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『存在することの習慣』 [☆]

・「人のものをのぞき見したがるやつがいるのね」という、第1ページ目に書かれた警告に、私はえりを正した。

・自分の運命をいったん受け入れると、彼女はそれを抱きしめた。

・私にはいろんな欠点があるけれど、でも、ミセス・Bみたいに長電話はしないつもり。

・私は小説を書きおろすよりも、書き直して再生するほうが好きです。終わりから逆にたどって再構成して、どうなるかを眺めてください。これは私が美術の授業から思いついたやりかたです。描いた絵を上下さかさまにして、左右両方から眺め、どういう線を加える必要があるかを見る、あのよくやる手です。こうすると余分なものがどんどん落ちてゆきます。

・私は現代の教育として通用するものを身につけてはおりますが、それにだまされてはおりません。

・私はゆがんだ像をつくりあげるのに興味をもっています。それが人びとを真実に気づかせるための効果的な方法なのだと信じるようになっています。

・彼の率直さよりも、私はおろか者の礼儀正しさのほうが好きです。

・なにを残すかとおなじくらい、なにを捨てたかによって、自分自身を知ることになるのだと思います。

・あなたの批評はほかの批評の本を読み過ぎていて、人工的で、破壊的で、ごく狭い範囲にとどまっています。

・毎日午前中、書くために3時間取る。その間は読書も、おしゃべりも、料理も、なにもしないで、じっとすわる。書ければけっこうだし、書けなくてもけっこう。ただ、読書はしない。毎日ちがうものを書きはじめようと、なにも書き上げなかろうと、べつにかまわない。ただすわる。ほんとうに、これしか方法はないのです。

・あなたの説では、群れを離れたものが「悪」になります。私の説は、群れを離れたものが悪となるかどうかは、すべて、その群れがなにをしているかによって決まります。

・毎日、同じ時間帯に、おなじことをおなじ時間だけやれば、落ちこみから自分を救うことができます。日課は生きのびるための必要条件なのです。

・貧者のことは耳にするけれど、対面することはめったにありません。

・私は今もそうですし、自分の意見をはっきり伝える努力をするよりも、ともかく逃げだそうとする傾向が強いのです。とはいえ、私たちを負かすのは人びとのほうで、私たちはべつに質問そのものに負けているわけではないと思います。

・買うつもりでお金を貯めて、それからこう思ったのです。これまで好きでもなかったこと、これからも好きになる保証のないことに使うにしては、あんまり高価すぎると。

・卑怯者だって、悪人だと名のる人とおなじくらい危険――もっと危険かもしれない。その電話に甘い態度をとったりしてはだめ。ちゃんとおびえて、とるべき手をちゃんと打ちなさいよ。



存在することの習慣―フラナリー・オコナー書簡集

存在することの習慣―フラナリー・オコナー書簡集

  • 作者: フラナリー オコナー
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本



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