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『氷川清話』 [☆☆]

・人柄もしごく老成円熟していて、人と議論などするようなやぼはけっしてやらなかった。

・一時の感情に制せられず、冷ややかな頭をもって国家の利害を考え、群議を排して自分の信ずるところを行なうというには、必ず胸中に余裕がなくてはできないものだ。

・あのころの諸侯の家老というものは、多くは学問も見識もない、わからないやつらばかりで、足軽などにかつぎまわされていた。

・漢学というものは、けっしてわるい学問ではない。それが今日のようにいっこうにふるわないというのは、つまり漢学が悪いのではなくって、漢学をやる人が悪いからだ。

・日本人ももう少し公共心というものを養成しなければ、東洋の英国などと気どっていたところで、その実はなかなかみることはできまいよ。

・金がなくて苦しくても、するだけのことはいたしておかないと、自然と人気が落ちてまいりまして、終いにはお客さんが、ここのものはサカナまでが腐っているとおぼしめすようになってしまいます。

・自分の意見があればこそ、自分の腕を運用して力があるが、人の知恵で働こうとすれば、食い違いのできるのはあたりまえさ。

・その人の見ようによって、善ともなり悪ともなり、利ともなり害ともなるのだ。そこがまた世の中のおもしろいところさ。

・世の中はますますつまらなくなって、新聞紙も、政論家も、時勢おくれの空論ばかりにて、日を暮らしている。およそこの空論ほど無益なものは、世の中にまたとない。

・岡目八目、他人のうつ手は批評ができる。

・シナは国家ではない。あれはただ人民の社会だ。政治などどうなってもかまわない。自分さえ利益を得れば、それでシナ人は満足するのだ。

・今の小説家は、なぜうがちが下手だろう。諷刺ということをほとんど知らない。たまたま書けば、真面目で新聞に毒づくくらいのことだ。気が短いのか、それともまた、脳みそが不足なのか。

・諷刺が浅はかで、すぐに人を怒らせるなどは、あまり知恵がないではないか。

・およそ仕事をあせるものに、大事業ができたという例がない。こせこせと働きさえすれば、もうかるなどというのは、日雇い人足や、素町人や土百姓のことだ。

・近ごろ世間で時々西郷がいたらとか、大久保がいたらとかいうものがあるが、あれはひっきょう自分の責任を免れるための口実だ。人をあてにしてはだめだからだ。自分で西郷や大久保の代わりをやればよいではないか。

・江戸は大阪などとは違って、商売が盛んなのでもなく、物産が豊かなのでもなく、ただ政治の中心というというので、人が多く集まるから繁昌していたばかりなのだ。

・徳川幕府の政策では、盲人の保護のために特別の措置として、盲人の高利貸を公認し、盲人から借りた金を返さない場合は、その借りた人間を罰したのである。

・赤穂浪士四十七人のうち堀部安兵衛は伯父の仇討ちの助人で高田馬場で真剣勝負をした経験があったが、その他の四十六人は大石を初めとして誰も吉良邸討入りまで、人を斬った経験がなかったという。

・現代のように学校を出たら最後、生涯、定年まで休みなしに役所や会社でコキ使われるのでは、「生涯教育」も何もあったものではない。

・「わが国は、貴国に比べると、万事につけて進歩は鈍いけれど、その代わり一度動きはじめると、けっして退歩はしない」といったが、シナ人の恐るべきところは、実はこの辺にあるのだ。





氷川清話 (角川文庫ソフィア)

氷川清話 (角川文庫ソフィア)

  • 作者: 勝 海舟
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1972/04
  • メディア: 文庫



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