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『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』 [☆☆]

・世間一般の多くの人たちの考え方は、極めて主観的であり、大多数は具体的だ。主観的で具体的すぎるが故に感情的になってしまい、結果として損をすることになる。

・生活のほとんどは、主観と具体性だけで成り立っている。だから、その考え方だけでも生きていける。

・反原発の人の中には、僕が書いた本に対して「こんな本を読んではいけない」と主張する方がいる。自分と反対の意見に耳を塞ぐというのは、よほど自分の意見に自信が持てないのだろう。そもそも自分の意見があるのか、と疑いたくもなる。

・多くの場合、自殺する人の思考は、主観的であり、具体的すぎる。

・貴方はそのキャラのどこが好きなのか? それは、生き方だったり、考え方だったり、人に対するちょっとした反応だったり、あるいは人生そのものだったりする。

・抽象的に考える人ほど、この型を沢山持っていて、どんどん問題解決能力が高まる理屈になるのだが、実はそうとばかりもいえない。それは、自分が過去に発想した「型」や「様式」に囚われるようになるからだ。型の数が増えるほど、その型の再利用で問題が解決できる機会が多くなり、そうなるともう新しい発想を生み出す姿勢が失われる。

・現実に見えるものの多くは、誰かによって見せられているものであって、その人にとって都合の良いように加工されているため、そのまま受け取ってしまうと、結果として、知らず知らず、他者に「支配」されてしまうのである。

・活断層の上に原発があるとたしかに危険な感じがする。であれば、活断層の上を新幹線は走っていないだろうか、となぜ心配しないのか。

・「悪いものは悪い。子供たちのために、こんなものを許すことは絶対にできない。反対をしない人間は間違っている。そんな間違った人間の意見など聞いてはいけない」というように聞こえる。こうなってしまうと、もう一種の人種差別に近い。

・マスコミはもう少し考えて、賢くなってもらいたい。いちいち「日本固有の領土である○○」なんて言わず、「両国がお互いに領土だと主張し合っている○○」と言えば良い。それが客観的な報道ではないだろうか。

・注意してもらいたいのは、「願い」を「意見」にしてはいけない、ということだ。

・勝ち取れる未来を見越して、その苦労の最中であっても楽しめるようになる。これなどは、明らかに想像力が見せる幻想といえるもので、人間というのは、幻想によって元気を出している、といっても良いかもしれない。

・レゴ・ブロックのようにパーツがシンプルなものほど汎用性が高い。具体的でないからこそ、あらゆるものに使えるのである。

・自分が考えなかったものであっても、一瞬にしてそれが妥当であり、魅力があり、使えそうなことが判断できるのは、もともと抽象的な「型」を持っていた証拠である。

・発想力が不足し、自力では思いつけない場合でも、「~のようなもの」という抽象的な目で探してさえいれば、人が言ったこと、本で読んだことなど、外部から飛び込んでくる情報の中に、待っていた答を見つけることができる。

・かつては、ニュースの記事は記者が察知し、調べにいって書いていたものだったが、今では、情報を発表する場所へ記者が集められ、「はい、情報はこのとおりです」と配布されるコンテンツをそのままニュースにしているだけである。TVや新聞のニュースを見て、「どこも同じだな」と感じるのは、当然だ。

・昔に比べて今の若者は、与えられた情報にどっぷり支配されている。そうしないと、「空気が読めない」奴だと言われ、また人と違っていると「いじめられる」ことになる。少し客観的で優れた指摘をすると、「上から目線だ」と意味なく嫌われる。

・若者たちは、自分の価値判断というものは二の次で、とにかくまずは世間の流れに乗ろう、と必死なのだ。毎日、TVやネットで流れている催眠術のような「お告げ」に右往左往する忙しさの中、ただただ藻掻いているのである。

・「才能を育てる」とは、もともとあった才能が活かされる場を用意するだけのことだ。

・ただ調べ、試し、データを集めても、それは「調査」であって、「研究」にはならない。

・今の子供たちにとって大事なことは、「覚えること」と「忘れないこと」そして「正確にそれを思い出せること」であって、「思いつける」ことではない。

・特に、個々人の情報が広く発信され、簡単にアクセスできる時代になったため、極めて具体的な細かいことまで、他者で同じでありたい、と考えてしまう。自分だけが違っていると、それだけで不安になる。本を読んだら、自分がどう感じたかを振り返るまえに他者の感想が気になってネットを検索する、それが今の若者たちである。

・友達に会って、どうも冴えない顔をしていたら、「どうしたの? 冷蔵庫を開けたらマヨネーズが落ちたの?」と一瞬で言える人は、この比喩を常に探す癖がついている。アドリブで面白いことがいえる芸人というのは、この種の鍛錬をしている人で、一種の「頭の良さ」を周囲に感じさせるだろう。

・人生を楽しむためには、この虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、また、永遠に生きられると想像して未来を考えることである。

・発想は、問題を解く鍵(特に最初の扉を開ける鍵)となるもので、数学やクイズが好きな人は、一度でもその鍵を開けたことがあれば、一生忘れないはずである。それくらい、その鍵を発想したときの印象が強烈だからだ。

・嫌々勉強していても、そういう機会が多ければ、なんとなく、自分の考え方のようなものが芽生えてくる。最初は、嫌々雑草を取っているだけなのに、そのうちに自然に庭が自分の好みのものへと様変わりするのと同じである。

・試験の前夜などに、やりたいことを思いついたり、やる気が湧いた経験はないだろうか。ちょっとしたストレスの中で、人間の頭脳は、面白いことを思いつき、実際に使えるアイデアが出てくることが多い。酒を飲んで良い気分のときには、残念ながら、頭からはなにも出てこない。

・みんな周りを見まわして、自分がどうすれば良いのかを「選んでいる」だけで、考えているとはいえない。

・現代に生きる人々の多くは、「知らないこと」を不安に感じる。自分のところまで、ちゃんと正しい情報が届いているのか、という疑いを持ち、真実を知らされていないのでは、と恐れるのである。

・実際にこれからどうなるのかを知っている人間はいない。それなのに、「教えてくれ」「きちんと説明してほしい」と詰め寄ろうとする。これも、考えることをせず、ただ知ろうとしている姿だ。自分で少し考えるだけで、かなり理解が深まるのに、それをせず、ただ知ろうとするから、疑心暗鬼になって「ちゃんとすべてデータを見せてほしい」「何か隠しているんじゃないか」と疑ってしまう。

・津波や原発を例に挙げて話をすると、それだけでもう感情的になる人が現れる。感情的な行動が、事態を改善することはない。




人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

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  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/03/15
  • メディア: 新書



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