『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』 [☆☆]
・「年のせい」を認めようとせず、「老い」を「病」にすり替えます。なぜなら、「老い」は一方通行で、その先には、「死」がありますが、病気なら回復が期待できますから。
・病気の80%は医者にかかる必要がない、かかった方がいいのが10%強、かかったために悪い結果になったのが10%弱。
・リハビリテーションは、リ(再び)ハビリス(人間にふさわしい)エーション(状態にすること)の合成語で、人間が人間にとってふさわしくない状態に置かれた時、再びそれにふさわしい状態に戻すことを指し、必ずしも、病前の姿への復帰を意味するわけではありません。
・以前なら死んでいたものが、死ぬでもなく助かるでもなく、ただズルズルと生かされている事態が起きる。
・現在の日本のワクチンは、インフルエンザの粒子全体を使うのではなく(全粒子を使うと副作用が強い)、2つある突起の一つ(HA)を切り離して抗原として使っています。このため、本物がやって来た時に、撃退できるのかという疑問もあります。
・シーズン中、インフルエンザで死んだ人が204人なのに対し、予防接種後に死んだ人が133人もいます。このうち、122人は60歳以上なので、持病(基礎疾患)を悪化させた可能性もあるのではないかと思われます。
・実際に、髄膜炎で命を落とした子が11人強、ワクチン接種後になくなった子が7人、マスコミで全く報道してくれませんが、これをどう解釈したらいいのでしょう。
・「自然死」は、いわゆる「餓死」ですが、その実体は次のようなものです。
「飢餓」……脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「脱水」……意識レベルが下がる。
「酸欠状態」……脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「炭酸ガス貯留」……麻酔作用あり。
・「死」を、止めたり、治したりすることはできません。しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した医療措置を行います。これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない幸せムードの中で死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
・本人が自力で食べられるように、調理は工夫して目の前に置くが、手を出さなければそのまま下げてしまうという北欧式。
・点滴注射もせず、口から一滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの日数がどれくらいかといいますと、7日から10日ぐらいまでが多いようです。
・「できるだけの手を尽くす」が、「できる限り苦しめて、たっぷり地獄を味わわせる」とほぼ同義になっているといっても、いい過ぎではない状況を呈しています。
・日本人は、病気や障害を理由に、甘ったれて依存しがちです。また、それを許す傾向にあります。こういうことをしていると、欲しくない時にも、無理やり口の中に押し込まれるという「拷問」にかけられることになるのです。
・死にかけの人間が医者にすがるのも、あまり感心しません。なぜなら、いかに生きるか、いかに死ぬかは人生の問題で、医療で解決できる問題ではないからです。
・初めから、本人が誰かに何かをしてもらいたくて、自分の足で立とうとせずにぐにゃぐにゃしていたのでは、両側から無理に抱え上げようとしても、どうにもなるものではありません。今、老いも若きも、病気は医者に治してもらおう、苦悩は誰かに解決してもらおうという、この手のひ弱な人間が日本中に溢れています。
・誤嚥性肺炎を繰り返す場合、それを防ぐために胃瘻をつくることが勧められますが、飲食物が誤って気道に入って肺炎を起こすよりも、眠っている間に細菌の多い唾液が気道に落ちて肺炎を起こすことが多いので、必ずしも肺炎の防止にはなりません。
・現在の日本人は若さにこだわり、「年のせい」を嫌って認めようとはせず、発達したといわれている近代医療に過度の期待を持ち、老いを「病」にすり替えています。なぜなら、「老い」は一方通行で、その先には「死」が待ち構えています。一方、「病」には、回復の可能性があるからです。
・年寄りの不具合は、すべて老化が原因か、老化がらみです。今さら、医者にかかって薬を飲んでみたところで、若返らせることは不可能ですから、根本的には、どうなるものでもありません。
・問題は、健康は、人生を豊かに生きるための手段であるはずなのに、それが目的になってしまっている点にあります。本来、「健康は、こういう生き方をするために、この程度必要」というものでしょう。それが「生き方」もないのに、「健康」だけを追い求めることに、どれほどの意味があるのでしょう。
・このお婆ちゃんの凄かったのは、できたことだけを誉め、できそうもないことで相手を試して凹ますことがなかったことです。
