『失敗の法則 日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか』 [☆☆]
・NHKの番組に「当たり前のことしか出ていない」という批判があるが、あれは当たり前のことしか取材しているのではなく、管理職にもわかる当たり前のことしか放送できないのだ。
・第三者委員会が、東芝の「トップが命令したら部下が逆らえない企業風土に問題がある」と指摘したのは面白い。トップの命令に部下が従うのは当たり前だが、日本の会社では当たり前ではないのだ。
・戦前の日本は強いリーダーが独裁的に指導したのではなく、そういうリーダーがいなかったから暴走したのだ。
・日本軍は佐官級の将校が作戦を決めたので「どの部隊も温存する」という建て前で戦力を分散させ、結果的には全滅することが多かった。
・過労自殺でいつも不可解なのは、自殺する決断力があるなら、どうして会社をやめる決断ができなかったのかということだ。
・グーグルが全世界に置いたコンピュータとインターネットで電通の45倍の価値を創造しているのに、電通は新入社員を明け方まで残業させて資料を作っている。この状態では、社員だけでなく会社もそのうち倒れる。
・日本の銀行がバブル期に高い収益を上げたのは、製造業に寄生していただけだ。製造業は今でも強いが、生産拠点を海外に移してしまった。
・資本集約的な機械の導入によって産業化する産業革命と対照的に、労働集約的な「勤勉」で生産性を上げるものだ。それを実現するには労働者が自発的に長時間労働する仕組みが必要だ。
・目的合理性を考えないで場の「空気」で決めるのが日本的な意思決定の特徴だ。
・野党やマスコミが「公害の防止に経済との調和を考えるのはおかしい」と攻撃したため、この条文は1970年に削除された。これによって「公害を減らすにはどんなコストをかけてもよい」という空気が生まれ、有害物質を微量でも含む商品はすべて禁止された。
・公害は「絶対悪」であり、環境保護は「絶対善」なので、コストが合理的かどうかは考えないで、リスクがゼロになるまで税金を投入する。その費用対効果を疑う者は、戦時中と同じように不道徳な「非国民」として指弾を浴びる。
・全国ベースでみても「原発ゼロ」になると、産業用の電力料金は2030年までにほぼ2倍になる。首都圏では、もう成り立たないだろう。壊滅するのは東電ではなく、日本経済である。
・技術的にはデブリを除去する必要はなく、冷却したまま原子炉をコンクリートで固める、チェルノブイリと同じ「石棺」方式で十分だ。こんな簡単な答えが出せないのは、地元感情に配慮しているからだ。
・日本の新聞は、世界的な基準でみると大衆紙なのだ。本当の大衆紙なら、芸能やエロを扱えば売れるが、それはできないので、使われるのが社会ネタである。
・世界のテレビを見るとわかるが、BBCやCNNが社会ネタをトップにすることはまずない。テロや災害でもない限り、政治・経済ネタの次に社会ネタが来て、その次にスポーツや娯楽が来る。ところが日本の新聞は、事件・事故がトップニュースになることが多い。
・日本でマスコミを「第四権力」と呼ぶことがある。これは誤訳である、英語ではfourth estateだが、estateには権力という意味はない。それは身分制度の聖職者・貴族・平民に次ぐ「第四の身分」という意味だった。
・いま新聞は斜陽産業だが、その運命もかつての聖職者に似ている。それは何者かに倒されたのではなく、不要になったのだ。
・豊洲をやめたら築地を使い続けることになるが、これは魚が地面に転がされて不衛生だから、環境基準どころか食品衛生法違反だ。
・テレビ局で教育される最大のスキルは、なるべく知的水準の低い視聴者を想定することである。NHKでは「原稿は中学三年生が見ていると思って書け」と教わる。だからテレビニュースはテキストで読むとまどろっこしく、わかりきった話が多い。
・大蔵省が不動産融資の総量規制を始めたのは1990年4月からで、このころには公示価格はまだ上がり続けていた。バブルの象徴のようにいわれる東京・芝浦のディスコ「ジュリアナ東京」が開業したのは、1991年である。
・日本の経験でもアメリカの経験でもいえるのは、破綻処理の最大の障害はマスコミだということだ。
・教育勅語を「国家新道」の教義と考えて禁止したGHQは、この点を取り違えていた。それを理解できた子供はほとんどなく、99%の子供は丸暗記して経文のように暗唱していただけだ。
・大事なのは教義ではなく、同じ文句を唱える同調圧力にあった。
・株主が主権者として労働者を支配するのが資本主義だとすれば、日本の会社はその逆に労働者が資本家を支配する「人本主義」である。
・勤労革命は、稀少な土地の生産性を高めるために極限まで長時間労働するものだった。それは資本を節約して労働を浪費するシステムなのだ。
・資本(土地)はある程度まで増やせるが、1800年頃に限界が来て、あとは長時間労働で生産性を上げるしかなかった。
・都市国家が激しい戦争を繰り返していたヨーロッパでは、都市の限られた人口を資本集約的な技術で補って稀少な労働を節約する産業革命が起こった。
