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『「便利」は人を不幸にする』 [☆☆]

・便利さを「危うい」と感じること自体が贅沢で恵まれている状況なんですよ。

・科学は、宗教や哲学とは異なり、普遍的な知の枠組みを提供してくれる。社会の科学リテラシーを高めることで、あまりに価値規範が多様で安定しない社会の、共通基盤を構築しようというのは、理解できる方針である。

・アマゾン・ウェブ・サービスがやっている「機械仕掛けのトルコ人(Mechanical Turk)」という仕組みがあります。これはコロンブスの卵だ。国際的な経済格差を逆手にとって、流通コストが限りなくゼロに近いインターネットを利用した、新たなビジネス・モデルである。

・ある作業に使用する道具が機械化・自動化されることによって性能が高くなると、その作業全体の効率は高くなりうる。しかし、作業工程のすべてが等しく機械化されるわけではないので、機械化されなかった部分の労働量は、高くなった全体効率を維持するために、以前より増加する。

・1920年代以降、国家の戦争の趨勢を決めるのは、前線の勇敢さから後方のインテリジェンスに替わっていったのである。しかし、第一次大戦の前線を経験しなかった日本は、この変革の波に乗る機会を逸した。日清・日露の成功の夢を反芻しつつ、太平洋戦争の破滅へと向かっていくことになる。

・多くの感覚的反対派は、反対のための反対しか展開してこなかった。原発や原子力行政の些細なミスを、さも鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立て、追及する。こういうことの繰り返しが、ミスは許されないという無言の圧力を生み、事故に対する東電の対応を遅らせた。事故はあってはならないのだから、隠そうとする。

・ある製品というのは、「知識のない人が簡単に取り扱うことができる」という目的でつくられています。何も考えなくても、このボタンさえ押せばあなたのしたいことができます、と。そのせいで、素人になめられてしまうのかもしれません。そうなのだ。便利になると人々は技術への畏敬の念もありがたみも忘れ、むしろ逆にバカにしさえする。

・大きな物語がなくなったと言われるけれど、そんなことは決してない。文明論を語り、思想の大きな枠組みを描く論者は大勢いる。問題は、その物語を実際の活動につなげるメゾ・レベル(中間領域)のシステムがないことだ。だから、実務側からみたら「物語の欠如」と見えるし、言論人からしたら「言葉がとどかない」と感じられてしまう。なくなってしまったのは物語ではなく、「間」の仕組みだったのだ。

・日本にも原発事故に対応した災害救助ロボットが、かつて存在していたのである。1999年の東海村JCO臨界事故をきっかけに、原子力事故に対応できる災害救助ロボットが開発され、実際に4機種6台が製作されていた。しかし、「原発の安全性を前提とし、大きな事故を想定しない」という方針から、その後の研究開発は中止され、試作機もお蔵入りになってしまっていたのである。

・科学者はえてして、「正確な」情報を「きちんと」出すことが重要で、それに基づいて合理的に判断することができると考えている。

・きめ細やかなユーザー対応はあってよいが、それを当然のこととするのは、ユーザーとしても開発者としても、間違った姿勢だと思う。なぜなら、そのような方向にどんどん進んでいくと、技術開発が袋小路に入っていくからだ。

・新規性のない議論をあたかもそれさえ解決すれば全てがうまくいくかの如く熱狂し、そしてその熱狂を消費していく社会のあり様にこそ問題がある。

・所持金や所持品に大きな格差があると、すでにその時点で対等な関係は結べなくなってしまう。理想論は、お金の前にはまったくの無力だった。

・日本国内で「弱者」の立場にある人たちの苦労と抑圧の度合いはとても大きなもののはずだが、「日本にいる」あるいは「日本人である」ということ自体が、世界政治の中では「強者」に分類されてしまう。

・日本は全体計画を構築するのは苦手で、局所的な対応策を精緻に構築することには長けているということだ。

・社会の統治システムや法体系は、飛鳥時代に中国の体制を取り入れて律令国家を形成して以降、基本的にすべて外国からの輸入である。

・日本の組織や社会は、既得権益を守ることが最優先の目的になっているんだ。そのため、外的環境の変化に合わせて適応していくことができなくなっている。

・人々の生活水準や知識水準が低ければ、水準を上げること自体が共通の価値基準として共有されやすい。貧しければ裕福に、死亡率が高ければ健康に。しかし、生活水準が高くなり死亡率も大きく下がると、マズロー流に言えば自分が認められることや自己の目的が達成されることが目標になってくる。

・指標の限界を知る人や全体構造を把握できる人、ものの考え方の手順を知っている人が全体を仕切ることになると、現在のシステムで権益を得ている人たちが損をすることになる。だから、なかなかそのような状況が実現しない。

・既得権益を守ることを優先するから、組織内の意見の多様性を許容する度合いが低い。反対意見の存在を許さない。ムラ構造である。

・事が起こると、「だから前から言っていたじゃないか!」と声高に自説の正しさを主張する人がいるが、これは生産的ではない。考えるべきは、「なぜその人の意見が事前には反映されなかったか」であり、以後、「そのような意見も適切に反映される状態を作り出すためにはどうすれば良いか」である。

・汚染の状況を明瞭に示してこそ、地域の信頼が得られる。汚染データはない方が受け入れられやすいという判断は――日本社会では珍しいものではないが――、信頼の獲得には逆効果である。しかし目の前の小さな利得のために、その信頼も得られない構造を招来してしまう。

・胡適は、中国が日本との戦争に数年間負け続けることで、はじめて米ソが中国の味方となって参戦し、日本を絶滅させることができるという持論を(「日本切腹、中国介錯」論)を1935年に発表した。結局、日中戦争のその後の展開は胡適の予想に近い形で推移した。

・異論を封殺する国。小さなマイナスを明らかにすることを忌避する国。そのことは、客からのクレームという目の前の小さなマイナスに即座に対応し、改善するという「きめ細やかなサービス」を磨き上げるというプラスの資質を持っている。

・原発は御利益も破壊力も桁違いの唯一絶対神のような存在であり、一神教的な取扱いが必要だが、それに慣れていない日本は管理法を誤った。




「便利」は人を不幸にする (新潮選書)

「便利」は人を不幸にする (新潮選書)

  • 作者: 佐倉 統
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/05/24
  • メディア: 単行本



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