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『耳のこり』 [☆☆]

・次々とVTRで「○○という障害を持った人が××に挑戦」と並べられると、それが「感動番組」の単なるツールに使われているようにしか見えなくて、嫌な気分にすらなる。この「嫌な気分」は、もちろんVTRの中身に対する感情ではなくて、それを「使って」いる24時間テレビへの感情である。

・世の中は、一度覚えたことを本当になかなか忘れない。過去の業績に対するリスペクトで厚遇しているというのとはまた別で、単に値踏みを誤っているとしか思えないのだが。

・最重要機関が「踊るさんま御殿」である。試験官である明石家さんまの貼ったレッテルは、テレビ界ではどこへ行っても通じるお墨付きだ。このシステムによって、次々と「意外におもしろい人」は生産されているのである。

・思いどおりになるかどうかわからない未来への投資より、思い出の反芻は目減りしにくいのだ。ベスト盤のCDが売れるのも道理である。

・朴訥とか「たまに意外なことを言う」というのは、それを丁寧にくみ取って客(視聴者)に伝達してくれる係がついていてくれなくては伝わらない。山田花子やジミー大西は、たいていの場合、そんな「係」と一緒にキャスティングされている。

・人はどうやって調子に乗り、どうやってやりすぎの一線を越え、どうやって辟易されるか。それを見物していきたいと思う。

・読んでいなくても内容について知ってしまっているということは、どれだけ語られているか(書評も含めた評判の量)ということかもしれない。

・街頭インタビューって世論の捏造に最も便利なものである。

・顔が頼りの美少女。笑ったり泣いたりして表情がつくよりも、顔のパーツが整然と並んだ無表情の状態がベスト、という感じなのである。

・小泉孝太郎の場合、「○○の息子」の○○に入るのが固有名詞ではないのである。「総理大臣」という一般名詞なのだ。そりゃほかの二世物件とはちょっと違うと言える。知名度の大小ではなく、「普通名詞」と「固有名詞」の違い。

・米国テロ事件。フジテレビのNY支局の安田美智代という記者の「逃げてっ、逃げてっ、逃げてぇーっ!」という絶叫リポート。ここから読み取れるのは「現場の緊迫感」ではなく「この女、パニクってる」ということだけではなかっただろうか。

・本当にみんな同じことを言うのだ。テレビでそういったインタビューが繰り返し流されて、見た人がそれを自分の意見として繰り返すという「からくり」が発生する。

・変わりばえがしないわりには、どんな答えが返ってきたとしてもその後の展開に光明が見えにくいような質問の繰り返しは、番組を不必要な暗部に落とし込んでいく。




耳のこり

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  • 作者: ナンシー関
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2002/04
  • メディア: 単行本



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  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2004/05/13
  • メディア: Kindle版



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