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『日本経済は本当に復活したのか』 [☆☆]

・重要なのは、利益額そのもの(あるいはその増加率)ではなく、「利益率」である。そして、利益率を見ると、日本企業の体質が改善されていないことは明らかだ。

・ファイナンス理論を用いてカネ持ちになることはできない。ムダな支出や愚かな投資を避けることはできるが、市場の平均的な利益率を上回る利益を継続して実現することはできない。

・しばしば、「顧客の満足度を高める」「従業員の生活を保障する」「従業員が働きやすい環境を作る」「地域社会に貢献する」といったことが、企業活動の本当の目的だといわれる。しかし、これらは、企業価値を高めるための手段であって、目的ではない。これらが企業価値を高めるのに寄与する限りにおいて、それらの追求が正当化されるのである。

・企業は、企業価値向上以外の目的を優先できるほど崇高な存在ではないのだ。「企業は企業価値以外の目的を優先すべきだ」というのは、じつは、企業経営者の思い上がりなのである。

・日本経済の土台をいま支えているのは自動車産業だが、これも典型的な20世紀型製造業であり、成熟した産業だ。いずれは韓国や中国に移っていかざるをえない。

・工場や機械などは、単に物理的に存在するだけで価値があるとはいえない。それらが経済的に有用なものを生産できるから、経済的に価値がある。もし生産物が売れなくなれば、機械が物理的な意味で動いても、経済的には無価値になる。

・ソフトウェア企業は、物理的生産設備を持たないから、「見かけだけだ」と言う。しかし、物理的な生産設備がなくとも、経済的に有用なサービスを提供できれば、企業の経済的な価値は高いのだ。

・日本の法人には、赤字法人が多い。全法人のじつに約7割が赤字法人である。これらの法人は、存続する社会的意義を喪失していると考えざるをえない。

・税という最も基本的な公的負担から免れている企業が大部分であるにもかかわらず、「企業の社会的責任」が声高に叫ばれていることを、私は奇異に思う。高邁な社会的責任についてうんぬんするのは、税を納めてからあとのことにしてほしい。
・ある開発途上国から来た人が日本の駅の自動改札を見て、「こんな低いバーなら簡単に乗り越えられる」と言ったそうだ。つまり、自動改札は、「バーを乗り越える人はいない」という前提の下で初めて機能する仕組みなのである。

・「当社は利益に結び付かない社会貢献活動をしています」と胸を張る経営者がいるとしたら、それは、「企業は経営者のもの」という思い上がりを示す以外のなにものでもない。

・ボランティアが強要される社会に、私は強い嫌悪感を覚える。戦時中の国家への献身要求を引き合いに出すまでもなく、自己犠牲の強要は、多くの場合に、権力者が若者を欺いて自らは利益を得るための手段以外の何物でもないのだ。

・最貧国の悲劇は、狂暴な自然環境と共存しなければならないことによって生じている。バングラデシュの国土の大半は低地であるため、慢性的に洪水被害が発生する。それによる死者は無視できない数だ(死者の大半は、水中でコブラに噛まれることによって生じる)。スマトラ沖地震で生じた津波の被害は、海岸線が自然のままであることによって引き起こされた。

・キャノンのホームページを見てみると、「キャノンの企業理念は共生」と書いてある。「共生」とは、運命的に定められた相手に依存しないと生存できない関係だ。それはアリとアブラムシの関係であり、主体的な自由意志に基づいて相手を選択し、互いに助け合って共存する関係とは対極にある。つまり、共生とは、根本的な意味における自由主義の否定なのである。

・資本収益率でほぼ同じなのに、時価総額で見ると10倍の差が開いてしまうのはなぜか? それは、資本収益率は企業の現在の姿を表わしているのに対して、時価総額は、収益率の将来の値も評価しているからである。したがって、「トヨタ、キャノンは、現在は強い会社だが、将来に向かう成長は、マイクロソフト、シスコのようには期待できない」と市場が評価していることになる。

