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『伊藤計劃記録:第弐位相』 [☆☆]

・人を殺すことを、人を殺して静かに狂っていくことを実感できる距離での戦闘を、神はアメリカに要求した。

・現地に住んでいる人間に、イデオロギーと訓練を与えて攻撃させるのがいちばんだ。

・見え見えの冗談に「お前馬鹿か」みたいな普通のリアクションをするのもつまらんからな。

・一般的に思われているような木の葉や枝は絶対に使わない。それらは折った瞬間から枯れはじめ、周囲との色の違いは本人が思っている以上に厳しいからだ。

・イギリスでは、このグレート・ブリテンでは、国民をサブジェクトと呼ぶ。題名(サブジェクト)、対象(サブジェクト)、附属物(サブジェクト)。われわれは国王陛下の臣民(サブジェクト)なのさ。

・彼女はまるで戦場という獣に宿る寄生虫のように、戦争を媒介にして存在してきたのだ。

・宗教でもいい、イデオロギーでもいい、なにか、人が生きるというただそれだけの、シンプルな仕事にまったく関係のない、そういった抽象概念を崇拝していなければ、そうした重荷には耐えられまい。

・誰か他人の赤子を抱かせてもらえるほどに、幸せな家庭を築いている人間と親しくなったことはなかった。

・長いこと、からだひとつしか資本のない人間にとっていちばんの売り物は軍事力だった。

・きっちりとエンバーマーが表情をつくり、化粧もじゅうぶんにほどこされ、永遠の凍りついた偽りの安らかさをたたえている。

・なんといっても人間自身が兵器システムそのものに他ならないのだから、兵器が機械であるか生き物であるかなど、心底どうでもいい話なのだ。

・リーダーはいないが、個々の単純な命令セット群が相互干渉し、あたかもコントロールされた群のようなふるまいをするようになっている。

・場違いにならないぎりぎりのフォーマルさは、国家安全保障会議(NSC)だ。

・重い責任に、少ない助け。ヒーローの常道。

・口伝されたディテールの集積でしか、もはや「おれたち」を保てなくなっちまっているのさ。

・そんな弱々しい得物でおれたちを否定できると思ってるのか。声に力がないぜ。言葉を得物にするつもりなら、もっと堂々とやらにゃだめだ。

・病気、とは罹った当人にとっては甚だ厄介な物で、金と時間と自由を容赦なく浪費させ、時には命すらも奪ってゆく。

・進化とは、あくまで環境に対するその場しのぎの集合体、ようするにつぎはぎでできた服のようなものなのだ。そこには一時的なプラスこそあれ、全体として前進しているわけではない。

・科学技術によって維持される身体。科学技術がなければ消滅してしまう身体。これが意味するのは、ようするにぼくはサイボーグだってことだ。

・まわりじゅう全てを人間の手を介した存在に囲まれて暮らすということ。それはつまり、人間の思考の中に生きるということだ。

・制約がもたらした、メロディーへの貪欲さ、この迫力を、いまのゲーム音楽は持ち得ているだろうか。「ふつうのおんがく」になってしまった今のゲーム音楽は。

・ウェブ、インターネットというのは、こんなにも他人の言葉をひいて考えること、世界に向き合うことを停止する引金に、たやすく堕落するものだったのだろうか。

・どれもが不可能なカメラ位置を徹底して禁じているために、どうにもこうにも本物に見える。

・システムの構成要素として機能する人間たちの、メカニクスとしての「ふるまい」を描く必要があったはずなのだ。

・システムとしての戦闘遂行を描くこと。「運用」を描くこと。それはとてもとても見ていてわくわくする、「美しい」ことなのだ。

・自分の原風景を表出したとき、オリンピックでも学生運動でもベトナム戦争でもない80年代の記憶がロードされる世代の出現。

・ハイテクノロジーを生み出す能力を持った多国籍企業が階層の上部にあり、ネットワークが国家の境界を消失させている世界。それが80年代の描く未来、資本主義の行き着く先であるはずだった。

・二極化した「ワタシ」と「セカイ」のあいだには虚無しかなく、そこをほっそい糸が直リンしている。

・一般市民をまきこんだユビキタスな戦場の「描きにくい戦争」。

・ヒーローというのは、目的がひとつしかない人物のことだ。

・単なる出来事の連鎖。因果も連鎖もない残酷で無情で理不尽な出来事の連鎖。それを通常人々は神話と言い、叙事という。

・何か大きなことが成し遂げられるわけでもなく、その場その場の出来事に対して人々がそうあるべき反応を返しつつ対立と衝突が発生し、物語が収束する。それは叙事だ。

・「ただ存在し、起こる」圧倒的な世界の有り様。

・他人のおもちゃ箱。自分が好きなものだけを溜め込んだ箱というものは普通、怨念や暗さやアクや苦味も詰まっているもんだ。だから他人のおもちゃ箱を覗いたところで、趣味があわなきゃ苦痛で仕方がないだろう。

