SSブログ

『クール革命』 [☆☆]

・夫や姑からは終始殴られ、時には杖が使われた。インドの農村地帯の女性にとっては、これがふつうの生活だった。彼女のような女性に慰めがあるとすれば、いつか息子を持って姑になることぐらい。そうすれば、嫁を自分を同じ目にあわせ、モノ同然に虐待できるのだ。

・若者が運動に身を投じるのは、一番人気のバーに出かけるのと同じ感覚である。

・ピア・プレッシャーが私たちの人格におよぼす影響力は、遺伝子に匹敵すると言ってもよい。

・親は遺伝子を伝えるだけで、子供に対する影響力をほとんど持たないという。できるのは子供のピア・グループを選んでやるだけ。そのピア・グループが人格を形成していくのである。

・誰かが壇上から話しかけ、参加者はそれを座って聞くだけ。みんなが聞いているかどうかなんてお構いなし。それが5時間も続いたら、会場を出るときには腹が立って、正反対の行動をとりたくなる。

・学校を離れた生徒はふたつの出来事を経験する。まずコミュニティというソーシャル・ネットワークを失う。そして次に明るい未来を思い描けなくなる。宙ぶらりんの状態に置かれ、何か良いことが起こらないかとひたすら待ち続けるだけだ。

・喫煙が有害だと知らない人がいるだろうか。南アフリカのティーンエージャーと同じで、誰もがリスクを理解している。漠然と、そして他人事として。

・検察官が無実の被告を有罪に仕立てようとするのも、認知的不協和がひとつの原因として考えられる。せっかく容疑者を確保したのだから、ここは何としても有罪にしたい。だから有罪の確定に有利な情報だけを集め、無実を裏付ける情報など捨て去ってしまうのだ。

・肥満の割合がテレビの視聴時間と比例している事実が浮き彫りにされた。いけないのは座っていることではない。テレビから流れるコマーシャルである。ジャンクフードの広告を全面的に禁止すべきだとは言わないが、せめてテレビの子供向け番組では禁止してほしい。

・ティーンエージャーがたばこを吸うのは世の中に反抗するためだが、皮肉にもそれは反抗と程遠い行動であるのだ。実際には操り人形さながら、たばこ会社の言いなりに動いているだけにすぎない。

・高校生が特定のファッションにあこがれるのは、それをテレビで見たからではない。学校でクールな生徒が身につけているからだ。

・地面に捨てられたごみや壁の落書きを見た人は、自分もごみを捨てたり落書きをしたりするだけでなく、犯罪にも手を染めるようになる。この界隈ではどこまでが許容範囲なのか、周囲の環境を観察してメッセージを受け取り、それに自分の行動を合わせていくのだ。

・ほとんどの国では、女性の人口は男性の人口を上回る。ところがインドでは、男性1000人に対し、女性の数はわずかに933人。何千万人もの女性が行方不明なのだ。実はこうした女性は、超音波画像で胎児の性別が確認された後に中絶されてしまった。超音波画像にアクセスできる経済的余裕のない家庭では、誕生後に殺される。

・大勢の人が木片を盗んでいると書かれた立て札の周辺の方が、盗まれる量は5倍も多いことが明らかになった。この警告文は、誰もが盗みをはたらいているというメッセージを伝える結果になったのだ。

・公共サービス機関の広告は、何人のティーンエージャーが自殺したか、何人のドライバーが飲酒運転をしたか事細かく説明する。しかし大きな数字を具体的に見せられたら、人間の最も原始的な反応が刺激され、そんなに大勢の人たちが一体何をしているのだろうという好奇心がそそられてしまう。

・ティーンエージャーは旧ソ連の市民と同じで、列を見かけたらまず後ろに並び、それから何を売っているのか訊ねるものだ。

・携帯電話の普及も10代の喫煙率低下に貢献したのではないかと言われる。携帯電話を手に持つようになったティーンエージャーは、クールに見られるためにたばこを必要としなくなったという説もある。

・貧困層の中でもましな人たち――担保になる財産を持つ人たち――は村の高利貸しから途方もなく高い金利で借金をするのが常で、いつの間にか農場や会社を失っているケースが多い。しかし担保と呼べる財産を持たない筋金入りの貧乏人には、高利貸しすら金を貸そうとしない。

・リソースには、誰でも手に入るのに見逃されやすいものがある。それは人間関係である。リソースの中でソーシャル・キャピタルだけは、貧しくても大量に手に入れることができる。

・人々に幸せをもたらす活動とはどんなものだろう。それは仲間とのグループ活動である。毎月1回集まるグループに参加するだけで、収入が倍増したときと同じように幸せ度は増加するのだ。

