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『俳句という遊び 句会の空間』 [☆]

・その作句信条は「どしどし書きどしどし捨てる」ことである。この作句法にはいくつかのメリットがある。ひとつは実に様々な方向からモティーフをとらえることができるという点。どしどし書いてどしどし捨てようという態度なら、深く考えず様々なアングルからモティーフに接することができる。

・俳句は「味わう」前にまず「選ぶ」ものなのだ。

・俳句用語としての「嘱目」は、「題詠」の対の位置にある言葉で、これといった課題を設けず、目にふれたものをその場で俳句に仕立てることを言う。

・一般論として言うならば、具体的なモティーフ(要するに「目で見たもの」)にこだわれば作品は写実的な趣を持ち、時として一種たくまぬ詩情を獲得することができる。しかしその半面モティーフの質に決定的な影響を受ける。くだいて言えば、見たものがつまらなければ、どうあがいてもつまらないものしか作れない。

・現俳壇は評価を待ちこがれる人の集まりであっても、決して評価を下す人の集まりではないのだ……。

・センスが特殊すぎて普通の人間には受容しにくいことも多いが、その分、たまたま受容できた人間には深い共感を与えることがある。

・当初はそれでもある特定の選者を読み手として措定したりして、本来の信頼感を保ち続けようとした。しかしそれも、特定の選者という神話、もっとはっきり言えば虚子神話が崩壊するとともに失われた。

・御存知の方も多かろうが、明治から昭和にかけての俳句シーンの常に中心にいたのは、かの高浜虚子である。この時代に生まれた名句の多くは彼を読者として仰ぎみることで成立した(そしてある種の俳句は、彼を仰ぎみないことで生まれた)。



俳句という遊び―句会の空間 (岩波新書)

俳句という遊び―句会の空間 (岩波新書)

  • 作者: 小林 恭二
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1991/04/19
  • メディア: 新書



タグ:小林恭二
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