『グッド・ニュース 持続可能な社会はもう始まっている』 [☆☆]
・知恵と道徳心のある者は、花を傷つけずに蜜を得る蜂のように暮らしを立てている。
・人と人が顔を合わせて話をすると、不思議なことに意見を一致させることができるのですよ。どんな会話も、ある程度の信頼を生むものです。
・予防原則という基本ルールに従います。疑わしいものは避けられるのであれば避け、さらなる科学の解明を待つ。
・誰でも知っているように、政治家というのは圧力がないと動かないものです。
・人間の労働の方がずっと安くつくことがわかった。機械は初期コストが膨大なだけでなく、常に燃料や修理が必要となる。
・カナダ東部やアメリカで生産された豚肉は、常にアジアの市場に出荷されているが、これらの豚肉はカナダやアメリカの政府から補助金を受けている。もし真のコストを加えたら、生産者は、それを負担してまで、なおもそのように環境に有害な方法で豚肉を生産し続ける経済的余裕はなくなるはずだ。
・秘密は民主主義の対極にあるもの。
・この会社は、依然として第一次産業革命の規範の中で事業を経営していたので、発ガン性のあることがわかっている有害物質を作り出していただけでなく、他の人々にその有害物質の安全性を確信させようと懸命になっていた。
・適切な目標と課題を持って、小さなグループの中にいる時には、私たちは皆、何をすべきかがわかっています。ところが、企業資本主義という世界の中の社会全体としては、私たちはあまり賢くないのです。
・希望を持つということは、とても暗い穴から、はるか遠くにある光を見つけ出すようなものだ。そういう意味では、希望はそこかしこに十分ある。世界は希望に満ちている。
・私たちがとれる最善の策は、同じ系統の中で一番近い種を持ち込んで、もう一度進化が起こってくれるように願うことでした。
・宇宙や地質学の時間枠ほどではないけれど、政治家などが考えるよりはずっと長い時間枠で見る必要があるのです。
・作物や家畜を他の種と分け合わなくてすめば、自分たちの利益が大きくなるだろうと考えたのだが、わずか二世代ほどの間に、草食動物は野性のものも家畜も減少を始め、その動物たちが餌にしていた草もなくなり始めた。
・砂漠化は、実は、ある地域における生命体の減少を意味しており、つまり、生物多様性が次第に失われていっているということなのだ。
・草食動物が好む草の多くは、動物に食べられた場合にしか正常に再生しないことを発見した。燃やした場合、このような在来種の多年草は、次第に消えていくのである。
・一種類の草食動物だけをある牧草地に長期間にわたって放牧すると、その動物にも草にも支障をきたす。
・単純化されて衰えつつある脆弱な生態系に、食物連鎖の高位に位置する捕食動物を導入すると、あらゆる種どうしの相互関係が複雑さを増し、それによって、突然に、生態系の中のほとんどすべてのものの寿命が伸び、健康になる。
・陸地に降る雨だけが再生可能な淡水源であるのに、世界の人口は1年に約8500万人ずつ増え続けている。それによって、ひとり当たりが使える淡水の量は急激に減っている。
・干ばつ防止の答えは、大中規模のダムによる大量貯水計画にあるのではない。農場レベルや村レベルで建設される小規模の貯水用建造物にあるのだ。
・従来の灌漑法では、灌漑に用いた水のうち、実際に作物の育成に使われる水が20パーセント以下であるのに対し、点滴灌漑の場合、95パーセントにもなる。散水灌漑では、散水されたうちの何と92パーセントが蒸発してしまう。
・さし当たり、私たちはどれだけの物が必要なのかを自分自身に問いかけ続ける必要がある。
・大規模ダム事業は、最初は夢の事業だった。だが結局、悪夢に終わった。目を覚ます時が来たのだ。
・大半の国では、ダムを造る能力が近代化や進歩という概念全体と結びつき、ダムは「愛国心を示すコンクリート製の旗印のようなもの」だった。
・家畜は、以前、私たち人間が食べられない草を良質のタンパク質に変換していたが、今では、世界中で生産される穀物の半分が、人間の食料にならずに、動物を太らせるために使われている。
