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『「権力社会」中国と「文化社会」日本』 [☆☆]

・非専門家は、非専門にとどまって、多くの現象を「常識的
・一般的」に列挙するだけに終始しがちである。それは、一時的には面白く見えるものの、時期が過ぎれば何も残らなくなるのである。

・中国の権力は、「民主的選挙をやっていない」という政治的弱みを補うために、逆に民主主義以上に民衆の意思に敏感となり、最大限にそれを尊重しようとしているのである。

・近代以来の中国では、民衆は、「何でも信じる」と「何も信じない」という二つの極端な局面と並んで、「媚外」(外国に媚びる)と「憤外」(外国に憤る)という、もう二つの極端な局面のどちらかに走ってしまいがちである。

・いまの世界はまさにグローバル化の時代であって、一つの社会・国家がどこまで「開放的」か、どれぐらい外部社会と歩調を合わせられるかによって、その運命が決められる。

・日中関係を百年単位ないし千年単位で見てみると、日中のどちらかが圧倒的に強かったり、または弱かったりしているときには、よい意味でも悪い意味でも、日中関係は「必ずうまくいく」。逆に、どちらも同じぐらいであって、大きな落差が感じられていないときには、「必ずつまずいている」。

・誰かに同情できるのは、相手が自分より「かわいそう」なときであって、自分が相手よりも余裕を持っていることを前提としている。

・「永遠に成功しなくてもよいが、絶対に一度も失敗してはいけない」という雰囲気が、多くの会社、機関、組織の間で事実上漂っている。

・中国においては、社会または人々は、あくまで将来から現在を捉えて、将来から現在の権威を引き出そうとするのである。これに対して、日本においては、社会または人々は、あくまで過去から現在を捉えて、過去から現在の権威を引き出そうとするのである。

・中国は、将来から現在を見ているので、元受刑者に明らかな再犯の危険性を感じ取らない限り、あまり過去の犯罪と現在ないし将来とを結びつけず、普通の付き合いをする。これに対して、日本は過去から現在を見ているので、たとえ元受刑者には一切再犯の危険性が見受けられなくても、かつて犯罪者として処罰を受けたこと自体が、現在ないし将来にとって大きな文化的意義を有しており、なかなか普通の人々として付き合えないのである。

・中国人の場合は、「大テーマを選んで、それを理論的にみる」ことが好きです。これに対して、日本人の場合は、「小テーマを選んで、それを実証的にみる」ことが志向されます。

・中国人の場合は「森」を見がちであるのに対して、日本人の場合は「木」を見がちであるといえる。

・日本が観光客に与える最も強い印象は、高層ビルの多さやその外観の豪華さではなく、むしろ、そのなかの清潔さ・きれいさである。

・素人であっても長くやっていればもう「玄人」であるかのように思い、またそういうのである。

・中国でいう「友達」とは、まさに、いざというときに何かをしてくれる者のことであって、規則正しく礼状を書くかどうかは決して重要ではなく、礼状・儀式にこだわりすぎると、かえって距離感が生まれてきて、友達でなくなるのである。

・「権力」や「政治」というものは、常に利益のない状態を出発点として、そこから利益のある状態を作り出すのを到達点とする。

・「強者」になれる力を持っていても、「極端な強者」になってはいけないのである。

・日本においては、人々は本能的に、強者をただ「強者」であるだけで「是」と見なしてそれに同調する。逆に、弱者をただ「弱者」であるだけで「非」と見なして、それに苛立つ。

・「弱強発想」の中国は、特に国際関係においては、常に小さい国・弱い国の味方・代弁者として自認し、相手が小さい国・弱い国であるならばひたすら友好しようとする一方、逆に、強い国・超大国に対してはひたすら「反感」を表明して、無意味に対抗しようとする。

・「最小限の法律的ルールの下で最大限の社会的競争を行う」というのが米国の本当の姿である。

・「同士」としての面ばかりを強調し、「友好一辺倒」ならば、どうしても相手に自分と同じように行動することを無意識のうちに想定し、要求するようになってしまう。そして、相手がすこしでも違うことをすると、必要以上に失望し、責めるようになって、「同士」「友好」の面をも無視してしまう。

・いまはグローバル化の時代である。このような時代においては、一国の指導者はもはや自分の「一国」の指導者だけではなくなり、ほかの国の指導者。地球社会の指導者にもなっている。自国の利益を計るためには、ほかの国々の利益をも考えなければならない。

・国内の政治状況に必要以上に敏感になると、政治家・指導者はただの民意・世論の「集計器」と化し、一種の「政治的イデオロギー」が蔓延し、国が「国」でなくなり、やはり世界に見捨てられる。

・いまの時代はグローバル化の時代である。こういう時代では、隣同士が必死に近づこうとするのは世界的な流れになっている。それに反して、近隣との関係を悪くして、わざわざ離れようとするのは、淘汰される道を歩もうとすることに等しい。

・政治家達が「大衆外交」「ムード外交」をしたり、外交を国内政治において自らの政治力の増強や選挙対策として使ったりすると、とっても恐ろしい結果になりかねない。

・世論の形成において中心的役割を果たしているマスメディア関係者も、外交関係または外国のことに絡んで安易に世論に迎合したり、軽率に社会を煽ったりすると、恐ろしい結果になりかねない。



「権力社会」中国と「文化社会」日本 (集英社新書)

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  • 作者: 王雲海
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/06/16
  • メディア: 新書



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