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『居場所の社会学 生きづらさを超えて』 [☆☆]

・多様化が進む日本の職場において、今後、「居場所のなさ」を感じる人はますます増えていくだろう(多様化とは「異質性」でもある)。

・ひとりでいること、友達がいないことは、自分が寂しいだけでなく、まわりから「あいつはこの場所になじめないようだ」という目で見られること自体が苦痛だったりします。

・闘争によって、その集団に新しい規範が生まれることで、集団は変化に対応しつつ存続することができる。

・人間関係から解き放たれた「ひとりの居場所」も数ある居場所のひとつとして確保しておかなくてはならない。

・近年、まわりに人がいてもひとりでいることがスティグマ化せず、「ひとりの居場所」を成立させることのできる便利な機器が普及してきました。その機器とは、携帯電話です。

・携帯電話はひとりでいることのスティグマを解除する機能を持っている。

・相手にとっても居心地のよい場所だろうと思って、自分の居場所を押し付けてしまうことがしばしばあります。こうした「善意の暴力」こそが、職場での嫌がらせ(している当人には「嫌がらせ」と認識していないのですが)について考える際に、もっとも厄介な問題なのです。

・仕事内容を個々別々に教えるようなやり方は、その間に人間関係が入り込むことによって、「聞ける(意見できる)人」と「聞けない(意見できない)人」というカテゴリーを生んでしまいます。そこに排他的な居場所が形成され、その居場所に入れない人に疎外感を与えてしまいます。

・「人を精神的に支配しようとする人々」を「マニピュレーター」と呼ぶ。

・みずからの都合のいいように複数の社会的な規範を使い分け、相手を追い詰めることである。目的は相手を追い詰めることだから、言っていることに首尾一貫性はなくてもよい。

・マニピュレーターは、<なんでもないことに罪悪感を感じる>人を見抜くことに長けている。そういう人は悪く思われることを恐れているので、マニピュレーターの非難に対してひどく動揺してしまう。そして、その罪悪感につけこんで、マニピュレーターは相手を責め続ける。

・言いかえされ、自分がそれに対して言いかえせないと、黙りこんだり、急に怒り出したりして、話し合うことから逃げ出す。話し合いは、彼らには必要ないのである。

・『おひとりさまの老後』には「第三の居場所」をつくるためのノウハウがこれでもかという程に詰め込まれています。

・私たちは「棄民」であり、そこから逃れることはできない。

・バイクはもはや「反抗のシンボル」ではない。ハイスピードで飛ばしたり、爆音で近隣に迷惑をかけたりするようなバイクはもはや求められていない。

・「選択縁」とは、家族や親族に代表される「血縁」や古くからの町内会などに代表される「地縁」とは異なり、個々人が「選ぶ」ことによってつくられる縁のことである。

・地域社会とは強い血縁・地縁関係を基盤としたものであった。それはもはやノスタルジーのなかにしか存在しない。ノスタルジーの上に新しい社会を構想したとしても、それは「砂上の楼閣」となってしまうだろう。



居場所の社会学―生きづらさを超えて

居場所の社会学―生きづらさを超えて

  • 作者: 阿部 真大
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2011/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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