・これ以上、農地から人を動員する必要はない。なぜなら、離農した人たちが就けるような高賃金の工場の職はもうないからだ。というか、今では、高賃金の工場の職など誰も見つけることはできない。
・政策を「予防原則」から「リスク管理」へと転換した。リスク管理政策の下では、監督官庁は、有害の疑いがある物質はどんなものも詳細な調査が終わるまで使用を控えるよう求めるのではない。何人の人が死んだり病気になったりした時点でその物質が規制に値するだけの危険なものだという判断を下せばよいかを、その官庁が決めてよいのだ。
・人というのは、論理的に正しいと判断したからではなく、今までいつもそうやってきたから、という理由だけで何かを行いがちだ。
・林業家たちは、経済学は学んでいるが、すべての基礎である森林生態系については学んでいない。
・エビやホタテ貝の漁に出たときに、小さなマグロがかかった場合には、将来成長すれば大いに高値がつくかもしれないのに、通常「混獲物」として廃棄してしまうのだ。
・延縄には、餌をつけた針が何百本もついていて、狙った獲物がかかるだけでなく、何千匹ものサメやウミガメや、その他絶滅の恐れのある種も死んでしまう。
・利用者がこのような禁止例に従うのは、事態の重大さを完全に理解し、資源の保全に利害をもつときだけだ。つまり、自分たちの行動を規制することによって、その犠牲行為が自分たちあるいはその子供たちに恩恵をもたらすとわかっているときである。
・「これこそが答えだ」という人は皆、大バカ者だ、答えはたくさんあるのだ。そこが肝心なところである。それこそが多様性ということだ。
・言うは易し。だが、たいていは口に出すことから始まるのだ。
・ある産業が経済的に成り立つかどうかを判断するひとつの方法としては、もし政府があらゆる種類の補助金やえこひいきをなくした場合に、その産業が利益をあげられるかどうかを考えればいい。
・現在のような学校は、産業革命で生まれたものであり、田舎の人々が従順な工場労働者になれるように教育するものだった。
・人と人が顔を合わせて話をすると、不思議なことに意見を一致させることができるのですよ。どんな会話も、ある程度の信頼を生むものです。
・予防原則という基本ルールに従います。疑わしいものは避けられるのであれば避け、さらなる科学の解明を待つ。
・誰でも知っているように、政治家というのは圧力がないと動かないものです。
・人間の労働の方がずっと安くつくことがわかった。機械は初期コストが膨大なだけでなく、常に燃料や修理が必要となる。
・カナダ東部やアメリカで生産された豚肉は、常にアジアの市場に出荷されているが、これらの豚肉はカナダやアメリカの政府から補助金を受けている。もし真のコストを加えたら、生産者は、それを負担してまで、なおもそのように環境に有害な方法で豚肉を生産し続ける経済的余裕はなくなるはずだ。
・秘密は民主主義の対極にあるもの。
・この会社は、依然として第一次産業革命の規範の中で事業を経営していたので、発ガン性のあることがわかっている有害物質を作り出していただけでなく、他の人々にその有害物質の安全性を確信させようと懸命になっていた。
・適切な目標と課題を持って、小さなグループの中にいる時には、私たちは皆、何をすべきかがわかっています。ところが、企業資本主義という世界の中の社会全体としては、私たちはあまり賢くないのです。
・希望を持つということは、とても暗い穴から、はるか遠くにある光を見つけ出すようなものだ。そういう意味では、希望はそこかしこに十分ある。世界は希望に満ちている。
・私たちがとれる最善の策は、同じ系統の中で一番近い種を持ち込んで、もう一度進化が起こってくれるように願うことでした。
・宇宙や地質学の時間枠ほどではないけれど、政治家などが考えるよりはずっと長い時間枠で見る必要があるのです。
・作物や家畜を他の種と分け合わなくてすめば、自分たちの利益が大きくなるだろうと考えたのだが、わずか二世代ほどの間に、草食動物は野性のものも家畜も減少を始め、その動物たちが餌にしていた草もなくなり始めた。