・衣服の場合、デザインだけ買って「あとは自分で作る」のは、普通の人には難しい。衣服として完成された商品には、「デザイン料」が含まれている。装飾品、家具、車などについても事態は同じだ。これらの商品について、高級志向が高まるにつれて、商品価値に占めるデザイン(ソフトウェア)の比率はますます高まるだろう。

・一見インターネットが有利と思われる情報でも、印刷物が依然として強い分野があるのだ。それは、「一覧性」の点で紙が圧倒的に優れていることによる。

・日本で『ミシュラン』が売れないのは、ヨーロッパ旅行について情報を得たい人が少ないからだ。自分で旅行計画を立てるのでなく、旅行費用と情報料がセットになっている「パック旅行」を購入するからである。

・「IT革命とは、新しいエレクトロニクス関連機器を作って売ること。あるいはインターネットを通じる情報の販売で利益を得ること」と考えている人が日本には多い。ソニーは、この誤りに落ち込んだ典型例だ。そして、いまだにその誤りに気づいていないようだ。

・20世紀前半までの世界では、「大国」とは人口大国のことだったのだ。「人口が多いほうがよい」と考えている人は、無意識のうちに、このような時代遅れの観念にとらわれている。

・人口が成長を続ける社会は大きな問題を抱える。最大の問題は、「増大し続ける人口を養うための生存権を確保せよ」という声が強まることである。その行き着くところは、軍事的拡張国家だ。

・各種控除があるために、一般の人に対して相続税が課されることは、まずない。こうしたことが現実であるにもかかわらず、「普通の人の場合にも相続税で遺産を半分取られる」といった類いの俗説を信じている人が多い。

・実質的には同じであるものを、表現の仕方で違うもののように見せることを、「欺瞞」という。人々は、しばしばこの方法に頼る。

・現在、日本の法人のうち約7割は赤字法人である。法人税を払っていない。もともと株式会社などの法人は、利益を上げるための社会的組織である。そうであるにもかかわらず7割もが利益を上げていないというのは、異常な状態である。

・政治や統治のサイズはあまり大きくないほうがよい。なぜなら、統治単位が大き過ぎると無責任主義が蔓延するからだ。

・世界を眺めてみると、人口が一億人を超える国の多くは中央集権的統治体制は採らず、連邦性を採っている。例外は、工業国の中では、中国と日本くらいのものだ。

・「小さな政府」とか「公務員数の削減」といわれるが、それなら、社会的に必要なくなった省庁は廃止すべきだ。たとえば、日本の産業構造における農業の地位を考えれば、農林水産省の存在理由は厳しく検討されるべきである。

・高度成長期には、毎年新しいものが誕生した。今の日本にはそうしたものがなく、つまらない。

・衰退産業に対する保護策が保護の効果を発揮せず、甘えと依存を加速して衰退を早めるのは、駅前商店街に限ったことではない。農業がそのような経緯をたどって衰退した産業の典型例である。

・労働力の増大こそは、冷戦終了後の世界経済構造変化の本質なのだ。それまでは社会主義国内に閉じ込められていた膨大な労働力が、利用可能な労働力として現実化した。それをさまざまな方法で活用しようとするのが、21世紀型のグローバリゼーションである。

・日本が農産物を輸入している主要な相手国は、アジア諸国ではない。なぜなら、アジア諸国は、自国民の需要に対応することでほぼ手一杯であり、農産物の大きな輸出余力は持っていないからである。日本が農産物を輸入している最大の相手国は、アメリカである。

・日本は、貿易を通じて外国の効率的な生産の恩恵を受けるという「公益の利益」(Gains from trade)を享受していないのである。世界的な分業が進むなかで、日本は最も重要な消費財である食料に関して、最も非効率的な自給自足にしがみついている。



日本経済は本当に復活したのか

日本経済は本当に復活したのか

  • 作者: 野口 悠紀雄
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2006/08/25
  • メディア: 単行本



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