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『文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか』 [☆☆]

・「十二支」として知られる循環は、元々、木星の公転周期(11.86年)に基づくといわれる。

・近代以降、因習は、常に自由を奪う不合理なものとして表向き、否定されてきた。しかしこの世に存在するものには、およそ役割があるものだ。要するに、世界の自由度が高過ぎると、人の意思決定コストが高くなりすぎてしまう。

・たとえば「大安」や「友引」という仕組みがあるからこそ、婚礼や葬儀の日程調整は過度に発散しないで済むわけだ。

・豊かな社会になると、人々はさらなる豊かさを求めるよりも、今の幸福を失いたくないと感じるようになるものだ。その結果、人々は「リスク」に敏感になる。

・リスク社会は、科学を担う者にとっても辛いだろう。「できなかった問題」ばかりに社会は注目するからだ。90点でも、99点でも、「なぜ満点でなかったのか?」と叱責され続ければ、いずれ心も折れるだろう。

・聖火リレーが始まったのもベルリン大会からであり、まさに国家の威信とオリンピックが直接結びついたのは、ナチスからであった。

・非常の尋常化、つまりかつての非常が現在の尋常だとすれば、それは「時代の節目」を乗り越えたことになるのだろうか。

・中途半端な科学的知識は、できごとの信憑を高めながらも、観察結果は予測できないという、「生焼け」の状態をもたらす(最近はやりの「DNA診断サービス」もどこか似ていないだろうか?)。

・BIOSのないPCは作れないのと同じように、世界観の基盤としての宗教は、どこの文化圏にも存在している。そして、BIOSが通常、意識されないように、自らが浸っている基本システムの構造は、漫然と暮らしていると認知され得ない。それが見えるのは、故障したシステムを前に途方に暮れる者か、別のシステムとの接続を試みる者だけだ。

・客観的に見れば、対ロシアの講和条件は上出来だったのだが、一般の人々は自らが置かれている立場を理解できていなかった。

・彼ら/彼女らは、下手に自分で「独創」するよりも、世界中の知のクラウドから、ほどほどに適切な答えを短時間で導き出せることの方が、いやそのスキルそのものが、「知である」という「実感」を持っていると推察されるのである。

・この世代が知の「消費者」でしかなく、本当の意味での「生産者」になり損ねている、とすれば、事態は深刻だ。

・深海魚であるダイオウイカは、浮力を確保するために体に塩化アンモニウムを大量に含んでおり、味が大変に悪い。

・学術誌というものは本来、科学的な議論のフォーラムを提供するためのインフラであって、その真偽を直接判定する装置ではない。

・そもそも長年にわたって「理科」は、「唯一の正解がある科目」と見なされてきた。「改訂されうるが故に、信頼すべき知」というポパーの言う科学像とは、まるで違うものである。

・テレビドラマもワンクールで十回程度のものが多いが、最終回ではもう物語に自由度は残されておらず、展開が読めてしまうので、正直言ってあまり面白くない。だから最もスリリングなのは終盤、特に「最終回の一つ前」、辺りだったりする。

・「起承転結の「転」は物語の九合目に据えるべし」というような「黄金の法則」があり、無意識か意図的かは分からないが、それを踏襲しているのかもしれない。

・欧米の学校では、レポートは「Introduction, Body, Conclusion」の構造で書くように指導される。こういうロジカルなスタイルで文章を書けるようになることが、欧米の教育では重視されるのだ。

・小学生から義務教育で英会話をやる必要性は全く感じないが、母国語で論理的な文章を書く練習を早くから始めることは、非常に重要だと痛感する。

・より基底的な問題は、自らが情緒的・感情的なもの「ばかり」に突き動かされていることに、あまりに無自覚な人が多過ぎること、ではないだろうか。

・端的に言って、政治とは言葉である。したがって政治に携わる者は、言葉の運用や解釈には、誰よりも気を遣う必要がある。

・なんと微生物にも24時間の内的な周期が備わっていることが判明した。紫外線が強い時に細胞分裂すると、遺伝子が壊れて情報のコピーに失敗するので、暗いときにだけ増殖するように適応したバクテリアが遠い昔、出現したらしいのだ。やはり進化は、凄い。

・より高速に「差異」を創り出し、それを原動力に拡大しようとする資本主義の「業」が、より速くよりダイナミックなイノベーションを求め続けるのだ。

・イノベーティブな時代についていけない者は、後景に退くべし、それこそが正義なのだ。

・社会のメンバーの大半が、その社会から取り残されるような時代が来ているとすれば、まさに今は「時代の節目」、と言うべきなのかもしれない。

・現代でも、オイルショックやバブル経済の頃、また「格差社会」が問題とされた時期などに、社会派の経済小説や企業小説などが注目を集めたが、『世間胸算用』は、まさにそういう作品群のルーツと言えるだろう。

・二本松藩は1745年から「赤子養育仕法」という制度を導入し、3人目の子供が生まれると米1俵、4人目には3俵を支給したという。まさに「子供手当」であるが、その後の記録を精査すると、残念ながら人口増加にはあまり効果を発揮しなかったらしい。



文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか (講談社現代新書)

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  • 作者: 神里 達博
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/04/16
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