『不便から生まれるデザイン』 [☆☆]
・「より便利なもの」が「生活を豊かにするもの」として無批判に追い求められ、なくても済んでいたものをなくても困るものにし、それが各種方面の技術進歩をもたらし、人類はその恩恵を受けてきた。
・私は鉛筆をナイフで削って使う。あるとき、削っている途中にふと左手が捻じれてしまい、図らずもドリル状に削れることを発見した。
・ポーランドから来日している知人に、10年以上住んでいるのに日本語を話さない人がいる。日本はとても便利な国で、生活していくうえで会話をする必要がまったくないそうだ。
・オートマ(AT)はマニュアルトランスミッション(MT)と比べると、運転に必要なスキルを低減させ、認知リソースの消費が少なくて済むという意味で便利である。
・リモコンでドアを閉めたのだが、やはり気になって、ドアノブに手をかけてガチャガチャとロックを確認したとのことである。機械系の彼には、ロックとハザードランプ点滅との関係を信じ切ることができなかった。そこには物理的な因果関係は存在しない。デザイナがそのように(恣意的に)つくり込んだだけである。
・炭坑に沸いた当時の住民の多くは、外から移ってきた人たちである。そのため、炭坑閉鎖で仕事がなくなってもこの地に固執する圧は小さい。
・高速道路が開通してから白川郷の平日宿泊客が減少していると言われる。「行きやすい」から日帰りで行ける所になってしまったとのことである。あえて行く所とちょっと寄り道で行ける所ではありがたみが違う。
・時間をかけずにお金をかけたのでは、ご馳走ではなく単なる「豪華な食事」でしかない。
・カスタマイズではなくパーソナライズというのは、デザイナのつくり込んだ選択肢の組み合わせの範疇ではなく、ユーザと道具とのインタラクションの結果として生起することのようである。
・ただ汚れれば良いのではない。道具とユーザとのインタラクションの結果として「奇麗に汚れる」。
・エネルギーやお金を使って通勤時間短縮のために電車やバスを使っているのに、運動不足解消のために仕事が終わるとジムに通って時間とお金を使うのは合理的ではない。
・自分なりの工夫で対応できていることに「さあ、こんなに簡単にできる装置を開発しましたよ」と便利を押し付けるのは、使用者が工夫も習熟もできない人だと思い込んでいる、不遜な態度を感じる。
・リスクホメオスタシス説(安全だと感じるとリスキーに、危険だと感じるとセーフティーに人は行動するという説)を仮定すれば、安全装置は安心感を運転者に与え、安全技術が発達して交通事故による死者数は減少しているが逆に交通事故発生数は増加を続けている現象にも説明がつく。
・いったん便利なことを体験するまでは現状が不便だと気付かないだけかも知れないが、個別の身体能力に応じた工夫によって不便ではなくしていた状態に対して、「小さな親切」の投入はその能動的工夫の余地を奪う「大きなお世話」になる。
・便利な時代になりすぎて、なにも考えずに、なんでもできてしまうという時代になってきています。
・高気密・高断熱という方式で省エネをするとエコ住宅となりエコポイントがもらえる。本来、関係性の学問であるエコロジーの名を冠したエコ運動であるが、自然と断絶したほうがエコであるというのは、矛盾しているのではないか。
・自分でメンテできることに価値を見いだす文化がうらやましい。
・物を粗末にすると心も荒むとは昔から言われていることでもある。
・大量消費には人が密集する必要がある。さもなければ販売のための輸送コストがかさむ。
・危機管理の分野では、集団行動のマネージメントにおいて「すべての事象が想定可能であるという(現実的には不可能な)仮定のもとに完全マニュアル化する」という従来方式の危険性が指摘されている。
・ある程度の経験者集団には、直接の行動指示よりも目的・あるいはより抽象化したテーマだけを与えることによって、メンバの個性を反映した役割分担が創発し、マニュアルを完璧にこなす訓練が施されたチームと同等の業績をあげ、さらには想定外事象への対処能力の勝る集団が形成されることが報告されている。
・「いつでも、どこでも、だれとでも」から「いまだけ、ここだけ、ぼくらだけ」へ。
・鉄道の乗換えも数分をケチって走ることはなくなった。実は数分をケチらねばならぬ状況など、私の生活にはそんなに多くはなかったようだ。
・「あ、それ便利」ならなんでも受入れ、「あ、それ不便」ならなんでも拒絶していると、便利の害に会い、不便の益を知らずに過ごすことになる。
