『動員の革命』 [☆☆]
・インターネットは、その誕生以来、基本的にはストック型の情報置き場でした。
・フェイスブックやツイッターで流れる情報というのは、フロー――今盛り上がっている情報出なければ価値が大幅に下がってしまうのです。
・消えずに後で誰かが便利に使える情報の流れと、一時的に盛り上がってもすぐに価値が減って消えていく情報の流れ。現在のインターネット上の情報というのは、この2つの流れが共存している状態です。
・ソーシャルメディアは、それ単体で政治的な圧力になったわけではありません。広場に何百人も集まるという、民衆のデモが圧力になったのです。オンラインではなく、リアル世界での具体的な行動が社会を変えたのです。
・ソーシャルメディア上で「この政治体制はおかしい」という共感が広まり、「変えよう」という具体的行動につながっていったのが、「アラブの春」でした。
・中国には、日本や西欧諸国に起こりがちな、トラディショナルメディア(新聞・雑誌)とネットメディアの対立がないということでした。2000年に同時に勃興したために、トラディショナルメディアもネットを使うし、ネットメディアにもトラディショナルメディア並みの力があるそうなんです。
・イランでは、貧しい子供たちの中から筋のありそうな男の子たちを選んで民兵にするんです。彼らは「バシジ」と呼ばれて、デモが起きると、行ってリンチをしたりする。
・ツイッターやフェイスブックで「ムバラク打倒!」とか、「世の中を変えろ!」と憤っていると満足してしまう。これはまさに日本も同じですけど。「ああ、すっきりした」「デモ、みんな頑張って。俺、用事あるから」と。それが、インターネットが切れてしまうと、何が起きているのか知りたくなる。そして、うわあっと外に出てくる。
・彼らは「革命」を起こそうというのではなく、「変革」のためのデモをしているんですね。
・運動家たちは警察なり、政治家なり、メディアなりとネゴシエーションをするんです。その交渉がうまい。自分たちの論点に普遍性を持たせて、わがままで言っているのではないと説得するのです。
・起こりがちなのが、お客様コールセンターに怒鳴りつけるような、クレーマーのような体質ですね。自分たちが文句をいえば、当然相手は自分の非を認めて謝ってくれる、そして、すっきりするという、超短期的な落としどころを潜在的に要求しているかのように見えました。
・情報発信していきますよ。なぜかと言うと、情報発信しないところは注目されない。何もリターンがないと思っていますから。
・われわれがソーシャルメディア上で発信している情報は、大きく分けて「今何をしているのか」か「今何を思った(感じた)か」という2種類。
・従来の広報活動は広告代理店に発注してコンテンツをつくって終了、と非常に手離れがよかったのに比べて、ソーシャルメディアは常にメンテナンスを続けなければなりません。非常に手間がかかります。
・実は震災前の2009年でも東北地方のGDPの割合は日本全体の6パーセントにすぎませんでした。
・その頃はあえて「俺は携帯電話は持たない」と宣言する人が一定数社会にいました。しかし、そう高らかに宣言していた人たちの99パーセントはおそらく、今携帯電話を持っています。
・新しいコミュニケーション手段が出てくると、必ず一定の拒否反応が生まれます。ある種のテクノフォビア(新しい技術に対する嫌悪)ですが、ソーシャルメディアについてもそれは同様に起きています。
・今までは、「インターネットは苦手なので使いません」と言っていても済んだのが、今回の大震災に関していうと、ITリテラシーがあるかないかで、生死を分けるほどの差がありました。
・今回の地震でスマートフォンが見直されたのは、通話網が途切れた際に、通信網を使って会話ができるスカイプやViperなどのインターネット電話アプリに切り替えることがことができた点でした。
・アマゾンの「ほしい物リスト」を活用した事例があります。避難所ごとにアマゾンのアカウントをとり、避難所を基点とした地域全体でとりまとめた「ほしい物リスト」を公開しました。リストにある商品は、他の人が代わりに買って送ることが可能です。赤十字の義捐金は被災者に届くまでにタイムラグがありますが、この方法だとすぐに役立つものを送ることができます。
・浜通りの南相馬市をはじめて訪れたとき、地元のおじいさんの話を聞いたのですが、彼は40分間ずっと絶えることなく「中通りの悪口」を僕に語りました。
・ただ研究しているだけでは意味がなくて、現代の祭りをつくっていかないと。
・フェイスブックやツイッターで流れる情報というのは、フロー――今盛り上がっている情報出なければ価値が大幅に下がってしまうのです。
