SSブログ

『死ぬ力』 [☆☆]

・現在、「芸術(アート)」と「技術(テクノロジー)」は対極的に使われる。一般に、芸術の特性は「創造(オリジナル)」であり、技術は「複製(コピー)」だというように。

・金型(die)による製造は、「技術」、すなわち複製である。しかし「金型」そのものを造るのは、「創造」であり、技術者による「創造」(世界に一個しかないもの)であり、「芸術」と呼ぶほかないものだ(と思える)。

・元老山県有朋が死んだとき、「死もまた社会奉仕」(石橋湛山)といわれた。

・「基本的人権」なんぞというものがなかったとき、非所有者(たとえば水呑百姓)が勝手に自死するのは、彼を所有するもの(領主や地主)の権利侵害と見なされた(にちがいない)のだ。

・「自殺」は、不幸の選択ではない。現前の「苦しみ」や前途の「不幸」からの解放である。この意味で、自殺は「幸福」をめざす行動以外のなにものでもない。

・法律は「殺人」を禁止はしない。殺人を処罰の対象とする(だけなのだ)。

・たしかに「近親者」の「結婚」は法律で禁じられている。だが、近親者の性交(=近親相姦)は法律で禁じられているわけではないのだ。当然、罰則はない。

・タブーとは、人間社会が、それを許すと社会(=共同体)が崩壊の危機に瀕する、と考えて設定した「禁止条項」である。

・医術は、自然治癒力を失った患者を救うことはできない。この自然治癒量を妨害する力を除去し、回復・強化・促進させることができるにすぎないのだ。

・病院に行って治療を受けたために、誤診・誤投薬その他でいわゆる「医病」状態に陥る患者も少なくない。一割弱いると見ていい。

・司馬遼太郎『新史太閤記』は、「太閤記』といいながら、秀吉が天下を取ったところで終わっている。その後の秀吉の「人生」は、語るに落ちた「愚行」だと思えたに違いない。

・「戦争のない」社会は、大いに結構だが、「戦争のできない」社会は、「戦争をする力に乏しい」社会は、総じて、活力がない。

・私は「必死」が嫌いだ。「淡々」かつ「坦々」が好きだ。

・学校でも家庭でも、日課をこなすトレーニングをしてこなかった結果である。新卒が、出社を拒否する「病気」は、家庭で、学校時代にひたすら面倒で嫌なものを回避してきた結果である。

・ほとんどの子は、普通、親が与えるもの(所与)の「差異」(不平等)を解消すべく、幼童期から奮闘努力することを強いられる。

・学校、大学、職場等々は、一見、競争の場であり、差別を助長する契機でもあるが、基本は、生まれの違いを解消する装置でもあるのだ。

・「絆」とは、「親和」関係を意味するわけではない。結び合うことは、「呪縛」でもあるのだ。

・事実だが、「実」といわれるが、書かれるまでは、どんな形にでも加工可能な、単なる素材にすぎない。書かれてはじめてリアリティを持つのだ。

・人生は紙の中にこそある。書かれてはじめて「人生」、「一人の一生」なのだ。

・「いまだ何ものでもない」(Noch-nicht-sein ノッホ ニヒト ザイン)は、有能であればあるほど、一生懸命であればあるほど、困難で悔しいものだ。

・「遊び」のうまい人、「遊び」を満喫する人の大部分は、「寸暇」を見いだして、遊びに没頭する人だ。遊びの真髄は「余暇」にあるのではない。「逆」だ。



死ぬ力 (講談社現代新書)

死ぬ力 (講談社現代新書)

  • 作者: 鷲田 小彌太
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/02/17
  • メディア: 新書



死ぬ力 (講談社現代新書)

死ぬ力 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/02/16
  • メディア: Kindle版



タグ:鷲田小彌太
nice!(0) 
共通テーマ:

nice! 0