・砂漠化は、実は、ある地域における生命体の減少を意味しており、つまり、生物多様性が次第に失われていっているということなのだ。
・草食動物が好む草の多くは、動物に食べられた場合にしか正常に再生しないことを発見した。燃やした場合、このような在来種の多年草は、次第に消えていくのである。
・一種類の草食動物だけをある牧草地に長期間にわたって放牧すると、その動物にも草にも支障をきたす。
・単純化されて衰えつつある脆弱な生態系に、食物連鎖の高位に位置する捕食動物を導入すると、あらゆる種どうしの相互関係が複雑さを増し、それによって、突然に、生態系の中のほとんどすべてのものの寿命が伸び、健康になる。
・陸地に降る雨だけが再生可能な淡水源であるのに、世界の人口は1年に約8500万人ずつ増え続けている。それによって、ひとり当たりが使える淡水の量は急激に減っている。
・干ばつ防止の答えは、大中規模のダムによる大量貯水計画にあるのではない。農場レベルや村レベルで建設される小規模の貯水用建造物にあるのだ。
・従来の灌漑法では、灌漑に用いた水のうち、実際に作物の育成に使われる水が20パーセント以下であるのに対し、点滴灌漑の場合、95パーセントにもなる。散水灌漑では、散水されたうちの何と92パーセントが蒸発してしまう。
・さし当たり、私たちはどれだけの物が必要なのかを自分自身に問いかけ続ける必要がある。
・大規模ダム事業は、最初は夢の事業だった。だが結局、悪夢に終わった。目を覚ます時が来たのだ。
・大半の国では、ダムを造る能力が近代化や進歩という概念全体と結びつき、ダムは「愛国心を示すコンクリート製の旗印のようなもの」だった。
・家畜は、以前、私たち人間が食べられない草を良質のタンパク質に変換していたが、今では、世界中で生産される穀物の半分が、人間の食料にならずに、動物を太らせるために使われている。
・これ以上、農地から人を動員する必要はない。なぜなら、離農した人たちが就けるような高賃金の工場の職はもうないからだ。というか、今では、高賃金の工場の職など誰も見つけることはできない。
・政策を「予防原則」から「リスク管理」へと転換した。リスク管理政策の下では、監督官庁は、有害の疑いがある物質はどんなものも詳細な調査が終わるまで使用を控えるよう求めるのではない。何人の人が死んだり病気になったりした時点でその物質が規制に値するだけの危険なものだという判断を下せばよいかを、その官庁が決めてよいのだ。
・人というのは、論理的に正しいと判断したからではなく、今までいつもそうやってきたから、という理由だけで何かを行いがちだ。
・林業家たちは、経済学は学んでいるが、すべての基礎である森林生態系については学んでいない。
・エビやホタテ貝の漁に出たときに、小さなマグロがかかった場合には、将来成長すれば大いに高値がつくかもしれないのに、通常「混獲物」として廃棄してしまうのだ。
・延縄には、餌をつけた針が何百本もついていて、狙った獲物がかかるだけでなく、何千匹ものサメやウミガメや、その他絶滅の恐れのある種も死んでしまう。
・利用者がこのような禁止例に従うのは、事態の重大さを完全に理解し、資源の保全に利害をもつときだけだ。つまり、自分たちの行動を規制することによって、その犠牲行為が自分たちあるいはその子供たちに恩恵をもたらすとわかっているときである。
・「これこそが答えだ」という人は皆、大バカ者だ、答えはたくさんあるのだ。そこが肝心なところである。それこそが多様性ということだ。
・言うは易し。だが、たいていは口に出すことから始まるのだ。
・ある産業が経済的に成り立つかどうかを判断するひとつの方法としては、もし政府があらゆる種類の補助金やえこひいきをなくした場合に、その産業が利益をあげられるかどうかを考えればいい。
・現在のような学校は、産業革命で生まれたものであり、田舎の人々が従順な工場労働者になれるように教育するものだった。
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