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『日本の宿命』 [☆☆]

・既存のポストにいる権力者をたたくという「裏返された権力欲」の蔓延を示している。

・実は、誰も、公務員の実態や議会の実態などよく知りません。まして教育委員会の実態など普通の者にはまったくわかりません。にもかかわらず、というか、だからこそ、「敵は役所にあり」などと特定されると奇妙に納得してしまうのです。

・直接民主主義がうまくいくのは「民意」が正しい場合だけです。しかし、そのような保証はどこにもありません。それどころか、民主政治のもとでは、「民意」はだいたいにおいて正しくない。

・政策通や専門家などという人は厳密にはいません。まわりからそう「思われている」人、あるいは自分でそう「思っている」人がいるだけなのです。

・「人」としてすべての人は平等なのですが、「人格」においては人はすべて差異を持っています。

・「人の権利」ばかりに関心を向け、「人の格」にあまりに鈍感になったのではないでしょうか。「人権」栄えて「人格」滅ぶではどうしようもない。

・支持率が上がるにせよ下がるにせよ、確かな判断などというより明らかに情緒によって動いています。

・病気であろうとなんであろうと、「状況への追従」と「他人への同調」が便利なのは、そこに「利」がうまれるからです。状況に抗ったり、他人への同調を拒否したりすると、摩擦係数がやたら大きくなり、日常生活がギクシャクする。これは「損」なのです。

・国とは、共通の何かを実現しようとする人々のプロジェクトに他なりません。

・国というものは、ただ人々が一緒にいるというだけで共同生活をしているのではなく、共同で何かをするために一緒にいる、というのです。

・国というものが成り立つためには「共同生活を呼びかける計画」が不可欠だというのです。

・では昔は、驚くほどの能力を持ち、とびぬけた資質があり、器量の大きい人物がいたのに、今は皆がなさけないほど小粒になってしまったのだろうか。それは違う。「人物」とは、その人固有の力量にあるのではなく、集団や大衆がその人物に与えるものなのである。今日、大衆は、もはや特定の人にそのような「人物」という観念を与えようとはしない。

・日米安保条約は、平和憲法によって軍事力を持たない日本の安全保障をアメリカに肩代わりしてもらう、というものでした。ですから、平和憲法と日米安保体制はワンセットです。いわゆる左翼・護憲派は、平和憲法は守れ、しかし日米安保体制には反対などといいますが、こんな話は通用しません。

・「部族社会」が社会として成り立つには、実は「外」が必要なのです。「共同体」は「外部」を必要とするのです。「世界」を必要とするのです。しかし実は「世界」などというものを誰も知らない。そこで、「世界」と「共同体」を媒介する者が必要となる。かつて、「神」の時代には、これを媒介するのはシャーマン(巫女)だった。

・日本では、おそらくはいかなる国に比べても比較にならないぐらい、アメリカ、ヨーロッパの「最先端思想」が翻訳され、紹介されます。しかし、実際には、それらは、ほとんど、パリコレやニューヨークやロンドンのファッションと同様な「知的ファッション」として消費されてゆくことになるのです。

・けれど、もしも本当に「田舎」が都会化してしまえばどうなるのでしょう。「田舎」はもうありません。彼らには帰る場所もないのです。いいかえれば、彼らの存在理由ももはやないのです。都会を知ったかぶりして田舎民に説教するという彼らの存在理由もなくなるのです。

・「世界」とは常にひとつの単なるイメージであり、もっといえば、「日本」なるものを、特異な国として定義するためにもちだされたフィクションでもあるのです。

・1853年(嘉永6年)に黒船を見せつけられて以来、日本人は必死で戦艦大和を作ろうとしていた、ということなのです。いや、もっといえば、大和を建造する運命にあったということです。

・黒船を見たときに、もしも日本人が(潜在意識において)戦艦大和を作ろうと思ったとしたら、いや、作らなければならないと思ったとしたら、その時はすでに大東亜戦争は始まっていたのです。

・列強による植民地化を防ぐためには、日本は満洲から中国、台湾からさらにはインドまで出撃するつもりがなければならない、というのです。

・「力」の対決、これが世界の現状だった。「万国公法」や「万国普通の権利」などというが、そんなものは決して世界共通の義ではない。それはただキリスト教国に通用するだけで、それ以外の国には通用しない。

・結局今の禽獣世界に処して最後に訴うべき道は必死の獣力に在るのみ。

・昭和が終わるのは1989年ですから、80年代は、なによりまず昭和の最後の10年だった。そしてこの「昭和ラスト・ディケイド」は戦後日本においても独特の意味を帯びた10年(ディケイド)でした。

・われわれは、自らの頭で判断し思考しているつもりでも、実はその背後には、自分の判断や思考にお墨付きを与えてくれる「アメリカ」が必要だった。どこかでわれわれは、「アメリカ」ならこういう決断をするだろう、と暗黙裡に計算しているものなのです。

・子供が、自分で決め、自分で考えているつもりでありながら、実は「父親」ならどうするだろうと暗黙裡にシミュレーションし、「父親」が頭をなでてくれるかどうかを無意識に計算しているようなものといってよいでしょう。

・80年代とは、思想的にいえば「ポスト・モダン」の時代です。「ポスト・モダン」とは、人々が共通にもちうる大きな価値観などもはや存在しない、ということです。





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