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『いきるためのメディア』 [☆☆]

・昔の日本社会には、まず樹から家を作り、余った材で家具をつくり、さらに余った材で、子供向けの玩具をつくった、というような発想があった。与えられた有限の材料を、人間にとって有用なものに転化するのがデザインの本質であって、その過程では自然にカテゴリは忘れられるし、平気でドメインを横断していたのである。

・「未知のものごと(未来)」と「忘れていたものごと(遠い過去)」という二つの感覚が同時に生起してきて重なり合うような感覚が、新しい想像力を獲得するにあたっては極めて大事なことではないかと思うのだ。

・さまざまな人々が各自連携しながら、適材適所の「もの」を生み出し、各々の身の回りを編集していく。そういう「つくることの連鎖が回る社会」が、次なる公共性や共同性のありかたではないかと考えている。

・無秩序な知識の氾濫は、それはそれとして似非科学の席巻という危険な側面があることは否めない。

・視覚科学や画像工学の専門家でない限り、錯覚が見えるメカニズムと画像の圧縮メカニズムが、同じ基礎研究をもとにしていることに、通常気がつかない。情報を検索するための基礎となる何かが「専門家ではない私たち」には与えられていないからである。

・「自分」とは、はじめから自分が知っているようなものではなく、環境や他者との関わり合いのなかで現れたものによってのみ知ることができる。つまり、「自分」とは事前に知っているものではなく、事後的に再発見するものといえるだろう。

・触覚は五感のうちで最も個人的な感覚である。聞くことと触れることは可聴音の周波数の低い部分が肌で感じることのできる振動に移行するところ――およそ20ヘルツ――で重なる。聞くことは離れたものに触るひとつの方法である。

・聴覚情報は、人間の感情に直接的に働きかける。私たちは、不快な音に気持ちが苛立ったり、心地よい音に安らいだり、あるいは他人の声に勇気づけられたり、傷ついたりする。

・超音波スピーカとは、近年開発された鋭い指向性を持って音を提示することができるスピーカである。このスピーカから投射された超音波が物体に衝突すると、その物体から音が発せられたように聞こえる。

・超音波スピーカの向きを変えることにより、音の聞こえる場所を移動させることができるほか、参加者の身体表面に当てることで、身体内部と外部のちょうど境界から音が聞こえてくるような効果を生み出すことが可能である。

・統治者とは、自らが住む世界が、時間軸に沿ってどのように変化し、秩序化されるかについての諸々のルールとシステムを造り出し、自らが定めるひとつの「全体領域」の最適化を行う人間を指す。

・ベトナムへの侵攻開始当初、米兵が実戦において敵兵と遭遇した際に発砲できる確率が低かったため、訓練時において敵兵に見立てた人形の中にトマト缶を入れておき、発砲すれば敵兵から赤い液体が噴出するという光景に順応させたところ、実戦での発砲率が向上したという。一般倫理に反する行動も順応や権威付けによって簡単に行えてしまうという結果である。

・公正性とはつまるところ、確率論であると考えられる。公正性が高い社会とは、望んだ結果が達成できる確率が万人にとって高い社会であると考えられる。公正性が低い社会においては、一部の人間に能力と自由度が集中し、残された過半数の人間は望む結果が達成しづらい。

・「強すぎる正義」が時として最大の悪となりうることをわたしたちは短くない歴史を通して経験的に学んできた。

・キリスト教やイスラム法が、現代社会の規範や法体系と数々の摩擦を起こしているのを見るまでもなく、それら古典宗教が最適な更新を行えていないという「技術的」な限界を指し示している。






いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて

いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて

  • 作者: 渡邊 淳司
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2010/08/04
  • メディア: 単行本



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