるだろう。

・問題が起きるたびに後手に回るスピードの遅さ、すぐばれる嘘をついて自らイメージを悪化させる隠蔽体質、されには見え透いた情報リークで気に入らない者を窮地に陥れる幼稚なやり方など、およそPR戦略というものが存在しない。



ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争

ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争

  • 作者: 高木 徹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 単行本



タグ:高木徹
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

トラックバック 0