・私は鉛筆をナイフで削って使う。あるとき、削っている途中にふと左手が捻じれてしまい、図らずもドリル状に削れることを発見した。
・ポーランドから来日している知人に、10年以上住んでいるのに日本語を話さない人がいる。日本はとても便利な国で、生活していくうえで会話をする必要がまったくないそうだ。
・オートマ(AT)はマニュアルトランスミッション(MT)と比べると、運転に必要なスキルを低減させ、認知リソースの消費が少なくて済むという意味で便利である。
・リモコンでドアを閉めたのだが、やはり気になって、ドアノブに手をかけてガチャガチャとロックを確認したとのことである。機械系の彼には、ロックとハザードランプ点滅との関係を信じ切ることができなかった。そこには物理的な因果関係は存在しない。デザイナがそのように(恣意的に)つくり込んだだけである。
・炭坑に沸いた当時の住民の多くは、外から移ってきた人たちである。そのため、炭坑閉鎖で仕事がなくなってもこの地に固執する圧は小さい。
・高速道路が開通してから白川郷の平日宿泊客が減少していると言われる。「行きやすい」から日帰りで行ける所になってしまったとのことである。あえて行く所とちょっと寄り道で行ける所ではありがたみが違う。
・時間をかけずにお金をかけたのでは、ご馳走ではなく単なる「豪華な食事」でしかない。
・カスタマイズではなくパーソナライズというのは、デザイナのつくり込んだ選択肢の組み合わせの範疇ではなく、ユーザと道具とのインタラクションの結果として生起することのようである。
・ただ汚れれば良いのではない。道具とユーザとのインタラクションの結果として「奇麗に汚れる」。
・エネルギーやお金を使って通勤時間短縮のために電車やバスを使っているのに、運動不足解消のために仕事が終わるとジムに通って時間とお金を使うのは合理的ではない。
・自分なりの工夫で対応できていることに「さあ、こんなに簡単にできる装置を開発しましたよ」と便利を押し付けるのは、使用者が工夫も習熟もできない人だと思い込んでいる、不遜な態度を感じる。
・リスクホメオスタシス説(安全だと感じるとリスキーに、危険だと感じるとセーフティーに人は行動するという説)を仮定すれば、安全装置は安心感を運転者に与え、安全技術が発達して交通事故による死者数は減少しているが逆に交通事故発生数は増加を続けている現象にも説明がつく。
・いったん便利なことを体験するまでは現状が不便だと気付かないだけかも知れないが、個別の身体能力に応じた工夫によって不便ではなくしていた状態に対して、「小さな親切」の投入はその能動的工夫の余地を奪う「大きなお世話」になる。
・便利な時代になりすぎて、なにも考えずに、なんでもできてしまうという時代になってきています。
・高気密・高断熱という方式で省エネをするとエコ住宅となりエコポイントがもらえる。本来、関係性の学問であるエコロジーの名を冠したエコ運動であるが、自然と断絶したほうがエコであるというのは、矛盾しているのではないか。
・自分でメンテできることに価値を見いだす文化がうらやましい。
・物を粗末にすると心も荒むとは昔から言われていることでもある。
・大量消費には人が密集する必要がある。さもなければ販売のための輸送コストがかさむ。
・危機管理の分野では、集団行動のマネージメントにおいて「すべての事象が想定可能であるという(現実的には不可能な)仮定のもとに完全マニュアル化する」という従来方式の危険性が指摘されている。
・ある程度の経験者集団には、直接の行動指示よりも目的・あるいはより抽象化したテーマだけを与えることによって、メンバの個性を反映した役割分担が創発し、マニュアルを完璧にこなす訓練が施されたチームと同等の業績をあげ、さらには想定外事象への対処能力の勝る集団が形成されることが報告されている。
・「いつでも、どこでも、だれとでも」から「いまだけ、ここだけ、ぼくらだけ」へ。
・鉄道の乗換えも数分をケチって走ることはなくなった。実は数分をケチらねばならぬ状況など、私の生活にはそんなに多くはなかったようだ。
・「あ、それ便利」ならなんでも受入れ、「あ、それ不便」ならなんでも拒絶していると、便利の害に会い、不便の益を知らずに過ごすことになる。
不便から生まれるデザイン: 工学に活かす常識を超えた発想 (DOJIN選書)
- 作者: 川上 浩司
- 出版社/メーカー: 化学同人
- 発売日: 2011/09/30
- メディア: 単行本
タグ:川上浩司