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『隠れた脳』 [☆☆]

・意識的な脳はゆっくり慎重に作業を行う。教科書を読んで理解し、ルールや例外を学ぶ。隠れた脳はすばやく推論し、即座に順応するようにできている。隠れた脳はものごとをすばやく処理するために、細かさを犠牲にする。

・隠れた脳は正確さよりもスピードを重視するため、使えない状況でもヒューリスティックスを使おうとする。自転車をこぐときに身につけたルール――ブレーキをかけるときはハンドルを握るという動作――を、車を運転するときにも使い、足でブレーキを踏むのではなく、ハンドルを強く握りしめてしまったりする。

・彼らが口論を止めるのは、交通事故を起こす危険があるときだけ。我々は職場に自転車で来るが、何か議論があっても、自転車に乗っているときはしないんだ。危険だからね。

・自分に関わりのない人が優れた能力を発揮するとき、私たちはそれを見て楽しむことができる。しかし自分が人よりぬきんでようとしている分野で、自分に近しい人が優れた能力を発揮すると、おもしろいことが――そしておそらく不愉快なことが――起こる。

・近い関係にある人同士のほうが、嫉妬心は強くなります。人間は他人に対して、次ぎのような2つの反応を起こします。「あなたの成功で私も上に行ける」、あるいは「あなたの成功で自分がばかみたいに思える」。

・つき合いのために酒を飲むタイプで、酒は社交の添え物だったのが、このときは酒を飲むのが目的で、たまたままわりに人がいたという感じだった。

・前頭側頭型認知症の患者が反社会的な行動をするのは、善悪の判断がつかないからではなく、恥や社会的体面を気にしなくなるからなのだ。彼らはそうした行動が悪だと知っている。しかしそれがやめる理由にならない。

・職業生活の大半は、仕事をこなす能力ではなく、社会的な結びつきの構築と、その維持が重要になってくる。

・ごく幼い子供は、誰もが自分と同じように考えると思っている。ある程度の年齢に達するまで、他人が自分とまったく違う考えを持つことがあると理解できないのだ。

・異民族の仲のよい友人がいない子供は、他の民族に対して否定的な態度をとりやすい。

・意識的な脳がパイロットだとすれば、隠れた脳はオートパイロット機能である。パイロットは常にオートパイロットより優先するが、パイロットが注意を払っていないときはオートパイロットの出番となる。

・プレッシャーがかかると、意識的な脳がいっぱいいっぱいになってしまうことがある。すると隠れた脳を抑える力が弱まり、ふだんは隠れている考えや態度が表に出てくる。スポットライトを浴びているときやカメラが回っているとき、ばかなことを言ってしまう人が多いのはそのためだ。

・老人が若者より偏見をあらわにするのは、脳をコントロールする力が減衰するためだというのだ。

・トランスジェンダーの人々について、性が変わったあとの給料を調べ分析した。すると男性から女性に変わった人の給料は12パーセント減少、女性から男性に変わった人の給料は7.5パーセント上昇していることがわかった。

・性が変わっても、他の資質に変化はない。それなのに職場でのその人をめぐる環境は劇的に変わることが多い。

・未来へのレールはすでに敷かれているように思えた。ただそのレールからはずれないようにしていればよかった。あとは彼に期待をかける周囲の人々が何とかしてくれる。

・若い男にはすでにレールが用意されていました。無能であることを表に出さない限り、有能であるとみなされていたのです。

・その朝、人の生死を分けた決定は、個々人が行っていたわけではないという結論に至る。その決断は集団によって行なわれたのだ。集団の決断は、私たちに信号を送っている。個人的な細かな事情(誰が何をして、誰が何を感じ、誰が何を考えているのか)は、ノイズなのだ。

・実際の行動を左右したのは、その人が属していた集団の大きさだった。大きな集団ほど、脱出するのに時間がかかった。なぜ集団の大きさが個人の決断を左右するのだろうか?思いがけぬ災害にあったとき、人は無意識に周囲の人たちとの合意を求める。集団は共通の物語、つまり何が起こっているのか誰もが理解できる説明を、つくりあげようとするのだ。その集団が大きいほど、同意に達するまで時間がかかる。

