『最も危険な名作案内』 [☆]
・もしも日常から溢れでるものを持っていないのならば、あなたは書物を友にできないだろう。
・良き時代のヨーロッパ人たちが、作為的に感じた、シェイクスピアの残酷は、私たちにとっては自動車の排気ガスのように嗅ぎなれたものだ。どんな現代作家よりも、シェイクスピアは、私たちの時代を書いている。
・歴史上の名前や、史実に対する文字どおりの忠実さなどは、どうでもよい。状況が真実なのだ。いや、真実以上だといってもよい。
・優秀な人間たちが「賢明」にも身を引くことで、政治が凡庸な者たちに委ねられることを危惧している。
・ばかにされたと思ったら男は何をするかわかりません。見せしめというやつですよ。
・政治から逃げる幸福よりも、政治を我がものにする幸福の方が野太く、強く、華やかである。
・女性の謎は、いくつもある。たとえいくら足に負担がかかっても、見場のいい靴を履く。古来支那の悪習とされている纏足は、男性が女性におしつけたものではなくて、女性がすすんで推進したものだ、と確信した。
・女は友達を作らない。とかく女性たちが──それこそ手洗いにまで手をつないでいかないと気がすまない女学生のような流儀で──つるまないではいられないのも、実に友達というものがいない、場とその損得で関係が成立しているがゆえの、習慣であるように見える。
・わたしは異国で歓迎され、故郷にいるような感じでお祭りや出生、結婚、死、宴会、演奏会、誕生祝いに参加したあげくに、とつぜん自分が彼らの言語を話さないこと、すべてが好意のゲームであることに気づく異邦人のようだった。
・たしかに何かの「ふり」をすること、何者かになろうとすることを彼女は止めた。だが、見つけたのは、厄介きわまる自分自身ではないのか。
・もとより骰子の目に神秘があるはずもなく、神秘は骰子を投げ、出目を凝視する人の方に、その精神と認識にあるのだ。
・あんなのはみな言葉、言葉、言葉であって、必要なのは行動である!
・だがもしも一時間のうちに、すべての「運命」が変わるということを信じられないのであれば、生きるということはまったく面白みのないものではないか。
・単に所持金が増えたということだけでは、私は計りません。まず旅行の諸経費、これは当然、元金の一部です。カジノに行かずに、日本で仕事をしていた場合の利益、これも計上しなければならない。元金と一緒にそれらを差しひいて、なお所持金が増えているときにはじめて、利益というものが生まれてくるのです。
・個人にはなんの意味もない。ただ、彼がどんな貢献をしたかに意味があるだけだ。
・古代人は最も同情心に富む人を最も恐怖心の強い人と同様に最良の人と呼ばれる資格を持たないと判断していた。
・他人の不運に心を痛めるものは、また他人の繁栄に心を痛めるものだからである。
・「生活」と交わらない者を「路傍の人」として見做し、「キザな同情」など止めた方がいい。
・顔を赤らめずに「いい奴」であり得るような者は、正邪にかかわる倫理と無縁であるばかりでなく、友情とも愛情とも無縁であるだろう。
・建国から二百数十年を経て、アメリカが人類にとって実験であり、試みであり、むしろイカロスの飛翔に似た挑戦であることが忘れられている。
・日本は階級社会へと移行したのかという前提としての「階級」概念というのは、ようするに所得の問題でしかない。
・階級などはありはしない、と決めつけてしまうことは、すなわち自分の認識が大方の人間と違いはしないという致命的な油断と、高の括り方が伏在していることに気づかない。
・想像力と結びつくのは自分がしたいことじゃなくて、できることなんだ。
・漁色家のほとんどは、親しい友をもたず、むしろ友情の欠落を女性たちを狩ることで補っているように見える。
・男が女性にたいして唯一優位にたてるところがあるとすれば、それは無意味なことに熱中できることだけだろう。
・今日、男性の存在が弱々しく、ときに不様に見えてしまうのは、この無意味なことが社会の中心からなくなってきたからだろう。無意味なことの、一番大きなものは戦争だ。
・満鉄主要駅のある都市には、日本人家族のための住宅街が作られていたが、外地ということもあって、それぞれ核家族を対象にしながら、当時の内地では異例であった、子供たちにも一部屋ずつをあてがい、暖炉とソファのある応接間が家庭団欒の中心となるような。つまりは戦後のマイホームを先取りするような小さい一戸建てが、その住宅地には、びっしりと並んでいたのである。
・人生の不幸をしょっているのは社会の上層と下層の者にかぎられている。中くらいの者はほとんど災難らしい災難はうけることはない。ところが、あの連中ときたらどうだ。一方では、淫らで、贅沢で、無軌道な生活がたたり、かと思うともう一方では、はげしい労働や貧乏な生活、ほとんど喰うや喰わずの生活がたたる、というわけで、こういう生活のゆきつくところは自然心身の異状ということになる。
・暗い性格の人は不幸かというと、それはまた違う相対性であって、幸福とか不幸は関係ない。それよりも、暗さに浸っている時が割と気持ちいいのだ。シンコクな人はシンコクぶってる時が気持ちいいのだ。
