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『数学ガール フェルマーの最終定理』 [☆☆]

・「具体例から法則を引き出すこと」を「帰納」っていうんだけど、帰納を行うためには、もっとよく考える必要がある。

・わからないことを「わからない」というのは正しいことだよ。馬鹿なのは、わかっていないのに「わかったふり」をする人のほうだよ。

・授業を聞くのは刺激になる。本を読むのもためになる。けれど、自分の頭と手を動かす時間をたっぷりとらなければ、授業も本もまったく無意味だ。

・約数、倍数、それから素数……。これらの定義は簡単だ。でもそこから生み出される世界は深くて豊かだ。

・だめ。その応答スピードは、考えていない証拠。もっと粘りなさい。

・こわいから、「間違うくらいなら、わからないことにしちゃえ」と思っているでしょう。

・でもね……あることに「時間を使う」のは、いつだって「命がけ」なんじゃないだろうか。だって、生きているうちにできることは限られている。この世で使える時間には、限りが有る。

・いま、「0以上の数しか知らない人」がいたとしよう。その人は、この方程式x+1=0を不自然に感じる。「0は最小の数なんだから、1を加えて0になる数なんて、ありえない。そんな数字は存在しない」と考えるだろう。もしかしたら、「1を加えて0になる数」の神秘を歌い出すかもしれない。

・複素平面は、代数と幾何が出会う舞台。複素平面という部隊で、代数と幾何がキスをするんだ。

・あたしは迷うんです。この当たり前のことは「暗記すべきこと」なの? それとも「証明すべきこと」なの?――って。

・制約が、構造を、生み出している……。

・まず考えてみなさい。わかるかどうか、考えてみなければわからないでしょう。

・教科書には、書きかけの数式なんて載ってない。建築現場から、すでに足場はかたづけられている。だから、数学といえばつい、整然と完成したイメージを持ってしまう。でも実は、数学が生み出されている最前線は、工事現場のようにごちゃごちゃしているのではないだろうか。

・数学の最先端の問題って、専門の数学者以外にはまったく理解できないものだよ。問題を解く以前に、問題の意味が理解できないんだ。

・証明しなければ、予想にすぎない。

・授業の数学って、武器の基本的使い方のようなものなのですね。剣道の素振りや、拳銃の試し撃ちみたいに。だから、地味でつまらない。でも、そういうところできっちり練習を重ねていないと、いざバトル! のときに、もたつく。

・あのね、指数を「掛ける個数」だと考えている限り、納得することはないんだよ。納得したとしても、なんだか無理矢理こじつけたような気分になる。「掛ける個数」という発想でいる限り、自然数の呪縛から逃れられない。つまり、1、2、3、4、...ならわかるけれど、0や-1のように自然数から離れると意味がはっきりしなくなる。

・学校では「これを証明しなさい」と言われる。「何を証明すべきか考えなさい」とは言われない。与えられた問題を解くことは大切だ。しかし、解くべき問題を発見することも大切ではないか。

・ピタゴラスの定理の逆を使えば、直角を作ることができる。これは当時の最先端のテクノロジー。でもいまや小学校で学ぶ。二次方程式の解法、複素数、微積分……かつてはそのすべてが最先端だった。でも現在は中学・高校で学ぶ。としたら「フェルマーの最終定理の証明」を学校で学ぶときが来るかもしれない。

・書庫の鍵をあげよう。足りなければ図書館に行くといい。おまえが知りたいと思う答の半分は本の中にある。(半分だけ…? 残りの半分の答は?) それはまだ 誰も知らない。



数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)

数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)

  • 作者: 結城 浩
  • 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
  • 発売日: 2008/07/30
  • メディア: ペーパーバック



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