SSブログ

『勉学術』 [☆☆]

・語学学校に行こうが大学に通おうが、自分で勉強しなければ、つまるところ何も身につかない。

・まず基礎を固め、それからだんだんと難しい方へという方向性が必要なのは数学と楽器演奏だけである。他の事柄には実は基礎も中級も上級もない。

・大人とは人生の経験を積み、物事を深く知った者だと子供は思っている。しかし、やがてわかってくる。普通の大人とは、ただ年をとった人間にすぎない。

・何もかも漫然と眺め、世にあるもの一切を当たり前だと受け止めている限り、疑問は出てこない。子供のように、あらゆるものに「なぜ」という疑いを持たないと知識は得られないのである。

・情報とは、そのつどの状況の一端を伝えているものである。だから、交通知識といわず、交通情報という。

・現代世界に通用している主要言語がラテン語を基礎にしているのである。カトリックの宣教師たちが外国語をすぐに覚えるのはラテン語を知っているからなのだ。

・外国語の上級学校では、母国語の他にラテン語とギリシア語を学ぶ。この二つの古い基本言語を知っているだけで、多くの事柄がより早く理解できるようになるからだ。

・最も無駄な時間と脳細胞の潰し方は常習飲酒である。常習的に飲酒する人間が独学どころか、まともなことをやれるはずがない。

・本を読むということは異質なものをとりあえず今は理解するという行為だからだ。これには忍耐を要する。異質なものを受容しなければならない。それが感情抑制を育て、心を変えるのである。

・自分の考え方に合うような本ばかりを読んでいては何も変わりはしない。

・テレビなどメディアのニュースがつまらないとされる場合も同じだ。報道される内容に含まれる基本の用語や術語、地名などが視聴者に理解されていないのだ。

・多くの本を読んで博学になるだけが独学ではない。本を読むだけなら、読書家にすぎない。

・古典をいちいちしまいまで読んでいたら、多くの古典があるのだから、その半分も読まないうちに自分の人生が終わってしまう。

・藤沢周平の時代小説は小説としては立派だが、描かれているのは時代という化粧をほどこした現代の人間模様である。あれがそのまま日本の昔、江戸時代ではないのだ。

・「教養を身につける」とは勉強をするということではなく、知識や知恵を現実の行ないに生かすということだ。いくら学歴が高くても、横領や痴漢をするならば、教養のある人ではない。

・その構文を含んだ文章をいくつも書くという方法がある。1つの構文を使って初めは30種類の文を書けば、構文が覚えられる。

・『武士道』は、あまり日本史に詳しくない新渡戸が自己の脳裏にある「武士」像をふくらませて創り出した、一つの創作として読むべき書物であって、歴史的な裏づけのあるものではないことは、改めて確認しておかねばなるまい。

・十字軍を呼びかけた教皇の言葉として、「これで、普段は強盗や殺人をしている乱暴者の騎士たちを厄介払いできる」というものが記録として残されている。

・今では多くの図書館が雑誌や娯楽本の無料貸本屋という状況になっている。

・財政破綻した夕張市は図書館を閉じるとしたが、そういう非人間的な感性だからこそ、くだらない遊園地をつくって市をだめにしたのである。

・多くの体験をしたからといって、人生の多くを、あるいは世界の多くを知っていると言うことはできない。体験はどれも個人的なものであり、その一回限りのことだからだ。体験は過ぎ去り、深化追究されない。





勉学術

勉学術

  • 作者: 白取 春彦
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2006/12/30
  • メディア: 単行本



勉学術

勉学術

  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2000/09/25
  • メディア: Kindle版



タグ:白取春彦
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

トラックバック 0