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『パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ』 [☆☆]

・「プライバシー擁護派」を検索すれば、彼らが慢性心配症の匿名集団として、メディアにたびたび引用されていることがわかるだろう。

・公か私かっていうのは相対的な言い方でしょう。暑い寒いとか、明るい暗いといったように。片方がもう片方を決めるのです。

・今のところ、「透明性」と言ってもたいがいはちょっとした飾り文句にすぎず、広報資料の中に紛れ込んだ美辞麗句か、大失敗した時の言い訳に使われているだけだ。

・ネットは破壊の道具、つまり古い絆を再び分断し、僕らを制約から解き放ち、本来の姿をあらためて模索させる触媒だ。

・愚痴ばかりこぼしたり、風潮を呪ったりするより、チャンスを見つけ、築きたい未来の姿を決めるほうが賢明だ。

・アルジャジーラの英語放送でさえ、遠くの安全な場所から望遠カメラで撮った広場の画像と、ほとんど同じコメントを何度も繰り返すだけだった。テレビは広場の声をほとんど拾えていなかった。

・ケーブルニュースが新聞にしたことを、ツイッターはケーブルニュースにした。既存メディアを緊急性の低いものに変えた。

・インターネットやフェイスブック以前の世界では、誰もが無名だったからこそ膨大なプライバシーが存在した。

・「デジタルネイティブ」という言葉は、不評を買っている。あたかも若者がオンラインで自分を守る知識と能力を生まれつき備えているように聞こえるからだ。しかし彼ら若者もまた学ぶ必要がある。ただし、大人が最良の教師かどうかはわからない。

・ノルウェーとフィンランドでは、国民の収入と税額が公開される。

・僕は、アメリカの恵まれた白人男性だ。たとえば、性的にも宗教的にも厳格なアフリカの国に住み、本当のことを言うと牢屋に入れられたり殺されたりするゲイの男性とは違う。僕のパブリックな部分の線引きは、僕以外の人には適切でないかもしれない。

・この議論の今後のグーグル的価値に貢献するためにパブリックにした。

・企業は、自社の価値を、所有物の値段ではなく、つながりの質で測るようになるだろう。四半期収益よりも、つながりが企業の将来性を表すだろう。

・メディアは他人をストーカーか変質者ででもあるかのように見せる。世間にはおかしな人ばかりだと言われ続ければ、僕らがパブリックのためになることに興味を失うのも仕方のないことだ。

・他人にどう言われるかを恐れるのはバカげている。たいていは他人からなんと言われるか想像しているだけなのだ。他人が自分をすごく気にかけて入ると思い込んでいるのだ。

・プライバシーがなくなったら、この世界に恥は存在し続けられるだろうか。

・プライベートな人は、表に現れない。だから存在しないようなものだ。

・写本の世界では、需要と供給は一致していた。一冊の本につき一人の写本者と一人の客がいた。印刷業はそうはいかない。先行投資が必要だが、買い手の保証はない。

・印刷技術の発明は、匿名性を排除し、文学的名声という概念や、知的成果を私有財産と見なす習慣を育んだ。

・本によって学びはより効率的になった。学者たちは、知識を得るために希少本を探して街から街へと旅をする必要がなくなった。

・学生は師のもとでだけ学ぶのではなく、「沈黙の教師」である本からも独りで学ぶようになった。

・本はまた、僕らの記憶の仕方を変えた。リズムや抑揚で、公式や処方を憶える必要はなくなりました。集合的な記憶の本質が変わったのです。今では同じように、グーグルが僕らの個人的な記憶であり、みんなの図書館にもなっている。

・19世紀の初頭、新聞は政党とその利益のための機関紙だったが、その後広告の援助によって政党の所有から経済的に独立することができた。

・世論調査とは「真の世論が形成されるのを防ぐために世論のふりをしようとするもの」に他ならなかった。

・僕自身、ジャーナリストの仕事が市民の会話を育て、集め、広めることだとは教わらなかった。ジャーナリストの役目は市民に情報を与えることだと教わった。それは、市民は無知だと暗に意味していた。

・プライバシー侵害の本当の損失は、物理的、または経済的なものでさえなく、情緒的なもの、つまり「感情を傷つけられること」だ。

・プライバシーが誰かからの自由だとすれば、それはまた、何かのための自由をも意味します。それは外野の批判を恐れずに、可能性に挑戦するための自由です。プライバシーとは、何かを「可能にする」ための一形態ともいえるでしょう。

