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『耳部長』 [☆☆]

・大物であることを知らしめるには、大物たる実績を積み上がるところを見せればいいわけであるが、それを見せそこねた場合は、人から大物扱いされているところを見せるという方法もある。

・思考の浅さを直感させる言葉だ。「何かありそうな感じ」ってのを見せたいんだろうなとは思うが、悲しいかな瞬時に「何もないんだろうな、きっと」と確信させる。

・下品な言葉はひとつも出てこないけど、たいへん下品なやりとりなわけである。

・いつからだろうか。こうゆう大事件が報道されると、さしずめ各局各番組各識者の「推理合戦」の様相を呈するようになったのは。

・発したコメントが、ある角度から見れば自己言及のようになっているコメンテーターは多い。

・いくら「私はできる」とか「私はすごい」という「自信」を上に積み上げても、根幹にある「自分は受け入れられないのでは」という核を狙い撃ちすれば、そんなものは一瞬にして消える。

・亡くなった父(夫)の遺産(有形、無形両方)で暮らしていくことは、残された家族の権利でもあるだろうから、娘が女優になろうが、息子が「月・9」デビューしようが、それはいいのである。

・「私もオリンピックのときは……」という「大舞台にのぞむ際の心境」あたりを経験談として披露するのがせいぜいだ。そんなとき、話はいきおい精神論みたいな漠然としたものに傾きがちである。よって、つまらない。

・「昔、芸能人だった」という悲哀を避けるには、一生芸能人でいるしかないわけだ。そのためには、すべての「生活」を商品にして、しがみつくのも当然のことなのかもしれない。

・そういえば「下手なバイオリン演奏を聴く機会ってないな」と思ったのである。娯楽として供給される(商品としての)「バイオリン演奏」って、上手な演奏に限られるからである。

・何か少しでもひっかかりそうなものがあったらとりあえず言っとけ、というのはタレントとして基本姿勢であるのかもしれない。言っといて損はない。いつそこにスポットライトが当たるかわからないから。

・そこには「真相の究明」「真実の暴露」といったものは存在せず、あるのは相手(タレント)の望む物語の完成へのお手伝い、という役どころである。



耳部長

耳部長

  • 作者: ナンシー関
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1999/06
  • メディア: 単行本



タグ:ナンシー関
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