・病気の80%は医者にかかる必要がない、かかった方がいいのが10%強、かかったために悪い結果になったのが10%弱。
・リハビリテーションは、リ(再び)ハビリス(人間にふさわしい)エーション(状態にすること)の合成語で、人間が人間にとってふさわしくない状態に置かれた時、再びそれにふさわしい状態に戻すことを指し、必ずしも、病前の姿への復帰を意味するわけではありません。
・以前なら死んでいたものが、死ぬでもなく助かるでもなく、ただズルズルと生かされている事態が起きる。
・現在の日本のワクチンは、インフルエンザの粒子全体を使うのではなく(全粒子を使うと副作用が強い)、2つある突起の一つ(HA)を切り離して抗原として使っています。このため、本物がやって来た時に、撃退できるのかという疑問もあります。
・シーズン中、インフルエンザで死んだ人が204人なのに対し、予防接種後に死んだ人が133人もいます。このうち、122人は60歳以上なので、持病(基礎疾患)を悪化させた可能性もあるのではないかと思われます。
・実際に、髄膜炎で命を落とした子が11人強、ワクチン接種後になくなった子が7人、マスコミで全く報道してくれませんが、これをどう解釈したらいいのでしょう。
・「自然死」は、いわゆる「餓死」ですが、その実体は次のようなものです。
「飢餓」……脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「脱水」……意識レベルが下がる。
「酸欠状態」……脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「炭酸ガス貯留」……麻酔作用あり。
・「死」を、止めたり、治したりすることはできません。しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した医療措置を行います。これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない幸せムードの中で死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
・本人が自力で食べられるように、調理は工夫して目の前に置くが、手を出さなければそのまま下げてしまうという北欧式。
・点滴注射もせず、口から一滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの日数がどれくらいかといいますと、7日から10日ぐらいまでが多いようです。
・「できるだけの手を尽くす」が、「できる限り苦しめて、たっぷり地獄を味わわせる」とほぼ同義になっているといっても、いい過ぎではない状況を呈しています。
・日本人は、病気や障害を理由に、甘ったれて依存しがちです。また、それを許す傾向にあります。こういうことをしていると、欲しくない時にも、無理やり口の中に押し込まれるという「拷問」にかけられることになるのです。
・死にかけの人間が医者にすがるのも、あまり感心しません。なぜなら、いかに生きるか、いかに死ぬかは人生の問題で、医療で解決できる問題ではないからです。
・初めから、本人が誰かに何かをしてもらいたくて、自分の足で立とうとせずにぐにゃぐにゃしていたのでは、両側から無理に抱え上げようとしても、どうにもなるものではありません。今、老いも若きも、病気は医者に治してもらおう、苦悩は誰かに解決してもらおうという、この手のひ弱な人間が日本中に溢れています。
・誤嚥性肺炎を繰り返す場合、それを防ぐために胃瘻をつくることが勧められますが、飲食物が誤って気道に入って肺炎を起こすよりも、眠っている間に細菌の多い唾液が気道に落ちて肺炎を起こすことが多いので、必ずしも肺炎の防止にはなりません。
・現在の日本人は若さにこだわり、「年のせい」を嫌って認めようとはせず、発達したといわれている近代医療に過度の期待を持ち、老いを「病」にすり替えています。なぜなら、「老い」は一方通行で、その先には「死」が待ち構えています。一方、「病」には、回復の可能性があるからです。
・年寄りの不具合は、すべて老化が原因か、老化がらみです。今さら、医者にかかって薬を飲んでみたところで、若返らせることは不可能ですから、根本的には、どうなるものでもありません。
・問題は、健康は、人生を豊かに生きるための手段であるはずなのに、それが目的になってしまっている点にあります。本来、「健康は、こういう生き方をするために、この程度必要」というものでしょう。それが「生き方」もないのに、「健康」だけを追い求めることに、どれほどの意味があるのでしょう。
・このお婆ちゃんの凄かったのは、できたことだけを誉め、できそうもないことで相手を試して凹ますことがなかったことです。
大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ (幻冬舎新書)
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2012/01/28
- メディア: Kindle版
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