『MORI LOG ACADEMY 9』 [☆☆]
・フリーの模型でリアリティを出そうと思えば、それだけの理由が必要になる。実物どおりに作ればリアルに近づけるスケールモデルのような王道はない。
・自分一人でやっていると、どうしても自分の方が合わせてしまうのだが、人が不便そうにしているのを見ると、そこをなんとかしなくては、と感じるわけだ。
・TVなどで、「厳しい訓練」「厳しい教育」「厳しい職場」などと表現されるのは、どうも「大声で罵倒する口の悪い下品な教官や上司がいる環境」という意味らしい。
・好景気を保ったまま地球環境も維持することは無理だ。環境のためにも不景気にすべきである。
・ファンタジィに出てくる魔法のアイテムや呪文などの多くは、単機能だ。これは、おそらくツール的な発想だと思う。
・ツールは単機能なものが多い。ツールであれば、使う人間の力量に左右される。
・人間も犬も、子供のときはあまり怖がらない。好奇心が旺盛だ。大人になるほど、異質なものを見て、尻込みする傾向にある。
・個の時代に生まれ育った今の若者には、「群れ」が未知であり、憧れの的になりうるのではないか。
・「マニュアルなんか読んでもさっぱりわからない」とご立腹だった。そう、それはそのとおり。使われている言葉や表現がわかるようなレベルの人は、読まなくてもわかる。わからない人はいくら読んでもけっして理解できない。世の中の文章の98%は、これである。
・小説も漫画も、そしてTVも、「連載」をやめるべきだと思う。完結してないフィクションを買い求める習慣が、もう次世代にはない。
・だいたいエッセィというのは、普通が長すぎるのだ。1500文字くらいまでがせいぜいで、言いたいことを説明するのに、これ以上に文章が必要な場合、それは言わない方が良いことだと考えて間違いない。
・一方的に歪められた歴史を教えられて、戦争に駆り立てられる人は多いけれど、数学や物理を学んで戦争をしたくなる人間はいないだろう。本当の知識とは、そういうものだと思う。
・相手が誰であれ同じような態度を取り、同じような口のきき方しかできないようでは、能力が低いと思われてもしかたがない。相手によって態度を変え、口のきき方も変える、というのが社会のマナーであり、それがより高等な人間(あるいは動物)の証である。
・「終わった!」と嬉しくなるのは、それが仕事であり、与えられたノルマである証拠だ。「できた!」と嬉しくなるのは、それを誰かに見せようと思っているせいだ。まだ誰か他者に支配されていることを思い知ろう。
・締切を守る能力とは、自分の能力と作業量を見切ったうえで、無理な仕事を断わる能力にすぎない。前者は思考力の差、後者は常識的な思いやりの有無。だから、締切が守れないのは、頭が悪いか、性格が悪いかのいずれかである。
・語り手のバックグラウンドが、言葉の価値を左右している。
・誰かが解説していないと、自分の感動が確かめられない。そういう人が多いのだ。
・言葉や2次元の図になるような思考は、比較的簡単な部類だと思われる。
・一部の支配者層に富が集中している時代なら自然は破壊されないが、格差がなくなると、支配者層が土地を手放し、細切れになって庶民が家を建てる。
・手書きの文字を書いているときは、平仮名ばかりが続いたり、区別したいけれど読点を打つほどでもない、という場合に、ちょっとスペースを開けて書いたりしたものだが、そういうことは活字のシステムにはない。「ちょっと開けるスペース」みたいなものを作っても良いかも。
・なにごとも、「自分にはできない」と諦めたとき、本当にできなくなる。
・自動車通の人が、「馬力よりトルクだよ」という意見をよく口にするけれど、トルクが大きくても車は速くはならない。また、加速が良いともいえない。トルクは、エンジンの特性の1つとして、エンジンの扱いやすさや、車の運転のしやすさに関係すると思った方が良い。
・機敏性が要求されるような戦闘機や曲技機の場合は、回転の中心に重量物が集中している方が有利なので、双発は向かない。多発になるのは、高速性が要求される偵察機か、大型になる攻撃機や爆撃機である。
・周波数が2倍になると、1オクターブ高くなる。つまり、振動する弦の長さを半分にすると、1オクターブ高い音が出る。
・100億円を売り上げても、社員が2000人いたら、1人当たり500万円だ。給料を払ったら終わりである。
・TVに頻繁に現われるのは、宣伝費を投じているからであって、むしろ売れないから必死になっている商品だ、と見た方が当たっているかもしれない。
・東京では行列ができる店が人気だが、名古屋では「混んでいて入れない店など誰が行くものか」という考え方が一般的なのである。
・多くの場合、「どこまでが」なんて言っているようなものは「すべて悪い」と考えるのが正解である。自分がどう認識しているか、自分がどう処理しているかが問題なのではない。当事者の誰かが「収賄だ」「ヤラセだ」「セクハラだ」と感じれば、あるいは当事者でなくても多数が感じれば、それは「クロ」なのだ。
・一度簡単になったものは、絶対に複雑な方へは戻らない。