・自分を誰に見せるか、聞かせるか、触らせるか、臭いを嗅がせるか、味わわせるか、つまり自分をさらす相手を自分で選ぶことが、プライバシーの核心である。

・プライバシーとは、情報へのアクセスをコントロールすることだけではなく、それがどのように使われ、どう解釈されるかをコントロールすることです。

・朝食についてのツイートでも、あなたがシェアしようとしていることを誰も気にかけないと思うなら、シェアすべきでない。そうでなくても雑音が多すぎるのだから。

・ティーンのソーシャルネットワーク・ユーザーの86パーセントは友達のページにコメントを載せ、83パーセントは友達の写真にコメントしている。こうしたやりとりはみんなの目にさらされ、友達づき合いはどちらかというと「観客に見せるもの」になっている。

・名声はなかなか手の届かないものだった。才能やお金でそれが買えないのなら、恥をさらすことでそれを手に入れようとする人も少なくなかった。

・彼を無視する。彼に反応するチャンスを与えない。遊び場の法則、そしてインターネットづき合いのいちばんのルールは「いじめっ子にかまうな」だ。

・何が「シェアしすぎ」なのか? それはあなたがシェアしたことを後悔している事柄だと僕は思う。

・自分自身のグーグル検索であまりうれしくない結果を見つけたら、それを隠すのではなく、自分の情報をもっと出すことで、新しい情報が検索の上位に載るようにすべきだ。

・メディア・リテラシーとは、コンテンツを消化することだけに関わるものではない。それは今や、コンテンツの作り方やコンテンツが引き起こす影響を教えることでもある。

・ネットに出したものはすべて刺青だ。永久に残る。消えない。ウェブは忘れない。大目に見てもらえるかもしれないが、その保証はない。

・インタビュアーは意見を述べるのでなく質問すべきだ。

・ツイッターユーザーは「プロのジャーナリストの一団が去ったあともずっと、関心のある問題についての情報を掘り起こし、収集している」。

・ジャーナリストには注意欠陥障害があるという──退屈するとすぐ次ぎに移る。だがオンラインの人々には強迫性障害がある──一度標的に噛みつくと、絶対に離さない。

・これほど多くの人がプライバシーについて恐れたり、叫んだりするのは、そう言われてきたからだと思う。「これは危険で、注意すべきことだ」って。

・誠実さ、とは突き詰めれば、全員に同じことを言うことです。

・ベストバイには年間述べ15億人がやってくる──それはタイムズスクエア以上だと言う。タイムズスクエアが広告で囲まれているのだから、ベストバイの店もそうなっておかしくない。ベストバイには今、店舗内の広告スペースを売るスタッフもいる。

・MITのもっとも優秀な教師による講義がiTunesでただで手に入るなら、何千人もの教師が毎年同じ解析幾何学の講義をする必要があるだろうか?

・秘密が保たれるかどうかは、それを知っている人の中でももっとも信頼できない人次第だ。

・もし僕らが情報を理解し役立てるためでなく、悪事を暴くためだけに透明性を利用するなら、「改革ではなく、嫌悪を招くだろう」。

・既得権益者は何かを変える気はない。そして彼らには変化を止める手だてがある。

・確かにバラク・オバマはネットで莫大な資金を調達したが、その金はどこへ行ったのか? テレビだ。

・誰かがアイスランドのザ・ムーブメント(2010年に起こった政治運動で3人の国会議員からなら政党)はブログとフェイスブックから始まったと言った。だけど、あの小さな島ならガリ版と拡声器でもムーブメントを起こせるだろう。

・アメリカのティーパーティは、新しいツールを使ってパブリックを組織するムーブメントと見られがちだが、それは大切なポイントを見落としている。それはどちらかといえばラジオのトーク番組とFOXニュースの力によってつくられたものだ。結局、ソーシャルメディアではなくマスメディアの落とし子なのだ。

・革命家や破壊者が古い体制を倒すために使うツールだけでは、新しいものをつくることはできない。

・法律はテクノロジーより数歩も遅れていると相場が決まっている。



パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ

パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ

  • 作者: ジェフ・ジャービス
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2011/11/23
  • メディア: 単行本



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