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『父という病』 [☆☆]

・自己愛の強い父親は、自己愛の強いあらゆる人と同じく、優れたものや美しいものを好み、劣ったものや欠点を嫌う。わが子であろうと、優れたこともを愛するが、劣った子供や失敗した子供には無関心だ。憎み、忌み嫌うこともある。

・シゾイド・パーソナリティとは、遺伝的に対人関係に喜びや関心が乏しく、一人でいることを好むタイプで、表情や共感そのものが乏しく、人と協調したり、楽しみを共有したりすることが少ない。

・作家には、社会の通過儀礼に躓いたという人が少なくない。それゆえ、彼らは社会のアウトサイダーとしての人生を選んだのだから、当然と言えば当然である。

・もっとも、息子が戦争に行かないで済んだことに息子以上に喜んだ父親は、所詮息子の尊敬の対象ではなかった。

・子供は、父親のしていることを真似ようとする。父親が車を洗い始めたら、自分も洗いたがる。そのとき、子供の父親と同じことをしたいという欲求を十分に受け止め、満たしてやることが、外に向かおうとする意欲を、現実的な力にすることができる。

・「いい加減にしろ。また同じことをするのなら、死んでくれ」と、詰め寄った。父親は何も答えなかった。父親の賭博癖が収まりだしたのは、その後からだった。

・否定的な父親像をもつ担当者に、夫婦間の問題を相談した場合、関係を改善する方向にアドバイスされるのではなく、夫を圧制者とみなして、闘いモードを逆に加速し、関係を完全に壊してしまう方向に働きかけが行われやすい。助言者が抱えていた否定的な父親像と、相談者の夫が同一視され、過剰防衛や攻撃という方向に動いてしまうのだ。

・日本でも、子供のいる世帯のうち、およそ十分の一の世帯が父親のいない世帯となっている、アメリカでは、その割合は三分の一を超える。

・現実に父親がいるかいないかよりも、どういう父親像をもつかが重要だ。父親とは、現実の存在以上に、いわば社会の掟や秩序の体系を象徴する存在でもある。

・父親の一つの重要な役割は、子供に否を突き付け、ダメなものはダメと言い、社会の掟や現実の厳しさを教え込むことにある。

・貧しい人たちを救おうと立ち上がり、「スペランザ」(「希望」を意味するイタリア語)というペンネームで、政府を糾弾する勇ましい文章を書きまくったのだ。もっとも、貧しい者を救おうとするのは、体裁上の口実だった。本当に彼女が求めていたのは、「英雄的な運命」であり、そのために戦って血を湧き立たせることだった。

・若い頃のワイルドの口癖は、「有名になりたい」だった。有名になるために、ワイルドが採用した方法は、父親のように堅実に技芸を磨き、その有用性を認めてもらうことではなく、常識はずれのことをして、人々の度肝を抜くことだった。

・父親は実に単純な男だった。母親から言われたことに対して、ただ反応しているだけだった。父親がひどいことを言ったり、乱暴を働いたように見えるときも、実は先に引き金を引いているのは、母親ということが多かった。そして、父親の反応だけを切り取って、娘に嘆き、娘の心に怒りを掻き立てようとする。

・早い子であれば、中学生になる頃には、母親のまやかしに気づきはじめる。父親を排斥するために並べ立てる口実に、苛立ちを覚えるようになる。それはお前に都合のいい口実だったのではないか。どういう理由であろうと、おまえは、自分の忍耐の足りなさや身勝手さのために、子供から父親を奪ったのではないのか。

・DVに至る男性は、母親にべったりか、母親とまったく険悪な関係にあるかどちらかということが多く、母親との関係を健全な形で卒業できている人は稀だ。

・しかし、本当に望んでいることが離婚ではなく、円満な家庭を取り戻すことだとしたら、DVという捉え方で夫を断罪し、裁判にかけ、離婚を勝ち取ったところで、本当の幸せを手に入れられるかどうかは危うい。

・安全基地とは、困ったことがあったとき、何でも打ち明け、受け止めてもらえる存在だ。どんなときも、大丈夫だと言ってくれる存在だ。

・残念ながら、これまで行われた夫婦間の問題への介入は、妻をサポートすることにばかり力点が置かれ、夫を「悪者」として扱いがちだった。そうした介入の結果は、大抵、夫婦を別れさせるという方向に向かわせる。それによって、子供は父親を失うことになるばかりか、「悪い父親」という否定的な父親のイメージを生涯背負わされる。

・悪循環を防ぎ、関係を修復する上で大事なのは、一つ一つの行動の善悪にとらわれ過ぎず、もっと大きなダイナミズムで問題を見るということだ。

・行為の善悪だけを問題にすることは、関係の修復ではなく、関係の破壊に手を貸すことになる。

・裏切られたと思っているのなら、それは間違っている。最初から、勝手な期待をかけただけなのだ。

・あなたが求めるような理想の存在など、現実には存在しない。それと比べれば、みんな欠陥品になってしまうだろう。

・いつのまにか否定的な父親像と同一視し、嫌悪や怒りを感じているとしたら、自分の中の否定的な父親像の支配に気づき、それを無関係な存在に投影してしまう悪い癖を脱することこそが課題なのだ。

・相手の欠点も含めて受け入れ、そのトータルな存在を大切に思うということが、真の意味での愛するということなのだ。相手だけを悪者視線する幼い思考を脱しよう。

・否定的な父親像は、現実の父親の嫌な面を見せられて作られてきたという部分もあるが、それ以上に母親や周囲の大人の反応や言葉によって誘導されたものだという部分が少なくない。

・否定的な父親像は、少なからず「捏造」されたり、誇張されたものであることが多い。ことに、そこにかかわっているのは母親の操作や作為だ。

・気分の起伏が激しかったり、被害的な受け止め方がきつかったり、よく子供の前で嘆いたり、人の悪口を言うような母親をもつ場合には、母親によって父親のイメージが歪められている可能性が高い。自分が抱いている否定的な父親イメージを疑ってかかる必要がある。

・何度も否定的な言葉を聞かされるうちに、すべての体験を否定的なフィルターを通して見てしまうのだ。

・その人を「被害者」にすることで終わっては、決してその人が抱えた問題や心の傷を乗り越える助けにはならない。





父という病 (一般書)

父という病 (一般書)

  • 作者: 岡田 尊司
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2014/03/20
  • メディア: 単行本



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