・災害にあった人の最初の反応は、訓練を思い出すことでも、理性的な判断を下すことでもない。決断を集団に委ねてしまうことなのだ。

・集団は安心を与えてくれる一方、自主性は不安を引き起こす。しかし災害に巻き込まれた状況では、不安こそが「正しい」反応なのだ。根拠のない安心は死を招きかねない。

・自爆攻撃はバグダッドからムンバイまで、今でもテロと暴動の主要な武器であり、多くの社会の奥深くで志願者を集めるため、若い男たちばかりではなく女性や子供たちにまで勧誘の手が及んでいる。

・人間は国王や神や国のためになど命をかけないと、戦闘司令官たちはよく知っている。たしかに兵士たちはそう言うかもしれないが、実際のところ、彼らが命を投げ出すのは、塹壕の中で隣にいる仲間たちのためだ。

・貧者の面倒を見ることも、株式公開して100万ドルを手に入れることも、最終的な目的は同じなのです。自分の苦しみは何らかの形で報われるはずだと思う。そうして人は広い視野を失ってしまうのです。

・必ずしも自爆犯自身が屈辱的な思いをさせられたというわけではない。屈辱感が(自爆攻撃に走るモチベーションとして)重要だと思われているようなので、それを検証してみたところ、ほぼ間違いだとわかった。むしろ逆で、屈辱を受けた人は暴力には走らない。人間は屈辱を受けた人の名のもとに、暴力を行なうのです。

・若者が自爆攻撃に走るかどうか、一番の判断基準は信仰ではない。若者が小さな集団に属していて、その集団の他のメンバーが自爆テロリストになりたいと思っているかどうかだ。

・無意識のレベルでは、彼らはみな同じものに突き動かされているのだ。自分より大きいものの一部になりたい、自分が特別な存在だと思いたい、その存続と安定が自分の命より大切な集団の一部になりたいという衝動だ。

・自爆テロリスト志願者があとを絶たないのは、それがイスラム世界におけるロックスターだからだ。

・アメリカで自殺する警官の数が、殺される警官の数の2倍にのぼるという事実はあまり知られていない。

・家に銃があると、ない場合に比べて、撃たれたり殺されたりするリスクが高まることは、はっきりと示されているのだ。それは変質者や強盗やレイプ犯に撃たれるということではない。銃の所有者が自分や家族を撃つリスクが高いのだ。

・アメリカでの銃規制をめぐる議論は、個人の銃所有の権利か、社会的利益のどちらを優先するかで考えるべきではない。銃を家に置くのと置かないのとでは、どちらが安全かで考えるべきなのだ。銃が家にあれば安全かという問いに対する答えはノーである。

・たしかに銃を持っていると状況を自分でコントロールできているように感じ、この感覚を「安全」と取り違えやすい。

・コントロールしているという感覚と安全を結びつける経験則は、現代の生活では機能しなくなっている。人々は乱気流に巻き込まれた旅客機の中にいるときより、時速110キロで(シートベルトもせず)ハイウェーを突っ走っているときのほうが安全に感じる。私たちは車をコントロールしているという感覚を、安全と錯覚するのだ。

・集団の苦痛や死を目の当たりにしてもあまり痛みを感じないのは、それがまさに「集団の規模」で起こっているからだ。脳はその苦しみがどのようなものなのか、把握するのが苦手なのである。人間はごく少数の人が苦しんでいたり、一人が窮地に立たされたりするのを見たときのほうが、行動を起こす可能性が高い。

・私たちは災害で20人が死んだと聞いたとき、1人が死んだときの20倍悲しむわけではない。

・隠れた脳には1人の死と100万人の死の違いを区別するための目盛りがないのだ。

・多くの状況で、私たちは10人が死んだときには、1人が死んだときの2倍も悲しまないどころか、実際は悲しみが「減ってしまう」傾向が示されているのだ。



隠れた脳

隠れた脳

  • 作者: シャンカール・ヴェダンタム
  • 出版社/メーカー: インターシフト
  • 発売日: 2011/09/10
  • メディア: 単行本



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