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『スパイ・爆撃・監視カメラ 人が人を信じないということ』 [☆☆]

・当時の幹部は党の連絡のために用いられる暗号の解読コードを書いた紙片を、短銃の発射口の内側に貼りつけていたという。渡辺がピストルを放ったのは、敵を殺し、自らの命を絶つとともに、機密情報を漏らさないために必要な所作だった可能性がある。

・警察にとって上海という都市の存在は厄介なものだった。日本人であっても、上海になら特別の手続きなしで渡航できたからである。国内旅行と同様に往来できたのである。上海に租界を得たということは、反面、治安上の「死角」を抱えることをも意味したのである。

・職人が手にした道具で自分の身体を変形させていくように、スパイの技術は、使う者の精神を痛めつける。それは、目の前にいる者が、自分を信じているのか、いないのか、確信を持てずに過ごすことに由来する。

・冷酷かつ狡猾。飢えたときは喰うために殺し、飽いたときには楽しみのために殺す。

・経験の乏しい者が大きな資金を手にし、権力を身につける以上、厳しい規律があるか、個々のメンバーがよほど自制心を持っていなければ、このような事態は起こるべくして起こる。

・ひとつの組織と、敵対する組織の間で利己的に立ちまわる才覚は時代遅れになりつつあった。スパイには、より広い世界情勢の中で必要な情報を収集したり、分析したりする資質と能力が求められるようになる。

・彼は刺激を求め、なかでも政治的に認められることを迫った。彼は、重要だが人に知られない仕事というものを好まなかった。

・しかし、実際に党の活動をすすめていくときに直面する現実は、冷厳で、かつ残酷なものだった。それでもなお、活動に身を投じる者があとを絶たなかったのは、社会の矛盾の大きさや列強の支配の苛烈さのほうがはるかにまさっていたからである。

・スパイが潜入しているにもかかわらず、地球上でもっとも正直な日本人は「すぐに人を信用して」しまう。「疑う前に信じてしまう」国民は、秘密もすぐに話すから、スパイにとってこのうえなくありがたい。

・必要な情報(データやインフォメーション)をただ集めればよいのではない。それらを吟味し、長期的、大局的な戦略を考えるために使える形にまとめ上げていく。情報を分析し、有効に使える形に加工する作業、すなわちインテリジェンスこそが必要であった。

・彼らは「きわめてすぐれた情報戦の戦士」だった。それは「収集し分析した情報が、歴史の洞察にもとづく客観的なものであり、必ずや世界を大きく変革するだろうと確信して」いたからである。

・精密爆撃の放棄は、なぜ起こったのか。ひとつには、空襲によって人々が戦意を喪失するだろうという予測がはずれたからである。そのために、執拗に空爆が繰り返され、多くの人命が失われる結果になった。

・アナイアレーションは、何も残らないまで、すべてを破壊しつくすこと、殲滅の意である。

・ジェノサイドが指し示すのは人を対象とした犯罪行為である。これに対してアナイアレーションは、人だけでなく、動植物や、建物や自然地形など、環境すべてを含んでいる。また、人についても、ひとつの国民や民族、人種に限定されない。

・戦争の体験を語り継ぎつつも、その悲惨さを「競い合う」ことは留保して、今後の議論を建設的なものにする必要がある。

・ジェノサイドとは、ひとりひとりをユダヤ人かどうか確認したうえで、ユダヤ人であることだけを理由に殺していくようなタイプの虐殺を告発するための言葉である。誰が対象となるかについて、リストが作られるかたちのものだ。

・戦争を体験した世代の、その次の世代の責任は何か。それは、人間は最悪の事態において最悪の決断をなしうる存在であり、かつ、そうではない望ましい決断をしうる存在でもある、ということを考え、伝えていくことだと思う。

・相手の武器を見極め、銃口の向きや発砲の意図を確かめてからでは遅い。応射ではなく、先制攻撃が不可欠と考えられた。

・ベトナムではジェノサイド(無差別の人殺し)とエコサイド(自然環境の破壊)とがセットになっていた。

・兵士たちの生の声を収録した本はあったのだが、現在は多くが絶版となった。50年も経っていない出来事に関する本が、いまの書店には見当たらないのだ。

・刺激に対して敏感に反応する状態にすることを感作という。反対に、刺激が与えられても、それに対する過敏性を少なくしていくのが、脱感作となる。

・瞬間的な射撃を可能にするためには、なるべく人間の姿をした的を使うほうが効果が上がるということだ。実戦では迷っている暇はないし、丸い的でなければ撃てないということでは戦果が上がらない。

・人間型の的を狙って訓練しておけば、実戦で人を撃っても、的を撃ったのだと思い込める。これは、後悔が起こらないようにするための用意ともいえる。

・ベ平連の運動そのものが解体されることもなかった。これは、戦前の共産党が組織を構築しようとして崩壊に導かれたのとは対照的だ。ベ平連は、そもそも、解体されるような組織を作らなかった。

・1970年代の技術革新は、灯油と硝化アンモニウムを混合するANFO爆薬が開発されたことだった。いくらかの知識があれば、誰もが安価で入手できる薬剤から爆薬を作ることができる。しかも、いくつもの建物を吹き飛ばす威力を持ち、殺傷力も強い。

・自動車爆弾が普及したのは、単に安くて使いやすいからだけではない。狙った標的を確実に破壊する精度は空爆より高い。

・爆撃機や爆弾を作る財力がなくても、自動車さえ盗みさえすればよい。トラック一台で、第二次世界大戦に使われた爆撃機に匹敵する量の爆薬を運ぶことができる計算だ。自動車爆弾は、まさしく「貧者の空軍」だった。

・自動車爆弾やIED(Improvised Explosive Device:即製爆弾)は、ピンポイントで破壊・殺傷がなされるという点で精密爆撃とみなせる面がある。とりわけ、自爆テロの場合は、精度が高い。

・「暴力を抽象化し、血なまぐさいところをなくし、個人の問題ではないようにする」ことで報道が現実から離れていく。報道関係者は、「戦争の好ましくない部分を削除」することで、戦いを永続させているのだ。

・私たちは、機械に向かって私が私であるということを証明しなければならないのに、目の前にある機械が本物で、信頼できるものなのかどうかは確かめていない。

・「信頼」を「相手の誠実さや協力に対する依存」と定義する。「あるいは少なくとも相手が自分を騙しはしないだろうという期待」だ、とも。

・技術や、それを応用した機械を使わないという選択をするときに、それらについて知らなくてもよい、無関心でよいということにはならない。技術がもたらす効果とデメリットをよく知り、社会の変化の可能性についてよく考え、はじめて、使わないという選択が意味を持つ。

・人を殺すほどの力や技も、ルールを作って丸腰で向き合えば格闘技、スポーツになる。一個のボールをあいだにおいて、相手の身体に直接触れないようにすれば、誰もが参加できるゲームになる。

・信じることは賭けである。ひとつの「思考停止」でもある。ただし、悪い方に考えるのを停止して、よい方の予測に賭けてみることだ。





スパイ・爆撃・監視カメラ---人が人を信じないということ (河出ブックス)

スパイ・爆撃・監視カメラ---人が人を信じないということ (河出ブックス)

  • 作者: 永井 良和
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2011/02/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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