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『米国製のエリートは本当にすごいのか?』 [☆☆]

・討論を重視するのは、米国の素晴らしい点ですが、しゃべることが先行しすぎて、基礎知識が疎かになっている学生が多いのはいただけません。米国人学生の多くはしゃべりの達人ですが、内容面で唸るような鋭い質問や発言に出くわすのはまれです。

・教育は「秀才」をつくることはできても、「天才」をつくることはできません。

・「米国の大学はインプットとアウトプットの量がとにかく多い」という点にあります。百本ノックのように、次から次に読書、レポート、プレゼンテーションの課題が降ってくるため、否が応にも知的筋力がつくのです。

・「朝まで生テレビ!」があまり生産的でないのは、「司会者が自分の意見を押しつけすぎる」点と、「討論のメンバーが共通の知識をもっていないため、議論がかみ合わない」点にあります。

・つまるところ、日米の学生の差を生んでいるのは、インプット量、読書量の差なのです。米国のエリート学生は、大量の読書を強いられるため、平均値が高いのです。

・競争は確かに重要ですが、競争する分野が限られると、社会は多様性を増すよりも、画一性を増すことになる。

・そもそも、日本人は自分で思い込んでいるほど、集団的かつ団結力のある国民ではないように思います。日本人は中国人と違って、海外でジャパンタウンをつくりません。むしろ、よくも悪くも、カメレオンのように現地のやり方に合わせようとします。

・日韓双方のファンの数にそんなに差はなかったようなのに、なぜ日本の応援力は劣っていたのでしょうか。その答えは、「個々の思い・行動を大きなうねりに転換するメカニズムの欠落」だと思います。言い換えると、1+1を、2以上にする仕組みです。

・むしろ30代以上の中国人のほうが、天安門事件の記憶も鮮やかで、かつ、江沢民以来の愛国教育に染まっていない分、民主化の必要性を強く感じているように思えます。

・ここ数年、日本で移民の議論が出ていますが、日本経済が旬をすぎている以上、世界中から、数合わせ的に移民を受け入れると、質の低い労働者を多数受け入れることになりかねません。

・米国のエリートの卵は、学部時代に経済学をみっちり勉強しているわけです。この点では、経済学をほとんど勉強したことがない法学部生が、官僚、弁護士、金融マンといったエリートコースへと進む日本とは大きく異なります。

・経済学が「よき教養人となるため」に不可欠なのは、それが資本主義のより深い理解につながるからです。

・経済学の知識は「よき有権者」となるためにも役立ちます。政治において、安全保障と並ぶ最重要テーマは経済です。もし有権者が政治家の経済政策をきちんと評価できなければ、誤った政策がとられ、経済は沈んでいきます(過去20年間の日本のように……)。

・日本人はつい「現場絶対主義」に陥ってしまいます。抽象的な理論ばかりにこだわると、現実離れした答えに行き着くリスクがありますが、現場感覚ばかりに浸ると、目の前の情報に引っ張られて、問題を大局的に見ることができなくなってしまいます。

・日本人はよく「リスクを取らない」と揶揄されますが、その指摘には違和感があります。むしろ、「小さなリスクを過度におそれてしまう」「大きなリスクを知らず知らずのうちにとってしまう」、すなわち、「リスクの大きさを的確に測るのがうまくない」といったほうが正確でしょう。

・「2011年はこうなる!」といった、1年経ったら誰も読まないような本が量産されているのは、今への興味が強すぎて、考える思考の軸が短くなっているからでしょう。

・日本では、歴史というと、受験でいやいや覚えさせられる年号の羅列や、司馬遼太郎の小説で味わうエンタメ、というイメージが強いですが、歴史の知識は、国家戦略の策定のみならず、経営実務においても役立ちます。

・担当地域が決まったら、その県の歴史を徹底的に勉強する。そうすれば、県の特徴や県民性がわかり、販売戦略を立てやすくなる。

・米国は「世界で最も大きな島国」といっても過言ではありません。それゆえ、米国人はある意味、日本人以上に内向き志向が強く、語学(外国語)は下手で、海外のことはまるで知らない田舎者で溢れていることになるのです。

・保守派の愛国心は「過去志向」です。彼らは、愛国心とは偉大なる過去からの継承であると考えます。「われわれは祖先の行ないを尊重すべきであり、過去を尊重しないことは、自分自身をも否定することになる」というのが基本スタンスです。他方、リベラル派の愛国心は「未来志向」です。彼らは、過去は尊敬するものではなく、乗り越えるべきものであると考えます。「国を愛するということは、今の現実と、米国という国の理想(民主主義、平等、法の支配)とのギャップを埋めるために闘うことである」というのがその心構えです。

・リベラルの人は概して、弱い側に立つのが正義だと堅く信じているので、従軍慰安婦問題でも、人権を蹂躙した日本側に弁解の余地はないと考えています。

・事実関係でこちらに分があれば、必ず勝利できるわけでもありません。それほど世界はフェアではないのです。

・日本は政治家も国民全体も経済学に疎いため、専門家の評判は低くともテレビ受けのよい「電波学者」が影響力をもつことになります。

・比喩的にいえば、軍事力は大気中の酸素のようなものである。酸素が呼吸を保障してくれるように、軍事力がある程度の政治的、経済的な秩序を保障してくれる。酸素は希薄になるまで、その存在に気がつかないが、いったん欠乏が生じれば、それはあらゆるところで悲劇を招く。

・そもそも「ジャパンパッシング」という言葉自体が、日本が受け身で、日本が米国の視線ばかりを気にしすぎているからこそ生まれてくるものです。オバマ大統領の演説や論文に、日本について何行触れられているかをヒステリックに報じるメディアは異常です。受け身の最たるものです。

・どうもアメリカ人は理想に走り、相手方の感情を軽視しがちである。机上で理想的なプランをたて、それがよいと決まると、しゃにむにこれを相手に押しつける。相手がそれをこばんだり、よろこばなかったりすると怒る。善意ではあるが、同時に相手の気持ちとか歴史、伝統などというものをとかく無視してしまう。

・英語の総合力を高める上で一番効率がよいのは、暗記と音読です。とにかく多くの英文を音読して暗記するのが、英語上達の近道です。私の知る中国人、韓国人の英語の使い手の多くも、暗記勉強法を実践していました。

・英語を書けるということは、自分のいいたいことを頭で描く力があることになります。あとは発音にさえ気をつければ、しゃべるのはさほど難しくありません。

・話し言葉で論文やビジネスの書類を書くことはできませんが、書き言葉で話すのは、堅くてぎこちなく感じられても、意思疎通はできますし、無礼ではありません。

・私の一番のお勧めは、有名教授の授業のシラバスを参考にすることです。そこに記されている課題図書は、専門家のスクリーニングがかかったものですので、一定の質が保たれています。それらを徹底的に読み込めば、あるテーマについて、専門家と話しても恥ずかしくないだけの知的ベースができ上がります。最近は、多くの教授が自身のホームページや大学のサイトでシラバスを公開していますから、入手は簡単です。

・勉強の真髄とは自習である。

・「日本の文句をいうのがインテリの証」という姿勢こそが、発展途上国メンタリティの最たるものです。

・悲観の証拠を手前に並べて、衰退論をとうとうと語る人間にわれわれは事欠きません。とくに知識人、エリートと呼ばれる人にそういう人間が多くいます。ですが、みなが悲嘆にくれているときに、不安を煽るのは誰にでもできることです。



米国製エリートは本当にすごいのか?

米国製エリートは本当にすごいのか?

  • 作者: 佐々木 紀彦
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2011/07/08
  • メディア: 単行本



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