・消えずに後で誰かが便利に使える情報の流れと、一時的に盛り上がってもすぐに価値が減って消えていく情報の流れ。現在のインターネット上の情報というのは、この2つの流れが共存している状態です。
・ソーシャルメディアは、それ単体で政治的な圧力になったわけではありません。広場に何百人も集まるという、民衆のデモが圧力になったのです。オンラインではなく、リアル世界での具体的な行動が社会を変えたのです。
・ソーシャルメディア上で「この政治体制はおかしい」という共感が広まり、「変えよう」という具体的行動につながっていったのが、「アラブの春」でした。
・中国には、日本や西欧諸国に起こりがちな、トラディショナルメディア(新聞・雑誌)とネットメディアの対立がないということでした。2000年に同時に勃興したために、トラディショナルメディアもネットを使うし、ネットメディアにもトラディショナルメディア並みの力があるそうなんです。
・イランでは、貧しい子供たちの中から筋のありそうな男の子たちを選んで民兵にするんです。彼らは「バシジ」と呼ばれて、デモが起きると、行ってリンチをしたりする。
・ツイッターやフェイスブックで「ムバラク打倒!」とか、「世の中を変えろ!」と憤っていると満足してしまう。これはまさに日本も同じですけど。「ああ、すっきりした」「デモ、みんな頑張って。俺、用事あるから」と。それが、インターネットが切れてしまうと、何が起きているのか知りたくなる。そして、うわあっと外に出てくる。
・彼らは「革命」を起こそうというのではなく、「変革」のためのデモをしているんですね。
・運動家たちは警察なり、政治家なり、メディアなりとネゴシエーションをするんです。その交渉がうまい。自分たちの論点に普遍性を持たせて、わがままで言っているのではないと説得するのです。
・起こりがちなのが、お客様コールセンターに怒鳴りつけるような、クレーマーのような体質ですね。自分たちが文句をいえば、当然相手は自分の非を認めて謝ってくれる、そして、すっきりするという、超短期的な落としどころを潜在的に要求しているかのように見えました。
・情報発信していきますよ。なぜかと言うと、情報発信しないところは注目されない。何もリターンがないと思っていますから。
・われわれがソーシャルメディア上で発信している情報は、大きく分けて「今何をしているのか」か「今何を思った(感じた)か」という2種類。
・従来の広報活動は広告代理店に発注してコンテンツをつくって終了、と非常に手離れがよかったのに比べて、ソーシャルメディアは常にメンテナンスを続けなければなりません。非常に手間がかかります。
・実は震災前の2009年でも東北地方のGDPの割合は日本全体の6パーセントにすぎませんでした。
・その頃はあえて「俺は携帯電話は持たない」と宣言する人が一定数社会にいました。しかし、そう高らかに宣言していた人たちの99パーセントはおそらく、今携帯電話を持っています。
・新しいコミュニケーション手段が出てくると、必ず一定の拒否反応が生まれます。ある種のテクノフォビア(新しい技術に対する嫌悪)ですが、ソーシャルメディアについてもそれは同様に起きています。
・今までは、「インターネットは苦手なので使いません」と言っていても済んだのが、今回の大震災に関していうと、ITリテラシーがあるかないかで、生死を分けるほどの差がありました。
・今回の地震でスマートフォンが見直されたのは、通話網が途切れた際に、通信網を使って会話ができるスカイプやViperなどのインターネット電話アプリに切り替えることがことができた点でした。
・アマゾンの「ほしい物リスト」を活用した事例があります。避難所ごとにアマゾンのアカウントをとり、避難所を基点とした地域全体でとりまとめた「ほしい物リスト」を公開しました。リストにある商品は、他の人が代わりに買って送ることが可能です。赤十字の義捐金は被災者に届くまでにタイムラグがありますが、この方法だとすぐに役立つものを送ることができます。
・浜通りの南相馬市をはじめて訪れたとき、地元のおじいさんの話を聞いたのですが、彼は40分間ずっと絶えることなく「中通りの悪口」を僕に語りました。
・ただ研究しているだけでは意味がなくて、現代の祭りをつくっていかないと。
動員の革命 - ソーシャルメディアは何を変えたのか (中公新書ラクレ)
- 作者: 津田 大介
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/04/07
- メディア: 新書
タグ:津田大介
2012-12-08 13:03
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