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『錯覚の科学』 [☆☆]

・自分が注意を集中させているものは、とりわけ鮮明に見える。だが、その鮮明な体験が、自分には身の回りのあらゆる情報を細部にいたるまで見逃さないという、誤った自信を生んでしまう。

・実際には、まわりの世界の一部は鮮明に見えていても、現在熱中していることから外れた部分は、まったく見えていないのだ。

・人は、あるできごとがなぜ起こったのか、その真の原因について確証がない場合も、説得力のある話を信じやすい。

・私たちは、自分には目の前のものがすべて見えると考える。だが実際には、私たちはどんな瞬間にも目の前の世界のごく一部しか意識していないのだ。目は向けていても見えていないという発想は、自分の能力に関する理解とまったく相いれない。そこでこの誤った理解が、自信過剰の軽率な判断を生むことになる。

・ドライバーにバイクの姿が見えないのは、バイクを予期していないためだ。道路で難しい左折をしている最中に、ドライバーの行く手をふさぐ乗物はたいてい車であり、バイク(あるいは自転車、馬、人力車のたぐい)ではない。

・派手なウェアはバイクのライダーを目立たせるが、期待するほど効果は発揮しない。彼らは見落とされやすいが、それはバイクが他の乗物より小さくて目立ちにくいから、というだけではない。見落とされやすいのは、オートバイが車と違うためなのだ。

・ドライバーの注意をオートバイに向けさせるためには、オートバイを車に似せさせる方が有効なのだ。

・非注意による見落としを少なくするには、証明ずみの方法が一つある。予想外の物やできごとを、できるだけ予想のつくものにすることだ。

・歩行者と自転車が事故に遭う件数は、この手段による移動がもっとも多い都市部でもっとも少なく、自転車や歩行者が少ない地域でもっとも多かった。なぜ自転車や歩行者が多い場所で、彼らが車にはねられる割合が低いのか。それはドライバーが彼らを見慣れているからだ。

・対象物の目立ちやすさ以上に、その瞬間になにを予想するかが、あなたの見るもの──そして見落とすものを、決めるのだ。

・実験にもとづく研究でも病理学的な研究でも、携帯電話が運転におよぼす影響は、飲酒運転に匹敵すると報告されている。

・問題は車の操作能力への影響ではなく、注意力や意識に対する影響である。だが、じつのところ注意力への影響という点では、手動式の携帯もハンズフリーの携帯もほとんど差がない。どちらも同じように、そして同程度に注意力を失わせる。

・私たちの視覚や注意力をつかさどる神経回路は、車の速度に対応してではなく、歩く速度に対応して作られている。

・人が自分は運転中に携帯を使っても支障ないと思い込むのは、大丈夫ではない事実に遭遇していないためだ。事実とは、自分自身が体験した衝突やニアミスのことだ。

・私たちは自分自身で気づいた想定外のものは意識するが、見落としたものは意識しない。その結果、私たちが手にしているのは、自分は身の回りのできごとをちゃんと知覚できているという事実だけになる。

・人間の脳にとって、注意力は本質的にゼロサムゲームである。一つの場所、目標物、あるいはできごとに注意を向ければ、必然的に他への注意がおろそかになる。

・テクノロジーのおかげで、人は能力の限界を超えることができる。だが、どんな機械にも限界がある。それを私たちが認識して、はじめて機械は役に立つ。

・私たちはビデオカメラのようには、自分の記憶を再生できない──記憶を甦らせるたびに、実際に記憶しているものと自分が記憶したいものとが、私たちの中で入り混じる。

・私たちが記憶から取り出すことがらは、要約や推測などで補足されていることが多い。それは生演奏のデジタル録音ではなく、聞き慣れた旋律をもとにした即興演奏に近い。

・私たちは記憶の錯覚によって──逆の証拠を示されないかぎり──自分の記憶、考え方、行動は常に矛盾がなく一貫していると思い込みがちだ。

・チャールズ・ダーウィンは「知恵者より愚者の方が、自信が強いものだ」と言った。たしかに、愚か者の方が、自分を買いかぶりがちだ──彼らの自信の錯覚は、なみはずれている。

・罪を犯す者は、犯さない者よりも、一般に頭が悪い。そして、すばらしくドジな振る舞いもする。

・能力のない者は二つの大きなハードルを目の前にする。一つは、自分の能力が平均以下だということ。二つめは、自分が平均以下であるという自覚がないため、能力を向上させる努力をしないこと。

・支配的な人は、自信ある態度をとりがちである。そして自信の錯覚のせいで、他の人たちは自信を持って話す人を信頼し、従おうとする。

・たとえあなたの実力が仲間と同程度であっても、あなたが人より先に何度も発言すれば、人はあなたの自信を能力のあらわれと受け取る。

・だが、本当に理解しているのは、トイレの使い方(汚物を流す方法)だけかもしれない。必要なのは目に見えない部品がどのように組み合わさって機能するかを、理解することなのだ。

・トイレを使うと「どんなことが」起きるかを、「どのようにして」起きるかと取り違え、日常的に見知っているという感覚を、本物の知識と誤解してしまうのだ。

・なぜ試験に失敗したのだろうと嘆くことがよくある。彼らは何度も教科書や授業ノートを読み返し、試験を受ける時点ではすべてよく理解したつもりだったと訴える。おそらく教材の内容のあちらこちらを頭に入れたのだろうが、知識の錯覚から、繰り返し目にして見慣れた感覚を、内容に対する真の理解と取り違えたのだ。