・他国の文化を紹介するのに、その文化におけるイレギュラー、つまり変態を紹介したらとんでもない誤解を受けるに決まっている。日本文学を紹介するのにヤプーを読ませる馬鹿はいない。

・まだそちらに行くべきではなかったのに、踏み出してしまったために、過去の技法が退屈になり、しかしそれが採用した新たな技法はまだ成熟していない。

・戦争は完全に人工的な需要であり、経済システムの外にあるがゆえ、経済コントロールにおけるバッファの役割を果たすことができる唯一の機能である。

・呼吸は映らない。ならばその口許に蜘蛛の巣を置こう。

・「日本人は堕落してしまった……」というナレーションに被るパラパラを躍る顔の黒い少女たちの映像、という正気の人間には正視できない、それこそ「唯一のイデオロギーであった恥じの感覚」を捨て去らなければ見つめることがかなわぬ映像。

・地の文でもかまわず会話体で心理描写をして読者を引き付ける。これをやると、異様にリーダビリティが高い、感情移入のカタマリのような小説が出来上がる。

・思うに、煙草に対する嫌悪とは、酔っ払いを見たときに感じる嫌悪を思いっきり薄くしたものなのではないだろうか。つまり、我知らずアディクトしている人を見る嫌悪感だ。

・オタクの服装とは、究極的には外に延長された自室である。

・人がアディクトしている現場を見るというのは、言い換えれば自制を失っているところを見ることだ。

・日常においては決して繋がることのない二つの異質な単語が合体したときに生まれる、観たことのない世界。

・ただ、世界を見つめる、その視線そのものが残酷なんだ、ということを「現実を見ろ」と叫ぶどれだけの人が理解しているのだろうか。

・映画を観て得られるものは、その本人の感性や知性のレベルに見合ったものでしかない。

・ケンカしている双方のあいだに立って、まっとうなことを言った場合、大体の場合双方から怨まれます。当事者が熱くなっているのに、その第三者だけ冷静に正しいことを言う場合が多いからです。痛いところを突かれた二人は大体の場合、激怒します。

・理想郷は理想人の集合によってしか存在し得ない。

・これがフィクションだったらよかったのに、見て、面白がっているあいだ、ずっとそのような罪悪感があった。

・事後的な世界にいるわれわれは忘れがちだけれども、「何が起こったのか」は瞬間に把握されることではない。

・「24」を見ると、かつてフィクションではリアリティの埒外だった「めっさ人が犠牲になる」という感覚が、アメリカ本土ではとっくに「物語許容リアリティ」として受け入れられていることに気付かされます。

・皆メインストリームしか見ておらず、「あれは神」「萎え」などと快不快の伝達に終始し、青臭い批評的アクションを起こすものは皆無だ。

・人とつるむために作品を消費している彼らは、学校の休み時間に話題にされるテレビと大差ない作品との付き合い方をしている。コミュニケーションの緩衝材だ。

・かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。それはもちろん、外から見ればイタい集団ではあるが、そこにいた連中はお互いのイタさを知っていた。そして、オタク文化がメジャーになったとき、クラスの中心にいた連中もそこに流れ込み、「薄い」ひとたちはその薄さゆえに天下をとった。

・生真面目というのはどういうことか、というと、ユーモアは入れてもギャグは入れないというと分かりやすいかもしれない。

・人間ドラマ云々とオウムのように繰り返すオウム並みのおりこうさん。

・冷戦もしくはもっと古い時代のテクノロジーが、アップデートされずだらだらと現役でまだゾンビのように生き残っている場所。

・ソ連が崩壊し、戦争の仕組みが大きく変容すると、平和維持軍としての海外派遣や即応軍、あるいは対テロ活動といった、軍に要求される戦争遂行力の質も変化した。

・時間は不可逆な素材からできている。時間が元に戻らないからこそ、罪というものは存在するのだ。

・悪党の中には、金めあてなど理屈で判る動機が無く、世界が燃え尽きるのを見物したいだけの奴もいるんです。



伊藤計劃記録:第弐位相

伊藤計劃記録:第弐位相

  • 作者: 伊藤 計劃
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2011/03
  • メディア: 単行本



タグ:伊藤計劃
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