SSブログ

『科学がきらわれる理由』 [☆☆]

・現代世界では、我々の生活が、科学の歩みに全面的に依存するようになっているということだ。我々が科学を棄てれば、マルサスの苦痛に満ちた呪縛にとらえられてしまうだろう。昔ながらの農業では、もはや工業化した世界の人口を維持できないからだ。

・科学はある理論の総体ではない。経験による観察を因果関係の推論と結びつける、世界についての知見を求める方法なのだ。

・ニュートンの理論はおおざっぱな近似であることがわかった――日常的には十分いい近似ではあるが、非常に精密に制御された実験結果を予測するには足りないのだ。

・科学における理論は、単に今のところ一番いい推測であるにすぎない(人間のあさはかさでそれが絶対の真として扱われるようになることも多いが)。

・天文学は異論の余地なく最古の科学である。

・我々は確率の世界に住んでいるにもかかわらず、我々は主に単純な白か黒かの判断で考えがちである。何ごとも、そうかそうでないかのいずれかだとする。

・我々人類は社会的存在であり、徹頭徹尾、我々の生活は他の人とのやりとりの必要によっていろどられ、支配されているのだ。

・書き手が何を言おうと、自分が読んでいることを解する読者の能力こそが、究極的には伝達が可能かどうかを決めるのだ。

・我々はずっと、書き手のねらいは必ず読者に届き、書き手が考えている特定のアイデアが把握されると思い込んできた。しかしポストモダンの人々は、読者には特定の著者の作品を自分が望むようにどうとでも解釈する権利があると主張する。

・コックさえいらなくなり、冷凍庫と電子レンジですむようになった。

・人々は特定の命題をあまりに熱心に信じたため、反対する人々を勇んで殺してしまった。我々自身の行動のおそらく最も面は、我々人間が自分の頭で考えるよりもむしろ他の人の言うなりになってしまうときの、驚くべき安易さだ。

・科学は人文よりも難しいとみなされているのは、答えが正しいか間違っているかであり、もちろん事実に基づくものであるからだ。人文系では、答えが実際どうなるかということを知らなくても、ああだこうだ言って話を合わせることができる。

・科学はむしろ楽器の演奏をおぼえるようなもの――何時間もの強制された苦痛があってはじめて、しかも才能のあるわずかな人々だけに、喜びという分け前が得られるというものなのだろうか。






科学がきらわれる理由

科学がきらわれる理由

  • 作者: ロビン ダンバー
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 単行本



nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

トラックバック 0