・世界的にみると、中国も含めて勤労革命が多数派で、産業革命はヨーロッパの都市国家だけで生まれたものだという。
・第三者委員会が、東芝の「トップが命令したら部下が逆らえない企業風土に問題がある」と指摘したのは面白い。トップの命令に部下が従うのは当たり前だが、日本の会社では当たり前ではないのだ。
・戦前の日本は強いリーダーが独裁的に指導したのではなく、そういうリーダーがいなかったから暴走したのだ。
・日本軍は佐官級の将校が作戦を決めたので「どの部隊も温存する」という建て前で戦力を分散させ、結果的には全滅することが多かった。
・過労自殺でいつも不可解なのは、自殺する決断力があるなら、どうして会社をやめる決断ができなかったのかということだ。
・グーグルが全世界に置いたコンピュータとインターネットで電通の45倍の価値を創造しているのに、電通は新入社員を明け方まで残業させて資料を作っている。この状態では、社員だけでなく会社もそのうち倒れる。
・日本の銀行がバブル期に高い収益を上げたのは、製造業に寄生していただけだ。製造業は今でも強いが、生産拠点を海外に移してしまった。
・資本集約的な機械の導入によって産業化する産業革命と対照的に、労働集約的な「勤勉」で生産性を上げるものだ。それを実現するには労働者が自発的に長時間労働する仕組みが必要だ。
・目的合理性を考えないで場の「空気」で決めるのが日本的な意思決定の特徴だ。
・野党やマスコミが「公害の防止に経済との調和を考えるのはおかしい」と攻撃したため、この条文は1970年に削除された。これによって「公害を減らすにはどんなコストをかけてもよい」という空気が生まれ、有害物質を微量でも含む商品はすべて禁止された。
・公害は「絶対悪」であり、環境保護は「絶対善」なので、コストが合理的かどうかは考えないで、リスクがゼロになるまで税金を投入する。その費用対効果を疑う者は、戦時中と同じように不道徳な「非国民」として指弾を浴びる。
・全国ベースでみても「原発ゼロ」になると、産業用の電力料金は2030年までにほぼ2倍になる。首都圏では、もう成り立たないだろう。壊滅するのは東電ではなく、日本経済である。
・技術的にはデブリを除去する必要はなく、冷却したまま原子炉をコンクリートで固める、チェルノブイリと同じ「石棺」方式で十分だ。こんな簡単な答えが出せないのは、地元感情に配慮しているからだ。
・日本の新聞は、世界的な基準でみると大衆紙なのだ。本当の大衆紙なら、芸能やエロを扱えば売れるが、それはできないので、使われるのが社会ネタである。
・世界のテレビを見るとわかるが、BBCやCNNが社会ネタをトップにすることはまずない。テロや災害でもない限り、政治・経済ネタの次に社会ネタが来て、その次にスポーツや娯楽が来る。ところが日本の新聞は、事件・事故がトップニュースになることが多い。
・日本でマスコミを「第四権力」と呼ぶことがある。これは誤訳である、英語ではfourth estateだが、estateには権力という意味はない。それは身分制度の聖職者・貴族・平民に次ぐ「第四の身分」という意味だった。
・いま新聞は斜陽産業だが、その運命もかつての聖職者に似ている。それは何者かに倒されたのではなく、不要になったのだ。
・豊洲をやめたら築地を使い続けることになるが、これは魚が地面に転がされて不衛生だから、環境基準どころか食品衛生法違反だ。
・テレビ局で教育される最大のスキルは、なるべく知的水準の低い視聴者を想定することである。NHKでは「原稿は中学三年生が見ていると思って書け」と教わる。だからテレビニュースはテキストで読むとまどろっこしく、わかりきった話が多い。
・大蔵省が不動産融資の総量規制を始めたのは1990年4月からで、このころには公示価格はまだ上がり続けていた。バブルの象徴のようにいわれる東京・芝浦のディスコ「ジュリアナ東京」が開業したのは、1991年である。
・日本の経験でもアメリカの経験でもいえるのは、破綻処理の最大の障害はマスコミだということだ。
・教育勅語を「国家新道」の教義と考えて禁止したGHQは、この点を取り違えていた。それを理解できた子供はほとんどなく、99%の子供は丸暗記して経文のように暗唱していただけだ。
・大事なのは教義ではなく、同じ文句を唱える同調圧力にあった。
・株主が主権者として労働者を支配するのが資本主義だとすれば、日本の会社はその逆に労働者が資本家を支配する「人本主義」である。
・勤労革命は、稀少な土地の生産性を高めるために極限まで長時間労働するものだった。それは資本を節約して労働を浪費するシステムなのだ。
・資本(土地)はある程度まで増やせるが、1800年頃に限界が来て、あとは長時間労働で生産性を上げるしかなかった。
・都市国家が激しい戦争を繰り返していたヨーロッパでは、都市の限られた人口を資本集約的な技術で補って稀少な労働を節約する産業革命が起こった。
・世界的にみると、中国も含めて勤労革命が多数派で、産業革命はヨーロッパの都市国家だけで生まれたものだという。
タグ:池田信夫
2018-04-30 13:20
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