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『黒猫の遊歩あるいは美学講義』 [☆☆]

・大学という世界はどこよりも閉鎖的で、旧社会の構図をいつまでも引き摺っている。女が成功するためには男の何倍も努力しなければならない。

・物語を怪物にたとえるなら、タイトルはそれを閉じ込める檻のようなもの。

・昼と夜の対立は安易に光と闇の対立に置き換えられやすいが、昼にも影はあるし、夜にも光はある。

・自分の行為について解釈されることを望んでいたかもしれません。犯罪者が探偵の存在を必要とするように。

・こちらの考えを否定することなく、さりげなくべつの見方を教える。

・やはり、わかっていたのだ。初めに指摘しないのは相手の好奇心を台無しにしないための配慮か、ただの意地悪か。

・「ユートピア」はギリシア語の否定辞である「ウー」と、場所という意味の「トポス」がくっついてできた言葉だ。したがって意味は「どこにもない場所」ということになる。

・君はわからないことが多すぎて何を疑問に思ったらいいのかわかっていないように見えるね。

・人間を計量しようなんて愚か者の浅知恵だ。

・身近な人間の癖や仕草をべつの誰かがやっていると気になるものだよ。そのくせ、それの何が気になっているのか自分ではわからないものなんだ。

・試すという行為は相手の人間性を著しく軽視していることの現れだよ。実験と何ら変わりない虐殺行為だ。

・人は忘れる。大切な記憶を、「いい思い出」という冴えない匂いで塗り固め、一瞬の香しさを永遠に放棄してしまう。

・いつも物語はどこかで誰かに読み解かれるのを待っている。

・本当に優れた芸術というのは、あるジャンルを通してべつのジャンルの芸術を体験させるものだと思う。

・人の数だけレトリックは存在する。皆違う人生を歩み、違う経験をしてきたんだからそれは当然だよね。

・それが彼女の恋の基本動機なんだ。かつて誘惑されたときはすげなく振った相手をパリに来てから恋い慕うようになる。彼女にとって恋とはそこに存在しない誰かを想うことにほかならない。

・自己を道具として他者に従属させようとするならそれはマゾヒズム、他者を道具として自己に従属させようとすればそれはサディズムとなる。

・ゲーテは、特殊から普遍を見出して表現したのが象徴、普遍から特殊を見出して表現したのがアレゴリーだと両者を対置させている。

・もともと一つのことをいつまでも考えていられない性分でもある。かっこよく言うなら、短期集中型なのだ。

・通常「……でも……ないと」という言い方は、ある目的に達するためのたった一つの手段が、かなりの禁じ手な場合に使われるんじゃない?

・クラウン・ベッチは中世から劇薬として知られているし、ミルラは古代エジプトで死体の防腐剤として使われていた。

・肉体的な死がやってくる直前まで精神的な生と死が繰り返される。

・独り言なら、すべてのセンテンスを話す必要もあるまい。そもそも文というものは他者を前提としている。他者がいないなら文節や単語だけで十分だ。

・普通の人がどこかで与えられる大人になる機会を逸してしまったんだろうね。

・白い息がまた、もわりと上がっていく。それがまるで要らなくなった魂を少しずつ捨てているように見える。



黒猫の遊歩あるいは美学講義

黒猫の遊歩あるいは美学講義

  • 作者: 森 晶麿
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2011/10/21
  • メディア: 単行本



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