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『ヒトは狩人だった』 [☆☆]

・人生も半ばを過ぎるころ、人は「いったい自分がどこからきたのか?」「自分はそもそも何ものであるのか」をもう一度問い直したくなるものであるらしい。それは、青年期のアイデンティティの問いのように「いったい自分が何者になるのか?」というのとは少し違う。むしろ「そもそも自分は何者であったのか?」という、自己の由来や過去を問うものである。

・ヒトは狩人としての生活を始め、それは数十万年続くことになった。狩人としての適性をもった「攻撃的な」血統は繁栄し、非攻撃的で平和な遺伝子プログラムをもつ血統はしだいに少数者となっていった。

・氏は、精神分裂病が遺伝的に規定される病気であるにもかかわらず、その有病率が今日でも他の遺伝病とは桁外れに多いことに着目し、周囲の微細な変化に敏感に反応しうる彼らこそが数千年前までは環境に適応した人々だったからに他ならない、と指摘している。

・現代人は狩猟時代にヒトに比較して著しく非攻撃的になったばかりでなく、覚醒度も低下し、著しく鈍感に、弛緩した存在になってきたともいえる。

・狩猟時代、ヒトは今の人間のようには深く長く持続しては眠らなかった。眠っている間には、周囲に何が起こっているか分からないからであり、その変化は致命的なものである可能性が高いからである。

・火を獲得し、安全な住居や集落を獲得して以来、ヒトはしだいに長く、しだいに深く、前後を忘れて眠りこけるようになった。

・ヒトは直立歩行するようになり、自由になった手を使って道具を使ったり作ったりできるようになる。かくて、ヒトはハイエナの隙を見てその上前をかすめたり、その食い残りから刃物を使ってさらに肉片を切り出すことができるようになる。こうしてヒトは、肉食動物の仲間入りをする栄誉を担うことになる。

・万引きは、いちおう財産犯罪であるから、私有財産制の起源である農耕牧畜の時代への先祖返りのようにも考えられるが、われわれの祖先はハイエナなどとの関係においてすでに十分に敏捷・狡猾な略奪者・盗人であったとも考えられる。

・飛び道具の創造こそは、人間と動物とを分ける重要な要因の一つであった。ヒトは、数ある動物の中で飛び道具を使うことを覚えた、唯一の、畏怖すべき存在となった。

・トカゲなどの脳の機能は、もっぱら前にやったこと、先祖のやったことをその記憶にしたがって繰り返すという「反復」、「常同」行動(ステロタイプ)にある。

・この爬虫類の脳が、他の脳の機能を押し退けて優位に立つヒトもいないわけではない。同じことを繰り返してやらないと気が済まない強迫神経症者がそうだし、迷信的・儀式的な習慣を持っていて、それにこだわる人もいる。病気でなくても「昔からの決まりを守ること」に格別の情熱を持って固執する人もいるし、伝統的な習慣を変えることに激しい不満と不安を抱く頑固で保守的な人々もいる。

・単調で苛酷な農耕労働や、退屈な毎日の繰り返しをそれほど苦痛とも感じずに生き続けるには、感受性は鈍感になった方が楽だった。百姓風の無神経と鈍感さが、狂気に陥らないための知恵であった。

・現代のような変貌の著しい情報化社会になると、執着気質の人が失調を起こしてうつ病などになりやすくなる。気質、性格は、時代時代によってそれぞれ向き不向きがあるのである。

・学者たちの野心をいつもはばむつまずきの石は、彼らの研究対象の知能の低さではなく、動物たちの「好奇心」の欠如である。動物たちは、彼らの研究者ほどの好奇心や想像力をもたない。向上心がないといってもよい。

・好奇心がある程度必要なのは農耕段階でも変わらないが、人類史のこの段階では、一定の場所に定住し、毎年同じ仕事を繰り返すステレオパターンが主流になる。そこで、以前ほど強烈な好奇心は、あまり必要としなくなったはずである。好奇心は、しだいに鈍磨していった。

・子供は、ファミコンやパソコン・ゲームに熱中し、大人は大量の雑誌・新聞などを飽きることなく消費し続けている。これは、ある程度以上の知的探求心を満足させることが、それ自体で「快」の体験であるからに他ならない。