・自分一人でやっていると、どうしても自分の方が合わせてしまうのだが、人が不便そうにしているのを見ると、そこをなんとかしなくては、と感じるわけだ。
・TVなどで、「厳しい訓練」「厳しい教育」「厳しい職場」などと表現されるのは、どうも「大声で罵倒する口の悪い下品な教官や上司がいる環境」という意味らしい。
・好景気を保ったまま地球環境も維持することは無理だ。環境のためにも不景気にすべきである。
・ファンタジィに出てくる魔法のアイテムや呪文などの多くは、単機能だ。これは、おそらくツール的な発想だと思う。
・ツールは単機能なものが多い。ツールであれば、使う人間の力量に左右される。
・人間も犬も、子供のときはあまり怖がらない。好奇心が旺盛だ。大人になるほど、異質なものを見て、尻込みする傾向にある。
・個の時代に生まれ育った今の若者には、「群れ」が未知であり、憧れの的になりうるのではないか。
・「マニュアルなんか読んでもさっぱりわからない」とご立腹だった。そう、それはそのとおり。使われている言葉や表現がわかるようなレベルの人は、読まなくてもわかる。わからない人はいくら読んでもけっして理解できない。世の中の文章の98%は、これである。
・小説も漫画も、そしてTVも、「連載」をやめるべきだと思う。完結してないフィクションを買い求める習慣が、もう次世代にはない。
・だいたいエッセィというのは、普通が長すぎるのだ。1500文字くらいまでがせいぜいで、言いたいことを説明するのに、これ以上に文章が必要な場合、それは言わない方が良いことだと考えて間違いない。
・一方的に歪められた歴史を教えられて、戦争に駆り立てられる人は多いけれど、数学や物理を学んで戦争をしたくなる人間はいないだろう。本当の知識とは、そういうものだと思う。
・相手が誰であれ同じような態度を取り、同じような口のきき方しかできないようでは、能力が低いと思われてもしかたがない。相手によって態度を変え、口のきき方も変える、というのが社会のマナーであり、それがより高等な人間(あるいは動物)の証である。
・「終わった!」と嬉しくなるのは、それが仕事であり、与えられたノルマである証拠だ。「できた!」と嬉しくなるのは、それを誰かに見せようと思っているせいだ。まだ誰か他者に支配されていることを思い知ろう。
・締切を守る能力とは、自分の能力と作業量を見切ったうえで、無理な仕事を断わる能力にすぎない。前者は思考力の差、後者は常識的な思いやりの有無。だから、締切が守れないのは、頭が悪いか、性格が悪いかのいずれかである。
・語り手のバックグラウンドが、言葉の価値を左右している。
・誰かが解説していないと、自分の感動が確かめられない。そういう人が多いのだ。
・言葉や2次元の図になるような思考は、比較的簡単な部類だと思われる。
・一部の支配者層に富が集中している時代なら自然は破壊されないが、格差がなくなると、支配者層が土地を手放し、細切れになって庶民が家を建てる。
・手書きの文字を書いているときは、平仮名ばかりが続いたり、区別したいけれど読点を打つほどでもない、という場合に、ちょっとスペースを開けて書いたりしたものだが、そういうことは活字のシステムにはない。「ちょっと開けるスペース」みたいなものを作っても良いかも。
・なにごとも、「自分にはできない」と諦めたとき、本当にできなくなる。
・自動車通の人が、「馬力よりトルクだよ」という意見をよく口にするけれど、トルクが大きくても車は速くはならない。また、加速が良いともいえない。トルクは、エンジンの特性の1つとして、エンジンの扱いやすさや、車の運転のしやすさに関係すると思った方が良い。
・機敏性が要求されるような戦闘機や曲技機の場合は、回転の中心に重量物が集中している方が有利なので、双発は向かない。多発になるのは、高速性が要求される偵察機か、大型になる攻撃機や爆撃機である。
・周波数が2倍になると、1オクターブ高くなる。つまり、振動する弦の長さを半分にすると、1オクターブ高い音が出る。
・100億円を売り上げても、社員が2000人いたら、1人当たり500万円だ。給料を払ったら終わりである。
・TVに頻繁に現われるのは、宣伝費を投じているからであって、むしろ売れないから必死になっている商品だ、と見た方が当たっているかもしれない。
・東京では行列ができる店が人気だが、名古屋では「混んでいて入れない店など誰が行くものか」という考え方が一般的なのである。
・多くの場合、「どこまでが」なんて言っているようなものは「すべて悪い」と考えるのが正解である。自分がどう認識しているか、自分がどう処理しているかが問題なのではない。当事者の誰かが「収賄だ」「ヤラセだ」「セクハラだ」と感じれば、あるいは当事者でなくても多数が感じれば、それは「クロ」なのだ。
・一度簡単になったものは、絶対に複雑な方へは戻らない。
MORI LOG ACADEMY 9 (モリログ・アカデミィ 9) (ダ・ヴィンチブックス)
- 作者: 森 博嗣
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2008/03/12
- メディア: 文庫
タグ:森博嗣