・自分自身を試してみて、はじめて自分が本当に理解したかどうかがわかる。だからこそ教師はテストを与えるのであり、すぐれたテストは知識の深さを確かめられる。

・日常の中で、私たちはあらためて自分に向かって「雨がどこから降ってくるか、私は知っているだろうか」と問いかけたりしない。挑戦を受けないかぎり、そんな疑問は持たないものだ。

・経済用語や理論の上っ面に通じていることだけで、自分が市場を理解していると思い込むのは、新型債券のセールスマンにかぎらない。

・蓄えをわずか数パーセント増やすために、束の間に変わる価格に一喜一憂し、眠れぬ夜をすごし、不機嫌になるのは割りに合わない。

・歴史的なバブルが起きた過程を見ると、常にまず新しい「知識」があまねく広くばらまかれ、やがては金融問題に関して持っている情報は一つだけ、という人々のもとにまで到達する。その情報とは、チューリップの球根は絶対有利な投資である、不動産は絶対に価値が下がらない、などである。

・パソコンがウェブの中身を蓄える必要がないのと同じように、私たちは情報を蓄える必要がないのだ。自分の目の前にいる相手を見たり、サイトへアクセスしたりすれば、たいていその場で情報を入手できるからである。

・企業は消費者の知識の錯覚につけ込んで、製品を売り込むことがある。宣伝文句の中で製品の細部を強調し、買い手に自分にはその性能が理解できると思い込ませるのだ。

・「どうして16歳の子供たちは、頭が少し足りないような運転をするのか」と問いかけ、「なぜなら、実際に足りないからだ」と答えている。

・無作為のものに意味のあるパターンを感じ取る心の働きには、パレイドリア(変像)という名前がついている。

・たいていの人は医師が診断するときは、可能性を限定せず多くの選択肢を考えるはずだと、直感的に考える。だが、本当の意味での専門的判断で求められるのは、選択肢を沢山考えられる能力ではなく、不適切な診断をとりのぞける能力なのだ。

・いわゆる「陰謀論」は、できごとにパターンを見いだすことを基本にしている。陰謀論を前提にすると、できごとが起きた理由がわかりやすいように思える。原則として、陰謀論は結果から原因を推理しようとする。

・「語らずに、ほのめかせ」という古くからの助言は、文章で人に感銘をあたえたい作家には、貴重なものだろう。

・人は統計より実話に弱い。個人的な体験は、たしかに統計より説得力がある。個人体験にはまさに物語的な力があり、私たちに強い影響をあたえる。

・科学的な裏づけがなくても、錯覚によって一つの主張が民間伝説に変わり、数百万ドルビジネスに火がつくこともある。モーツァルト効果の物語は、そのことを完璧にあらわしている。

・レーブン漸進式マトリックステスト(複数の図形を見て、最後の空白を埋めるテスト)を受けた。このテストは、総合知能の計測にすぐれているとされている。

・彼らは「数唱テスト」を使った。数列を被験者に記憶させ、その数字を最初からと最後からのどちらの順番でも正確に復唱できるか計測するテストである。このテストは総合知能と関連が強い。頭がいい人ほど、長い数列を逆順に唱えられるのだ。

・迷信はメディアとともに栄える。

・意外だったのは、週に数時間だけウォーキングをした人たちの認知能力のテスト結果が、大幅に向上したことである。とくに計画立案やマルチタスクのような行動管理能力で、それが目立った。

・だがあいにく、人物の特徴を言葉に置き換えると、あとでその人物を認識する能力が損なわれることがある。「言語隠蔽効果」という名称がつけられた。

・能力の限界を自覚して、自分の環境の方をまず変えるのだ。たとえば運転中の携帯電話をやめることも、その一つかもしれない。

・仕事の目標をやりとげたあと、最後の作業をし忘れることはよくある間違いで、「完了後のミス」と呼ばれている。コピーをし終えたあとコピー機からオリジナルの書類をとり忘れるなどが、このタイプのミスの例である。

・陰謀説は、常識的に考えればわかることをみごとに見過ごす傾向がある。そして限られた個人が、事件や情報を操作し捏造する超人的な能力を持つという観念に頼ってしまう。

・能力のない者の方が、自分の力を過信しがちだという現象は「ダニング-クリューガー効果」と呼ばれるようになった。

・科学者の大半は(潜在意識の知覚を支持する学者でさえ)、認知力への見えない刺激の効果はきわめて小さく、サブリミナルの刺激では、当人にするつもりのなかったことまでさせることはできないと考えている。

・すばやい反射的な思考プロセスは、「システム1」、ゆっくりした内省的な思考プロセスは「システム2」と呼ばれることが多い。

・MRI装置などを利用して、脳トレをすると脳内の血流量が増えたというような研究はけっしてインチキではないのだろう。しかし、血流量が増えたから認知能力が向上したというのは必ずしも証明されないようなのだ。



錯覚の科学

錯覚の科学

  • 作者: クリストファー・チャブリス
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/02/04
  • メディア: 単行本



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