・一見他愛がないように見える万引きですら、行動パターンの系統発生からいえば、かつてハイエナの上前をかすめ取っていた腐肉食の時代の記憶が蘇って来る可能性もある。

・ヒトがかつては狩人だったとしても、ヒトの狩人家業は狼や猫ほどプロなみではなかったと思われる節がある。獲物を捕る時の動物の行動は、冷静沈着、かつ敏速・効率的であるように見える。ところが、ヒトの攻撃行動ではおおむねおおげさな交感神経の興奮と感情の高揚をともなっていて、狩猟行動と情動興奮との分化が十分でないように見えるからである。

・「まともな人たち」がみるテレビ番組でも、刑事もの、時代もの、戦争もの、犯罪ものなどの形で日夜大量の殺人事件が創造され消費されている。ゾクゾクしながら、皮膚に鳥肌を立てながら、心臓をドキドキさせながら、人々は犯罪や殺人、死体や血を鑑賞する。

・大量殺人事件や有名重大事件などの犯人の血液を検査すると、血中尿酸レベルが高いことがかなり多い。血中「尿酸」値が高い人は「攻撃性」が高いのである。

・「痛風」患者が、たいてい特有の性格をもっていることが明らかになってきた。それは、心理学的にいうと、「みずから積極的にテーマを選び、行動力に富み、試練や抗争を好み、指導性があって、成功への渇望が大である」という性格である。

・ある企業経営者は、コルヒチンの投与を受けて痛風の激しい痛みからは解放されたが、昔のような野心やエネルギーを失って、ただのぼんくら社長になってしまった。

・自分たちが長い間餌を与え、世話をし、生活をともにしたものを、最後には殺して解体して食うことに感情的な抵抗が生じないわけはない。このあたりから、人間の感情に複雑な屈折が生じてきた。意識すべきものを抑圧したり分裂したりして知らん顔をする不誠実さも、ヒトが生き延びるためには必要な資質となった。

・人が単なる狩猟者であることをやめ、家畜を飼ってはこれを殺して生き延びる存在となった段階で、つまり隣人を食う存在となった段階で、人類は不気味な「同胞殺戮者」となりうべく運命づけられたともいえる。

・狩猟段階で捕獲して殺害し、解体して食用に供していた動物は、それまでまったく関係のなかった生き物であり、いわば赤の他人であった。しかし、家畜はそれまで一緒に暮らしていた仲間であり、擬人化していえば「隣人」であった。

・牧畜段階になって、自分の家族同様の動物を殺して食うようになった報いとして、ヒトは他の人間に対しても気が許せなくなってきた。被害妄想的になる理由が生じたのである。

・ヒトは家畜をしつけ、調教し、教育し、自分の思うままの存在に仕立てあげることを覚えた。家畜とともに暮らし始めて、ヒトは相手を操作し、支配し、改変するというサディズムを身につけたのである。

・これらの「総括」を検討していくと、有能な革命戦士を作るという初めにあった目標が途中ではほとんど忘れさられ、相手を「変える」ことばかりに関心が向けられているように思われる。つまりここからは、人間というものが相手を変えたり教育したりすることに我を忘れ、利害を忘れるほどに熱中する生き物だという観察が得られる。

・食ったり食われたりする動物の間で、肉食を罪や悪とする観念はあるまい。ヒトだけがこの問題に悩むのは、ヒトが自己意識や操作的な思考ができるからということにもよるが、もっと本質的な理由は、ヒトが本来は肉食者・狩猟者でなかったのに、道具や言語を獲得して新参の狩猟者に「なった」というところにある。もともとの本性になかった肉食が、狩猟段階で新しく加わったために、この行動に対する懐疑と罪悪感を抱く人が絶えないわけである。

・歴史的にも、現在の発展途上国を見ても、人々は食うに困らなければ都市に集まりたがる傾向があり、先進国でも発展途上国でも、都市圏への人口の集中がみられる。



ヒトは狩人だった

ヒトは狩人だった

  • 作者: 福島 章
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 1996/03
  • メディア: 単行本



タグ:福島章
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