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『誰にも死ぬという任務がある』 [☆☆]

・教育は、まだ体験しないできごとに対して「備える」ことを目的とする。跳び箱がそうだ。私たちは、ああいう障害物を飛び越えるという事態を体験することはまずない。

・人間が自分を教育するのに必要なものは、制度ではなく一人だけの毎日の闘いだ。

・自分を伸ばす方法は、ほとんど外界に関係なく、抜け駆けして自分で教育材料を見つけることだ。

・戦後教育は実にひ弱な教育をしてきた。その第一が平等や公平を信じさせたことだ。努力すれば必ず報われる。希望さえ棄てなければ、必ず成功するというような、本当の大人なら信じないようなことを、子供たちに教えてきて平気だった。

・何も詳しい事情を分からずに、他人が同情することも失礼に当たるだろう。

・最近の日本人は、幸福で当たり前、ということになっている。しかし戦前の私の子供時代、現世は「不幸が普通」だった。

・弱者に優しい新聞記者は、どんな計画性も持たなかった人にも、安心して住める家を持たせるのが政治の義務だという。

・外国の新聞は日本の新聞が書かないような面白い、そして時には教訓的な記事を載せてくれることがある。

・人間嘘つきは困るのだが、正しさを立証しようとして固くなるのも困るのである。

・実は人間は「誓ってはいけない」と聖書は有名な「マタイによる福音書」の五章で記しているのである。「あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは「然り、然り」「否、否」と言いなさい」

・しかし今は違う。すべての人の前途には希望があって当然で、素質や生まれによって差が生じることも望ましくないこととされる。

・畑仕事をすれば間引きの大切さがわかる。

・畑仕事を知らない人は、抜いてしまうのはかわいそうだから、そのままにしておきました、などと言う。しかし、うろ抜きをしなかったら、あらゆる豆も菜っ葉も育たない。

・六十八億を超える地球上の人間すべてが、一斉に百歳を超えるような長寿を得ることになると、そこにどんな形の新たな地獄が待ち受けているか、私には想像ができない。

・精神を病んだ人には、共通した一つの特徴がある。それは一人前の大人とは思えないほど利己的になる、という症状だ。

・人間はすべての人がいつか「これが最期の桜」を見ることになるのである。

・そしてその結果を病院の責任にしたり、すぐ法的な裁判に持ち込まないような社会風土をつくるより仕方がないのである。

・馬鹿は年をとっても相変わらず馬鹿で、年寄りの馬鹿は若者の馬鹿よりはるかに退屈だ。

・寄る年波に負けまいとして、ぞっとするような軽薄な態度をとる老人と、過去の時代に深く根を下ろしていて、自分を残して進んでいった世間に腹を立てている老人。

・結局残る相棒は自分だけである。私は、自分自身を相手にすることに最も永続的な満足を感じてきたことを、特に幸せだったと思う。

・私の実感では、料理ほど、人間の全神経を使う(精神を鍛える)ものはないのである。自分の好みのものを食べたいという欲求。材料を買いに行くことで世間に触れ物価を常に知っているという状態。作ったら人に食べてもらうという与える姿勢。

・偉大な智恵を思いついたのだ。それは一日に必ず一個、何かものを捨てれば、一年で三百六十五個の不要なものが片づく、ということだった。

・体力、知力において、年相応の若さを保っている人は、その存在が目立たないものだ、ということを知った。

・人間はグループの中で、普通の速度と自然な姿勢で歩いている人のことは、ほとんど注意を払わない。歩きが遅かったり、車椅子だったりする人がいつも気になる存在になるのである。意識の働きも同じだ。ごく普通にグループに混ざって行動できる人のことは、誰もあまり気にしない。

・人は個々人の弱点から老化する。私とほぼ同じ年でボケてしまった女性は、お財布の中身、つまりお金の価値と、出歩くのに必要な金額とを連動して考えられなくなっている。

・食べなくなった時が生命の尽き時。

・しかし現実に軍隊生活を体験した人に聞くと、食欲は衰えないけれど、性欲は馴れない集団生活の中では、いち早くなくなってしまうものだというのである。

・食べろと言われること自体が実に辛い、と病人が言うようになったら、それはもう自らが生を拒否している状態である。生命が自然に尽きていい時なの、解釈してもいいだろう。



誰にも死ぬという任務がある (徳間文庫)

誰にも死ぬという任務がある (徳間文庫)

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2014/02/07
  • メディア: 文庫



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