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『絵筆のいらない絵画教室』 [☆☆]

・芸術の本質とは、世界をどのように見るかです。かくテクニックなどは瑣末な枝葉にすぎません。

・ダメな画家は、画家に学ぶ。優れた画家は、自然に学ぶ。

・古代ギリシアの哲学者で散歩学派とよばれた人たちがいましたが、歩くことは脳の働きを活性化させ、斬新なアイデアを生むきっかけにもなります。

・ぼくたちが当たり前だと思っている常識の背後には、とてつもなく広大な闇が広がっている。人は大人になるにしたがって、その闇の存在を忘れ、何でも分かっている気分になるものです。しかし子供には、世界は闇だらけです。

・フランスの哲学者ミッシエル・フーコーは、その著『言葉と物』の中で、言葉というのは名詞とその修飾語だ、と述べています。つまり言葉の中心は名詞だというのです。

・サルトルに『嘔吐』という小説があります。主人公の男が、公園にでかけ、ゴツゴツとした奇妙な物体を見つけ、気分が悪くなり吐き気に襲われます。その男が、それがマロニエの木の根っこであることに気づきます。そういった名前が思い浮かんだとき、男の吐き気は消えます。名前をつけることには、それほどに不思議な力があるのです。

・名前がないよりも、お化けのほうが怖くありません。名前がつけば、次に何をすればいいかが分かるからです。お化けなら逃げればいい。泥棒なら人を呼べばいい。しかし名前がなければ何もできません。

・2歳くらいの子供が「あれ、なーに?」と質問をするのも、単に名前を知って物知りになりたいということではなく、得体の知れない不安に押されてのことなのかもしれません。

・体の中の状態(=情報)を、脳のどこかで知覚しているのは確かです。そんな内臓の世界が、ぼんやりとしたあいまいな状態で、その人の「気分」に何らかの影響を及ぼします。そういう内臓の世界がつくりだす気分を「こころ」と言いました。つまり「こころ」は、脳ではなく内臓にある、というのです。

・そもそも「何かをかく」ということは「何かをかかない」ということでもあります。何かをかかないことで、かくべきものがより浮かび上がるのです。

・才能がある、というのは、他人よりも能力が過剰にあることではなくて、何かの能力が欠如していることなのかもしれません。

・絵は、論文の挿絵ではない。説明ではなくて「表現」になっていないといけない。絵でしかかけない、言葉では説明できない何かが、絵の中にあるかをチェックしよう。

・細かい細部はいくらでもかける。しかしそれをどう省略するか、そういったかき方に挑戦するようになれば万全である。

・「光と影」をかくだけでも、対象をかくことができる。ここでは輪郭線で形をかいたりしないで、影だけをかくように努力したい。

・クロッキーは、野球やテニスでいえば素振りのようなものだ。毎日くりかえすことで、手も自由に動くようになり、ものもよく見えるようになる。ともかく量をかくことである。



絵筆のいらない絵画教室

絵筆のいらない絵画教室

  • 作者: 布施 英利
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2000/11
  • メディア: 単行本



タグ:布施英利
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