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『私は若者が嫌いだ』 [☆☆]

・彼らの基本にあるのは、「自分はサービスを受ける側」という感覚だとされる。

・考える力、知識を生かす力を重視するPISA型の学力こそが、世界で求められている学力のスタンダードだとするならば、授業時間増、内容の増大、競争の復活によりたとえ日本型の学力が向上したとしても、それは決して国際的には通用しない学力と考えたほうがいいのかもしれない。

・トラブルに遭遇すると、まず「責任者を出せ」と他責的な口調ですごむ「弱者」たちに私たちの社会はいま充満している。

・「弱者が瀰漫する」ということは「社会的リソースの権利請求者がふえる」ということであり、それは「私の取り分」が減ることを意味する。

・こうるさく権利請求する「負け組」どもを、非難の声も異議申立てのクレームも告げられないほど徹底した「ボロ負け組」に叩き込むことに国民の大多数が同意したのである。

・それまで何年間の信頼関係があろうと、何かひとつ問題があると「やっぱりこの人もわかってくれない」と相手のすべてを否定し、離れていく場合がほとんどだ。そしてまた、「かわいそうに。あなたは悪くないのに」と言ってくれる相手を探すのである。

・ある具体的なことについて批判、注意しても、それを全人格的な「好き、嫌い」でとらえる、という傾向もある。これはボーダーラインパーソナリティ障害(境界例)の特徴として、1980年代から精神科医らによって指摘されてきたことと重なる。

・弱さや甘さを抱えた若者にとっては、ある意味でリストカットは「手軽な」自己表現であり、積み重ねの努力なしで注目を集めることのできる最終手段なのかもしれない。

・成績が下がって「いい子」から「だめな子」となり、怒られたりなじられたりするのが嫌なのではなくて、「そういう子供を持つ親がかわいそう」「子供が「だめな子」だとがっかりして嫌な気持ちにさせるのが悪い」と先まわりして罪の意識を感じている。そしてそれが、「そんな気持ちにさせるくらいなら、殺したほうがよいのではないか」という発想にまで飛躍するのだ。

・子供たちは、自分がほめられて良い思いをしたいから「問題のないいい子」を演じているわけではなく、親を喜ばせたいという理由でそうしているのだ。もちろん、親は子供が先回りして「いい子」を演じて、自分たちを良い気分にさせてくれていることなど、想像もしていないだろう。

・どう取り繕っても自分が「おとなしくまじめな子」「問題もなく優秀な子」でい続けられない、となったら、自分を消すか家族を消すか、あるいは世間をめちゃめちゃにするかしかない、という破滅的な選択をしてしまうのだろうか。

・知人には一応、そのブログに書かれていることは真実ではないことを伝え、「どうして私に確かめもせずに、顔も知らない誰かが書いたブログのほうを信じてしまったのですか」ときいてみたのだが、はっきりした答えは返ってこなかった。

・ネットでの発言や意見は、それひとつでは影響力を持たなくても、たくさんの数が集まることで大きな力になり、現実を動かすこともあるという性質を持つ。

・インターネットは道徳の過剰、監視の過剰、論理の過剰、批判の過剰など、さまざまな過剰性を導きます。

・サイバーカスケードに向かう若者たちは「集団として発言する」ことに徹底的に気をつかい、決して自分の名を出して個人や企業に抗議しようとはしない。彼らもまた、「目立ちたい」という自己顕示欲は持っているものの、それはあくまで「無数の中のひとり」という安全性が担保された中でのことに限られるのだ。あとは、自分で「ほら、この企業、謝罪広告を出しているけど、ここまで追い込んだのはオレのあのメールなんだぜ」と自己愛的な空想が補填してくれる。

・野球場で数万人のファンに混じって応援しながら、ひそかに「オレの応援のおかげで勝てた」と空想することさえできない若者は、あくまで「オレひとりがやった」ということがはっきりわかる行為でしか、自己顕示欲を満たすことができない。

・彼らは、自己愛的な想像力に欠けているばかりではなく、「こういうことをしたら、自分は、まわりはどうなるだろう」と考える基本的な想像力に欠けている。

・もし体験しないことはすべてわからないのだとしたら、その人はいま生きている自分以外の人の人生も気持ちも何もかも考えることができない、ということになってしまう。

・「余命わずか」という人物を間近に見て感動することと、その立場に自分を置いて想像してみることとは、また違うようだ。

・他者に対する想像力は欠如しているのではなく、その配分が「身近な人>直接、関係ない人」と著しく傾斜している、と考えられたほうがよいのではないだろうか。

・同じ立場になければ当事者の気持ちはわからない、ということはないはずだ。もしそうだとしたら、ひきこもりでうつ病で性同一性障害まで経験した、などという人しか精神科医になれないことになってしまう。

・携帯電話を持ちネットにアクセスさえできれば、かなりの危機的状況にあってさえも、自分は最先端の情報に触れて生きている「情報強者」だという優越感さえ感じることも可能なのだ。

・「自己責任」は、自分の意志表明としてではなく、責任を取っていないように見える他人を非難するときに使われる侮蔑語なのである。



私は若者が嫌いだ! (ベスト新書)

私は若者が嫌いだ! (ベスト新書)

  • 作者: 香山 リカ
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2008/12/09
  • メディア: 新書



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