・私たちが求めているのはヒトデのような存在であって、クモではない。クモなら頭を切断すれば簡単に殺せる。でもヒトデには中心となる頭脳がない。どの足にもアイディアがぎっしり詰まっている。

・他人とのつながりやコミュニティを欲し、誰かに何かを与えたいと願う気持ちは誰でも持っているものさ。でも、世間で愛されるのは正反対の人間だろう。誰にも頼らずひとりで成功した人間なんだ。

・店内は10人いたけれど、そのうちの8人が顔見知りだった。そんなときさ。ああ、ここは自分のホームタウンだって実感できるのは。

・外の世界にいると、独裁政権下の国民は弾圧に対して勇敢に戦い続けているものだと考えてしまう。弾圧があまりにもひどく、民主主義のために戦うことで頭がいっぱいだと思ってしまう。しかしそれは作り話にすぎない。独裁国家でも圧倒的多数の国民は抗議も抵抗もしない。

・ベオグラードの「シリコンバレー」出身のミニスカート姿の女性であふれていたものだ。ちなみにシリコンバレーと呼ばれたのはコンピュータのチップを製造するからではなく、シリコンを使った豊胸手術ができる場所だったからだ。

・セルビアの政治文化は昔から一貫して強烈な島国根性と被害者意識を特徴としてきた。そんな国民はNATOによる爆撃をきっかけに、被害者意識を高めてしまった。しかも、自分たちセルビア人がコソボでアルバニア人を虐待しているとは夢にも思わなかった。仮に教えられても信じなかっただろう。

・人数が集まらなければ、失敗したと思われてしまう。だから私たちは常にプレッシャーをかけることを目標にしたの。大きな牛を悩ます1匹のハチのようにね。ハチがブンブン飛び回っても、牛は何もできないでしょう。

・セルビアでは、出る杭は打たれる。政治は理念とは無関係で、強烈な個性を持つ人物同士の足の引っ張り合である。

・ボランティアは常に忙しく働かせておかなければいけない。ぼんやり座って、上からの支持を待っているようでは離れてしまう。

・独裁者が選挙を行なうのは勝てる自信があるから。側近から絶対に勝てると吹き込まれるが、彼らは良いニュースしかボスに伝えないから職にありついているような人種だ。

・国民がリーダーからの指示に素直に従うことに慣れきっている国で反対運動を拡大するためには、リーダーの転落がすでに進行中だという印象を与えるしかなかった。

・どこの国民もトップに君臨する人間を諸悪の根源として非難するが、実は問題を抱えたシステムを動かす人間を排除するよりも、システムそのものを取り除くほうがずっと困難だという現実を認識していない。

・典型的な授業の場合、学生は解決法を見つけるまでじっくり考えるように強制されず、結果として他人に答えを教えるレベルには到底達しない。

・不満を取り除こうとしても効果はない。西側世界に不満を抱くイスラム教徒はそれこそ何百万人もいるのだから、不満をすべて解消することなどできない。

・過激派は異端者の殺害を話題にするとき、政府の高官や堕落した世界の人たちをターゲットとして紹介する。彼らの家族も含まれるとは一言も教えない。だから過激派のレトリックに従えば家族も殺害の対象になると指摘すると、みんなものすごく驚く。

・ほとんどの若者は信仰についてあまりよく知らない。もっと単純に、何か目標になるものを探している。帰属できるものと言ってもよいだろう。そんなとき、西側世界の侵略者と戦う組織という構図はうってつけだったんだ。

・政治家は、有権者がテロに対して強硬姿勢を求めているという先入観を抱く。強硬姿勢が逆効果になる可能性には考えが至らない。

・怒る理由や腹を立てたくなる理由はたくさんあっても、暴力が許される理由はない。

・国民の間から不満分子を出したくない独裁者は、反体制的な活動の責任を外国人に押し付けたがる傾向が強い。

・ダルフールでの大量虐殺は現地の住民にとっては死活問題かもしれないが、アメリカで大量虐殺に反対する活動家にとっては死活問題ではない(徴兵制がなければ、ベトナム反戦運動も社会から孤立した小規模な運動に終わっていた可能性が高い)。

・メキシコでは一般市民が日々の腐敗に不満を漏らす一方で、自分も腐敗に関わっている。



クール革命―貧困・教育・独裁を解決する「ソーシャル・キュア」

クール革命―貧困・教育・独裁を解決する「ソーシャル・キュア」

  • 作者: ティナ・ローゼンバーグ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/11
  • メディア: 単行本



nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

トラックバック 0