・良き時代のヨーロッパ人たちが、作為的に感じた、シェイクスピアの残酷は、私たちにとっては自動車の排気ガスのように嗅ぎなれたものだ。どんな現代作家よりも、シェイクスピアは、私たちの時代を書いている。
・歴史上の名前や、史実に対する文字どおりの忠実さなどは、どうでもよい。状況が真実なのだ。いや、真実以上だといってもよい。
・優秀な人間たちが「賢明」にも身を引くことで、政治が凡庸な者たちに委ねられることを危惧している。
・ばかにされたと思ったら男は何をするかわかりません。見せしめというやつですよ。
・政治から逃げる幸福よりも、政治を我がものにする幸福の方が野太く、強く、華やかである。
・女性の謎は、いくつもある。たとえいくら足に負担がかかっても、見場のいい靴を履く。古来支那の悪習とされている纏足は、男性が女性におしつけたものではなくて、女性がすすんで推進したものだ、と確信した。
・女は友達を作らない。とかく女性たちが──それこそ手洗いにまで手をつないでいかないと気がすまない女学生のような流儀で──つるまないではいられないのも、実に友達というものがいない、場とその損得で関係が成立しているがゆえの、習慣であるように見える。
・わたしは異国で歓迎され、故郷にいるような感じでお祭りや出生、結婚、死、宴会、演奏会、誕生祝いに参加したあげくに、とつぜん自分が彼らの言語を話さないこと、すべてが好意のゲームであることに気づく異邦人のようだった。
・たしかに何かの「ふり」をすること、何者かになろうとすることを彼女は止めた。だが、見つけたのは、厄介きわまる自分自身ではないのか。
・もとより骰子の目に神秘があるはずもなく、神秘は骰子を投げ、出目を凝視する人の方に、その精神と認識にあるのだ。
・あんなのはみな言葉、言葉、言葉であって、必要なのは行動である!
・だがもしも一時間のうちに、すべての「運命」が変わるということを信じられないのであれば、生きるということはまったく面白みのないものではないか。
・単に所持金が増えたということだけでは、私は計りません。まず旅行の諸経費、これは当然、元金の一部です。カジノに行かずに、日本で仕事をしていた場合の利益、これも計上しなければならない。元金と一緒にそれらを差しひいて、なお所持金が増えているときにはじめて、利益というものが生まれてくるのです。
・個人にはなんの意味もない。ただ、彼がどんな貢献をしたかに意味があるだけだ。
・古代人は最も同情心に富む人を最も恐怖心の強い人と同様に最良の人と呼ばれる資格を持たないと判断していた。
・他人の不運に心を痛めるものは、また他人の繁栄に心を痛めるものだからである。
・「生活」と交わらない者を「路傍の人」として見做し、「キザな同情」など止めた方がいい。
・顔を赤らめずに「いい奴」であり得るような者は、正邪にかかわる倫理と無縁であるばかりでなく、友情とも愛情とも無縁であるだろう。
・建国から二百数十年を経て、アメリカが人類にとって実験であり、試みであり、むしろイカロスの飛翔に似た挑戦であることが忘れられている。
・日本は階級社会へと移行したのかという前提としての「階級」概念というのは、ようするに所得の問題でしかない。
・階級などはありはしない、と決めつけてしまうことは、すなわち自分の認識が大方の人間と違いはしないという致命的な油断と、高の括り方が伏在していることに気づかない。
・想像力と結びつくのは自分がしたいことじゃなくて、できることなんだ。
・漁色家のほとんどは、親しい友をもたず、むしろ友情の欠落を女性たちを狩ることで補っているように見える。
・男が女性にたいして唯一優位にたてるところがあるとすれば、それは無意味なことに熱中できることだけだろう。
・今日、男性の存在が弱々しく、ときに不様に見えてしまうのは、この無意味なことが社会の中心からなくなってきたからだろう。無意味なことの、一番大きなものは戦争だ。
・満鉄主要駅のある都市には、日本人家族のための住宅街が作られていたが、外地ということもあって、それぞれ核家族を対象にしながら、当時の内地では異例であった、子供たちにも一部屋ずつをあてがい、暖炉とソファのある応接間が家庭団欒の中心となるような。つまりは戦後のマイホームを先取りするような小さい一戸建てが、その住宅地には、びっしりと並んでいたのである。
・人生の不幸をしょっているのは社会の上層と下層の者にかぎられている。中くらいの者はほとんど災難らしい災難はうけることはない。ところが、あの連中ときたらどうだ。一方では、淫らで、贅沢で、無軌道な生活がたたり、かと思うともう一方では、はげしい労働や貧乏な生活、ほとんど喰うや喰わずの生活がたたる、というわけで、こういう生活のゆきつくところは自然心身の異状ということになる。
・暗い性格の人は不幸かというと、それはまた違う相対性であって、幸福とか不幸は関係ない。それよりも、暗さに浸っている時が割と気持ちいいのだ。シンコクな人はシンコクぶってる時が気持ちいいのだ。
最も危険な名作案内~あなたの成熟を問う34冊の嗜み~ (ワニブックスPLUS新書)
- 作者: 福田 和也
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2009/12/08
- メディア: 新書
タグ:福田和也