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『会社という病』 [☆☆]

・人生を棒に振るぐらいなら、出世なんかしなくてもいいじゃないか。出世のために必要な不正も、不公平な人事で出世した東大卒に任せておけばいい。

・第一と勧銀、それぞれのグループは長らく行内の主導権争いをしていたから、何かのきっかけで分裂する可能性がゼロではなかった。だから、いつ合併を解消しても、ヒト、モノ、カネの財産をきれいに二つに分けられるよう、それぞれの「所有権」をはっきりさせておいたのだ。行員はみなDかKかのどちらかに属している。

・さすがに戦争を生き抜いてきた人間だ。戦場で生き残る術を知っていた。余計な意地を張らずに、「軍人は要領を本分とすべし」を地で行く対応を諭してくれた。

・派閥のボスという存在は、それが自分に対する媚だということは百も承知だが、すり寄ってくる猫には必ず餌を与えてくれる。

・実は人間の組織というものは、派閥争いをしている時のほうが健康だ。なにしろ、派閥形成の性向は、自分の集団が生き残るためにDNAの中に組み込まれたものなのだから。それがなくなれば組織は死滅するしかないのだ。

・どれほど高齢に達しようと、生きているかぎりは毎日会社にやって来る。家にいても面白くないからだ。彼にとって会社は自分の子供だ。死ぬまで子離れしない。こうなってくると、「中興の祖」は社内に毒を撒き散らし始める。

・私はサラリーマン人生の手本は、「釣りバカ日誌」のハマちゃんこと浜崎伝助のような生き様だと思っている。どこに転勤を命じられようと釣りさえできれば幸せを実感する。あれは人生の達人の生き方だ。

・担当者は上司の許可を得れば、すぐに実行したいと考えている。ところが上司は「関係部署の担当者を集めて会議を開け」という。理由は簡単だ。上司に自分一人で決断する勇気がないからだ。だから失敗した時に備える保険の意味で、会議を開くことを担当者に要求する。

・オリンピック招致に成功した当初は、たいして努力していない人間まで我も我もとばかりに「自分が成功に導いた」などと言いだした。ところが新国立競技場の問題が浮上してくると「オレは聞いてないよ」と知らんぷりをするヤツばかりになった。誰も責任をとろうとしない。挙げ句の果ては安倍首相に丸投げして「白紙撤回」で終わりである。太平洋戦争の終戦に向けた「御前会議」に至る過程とそっくりである。

・勝ち戦の時は、皆が争うように戦功をアピールしていたのに、一転負け始めると誰も責任をとらない。結局、最後は「陛下の聖断を仰ぐ」という形で決断さえも丸投げしてしまった。結局、今も昔もこの国のエリートたちは、最後の最後まで責任を取ろうとしない。

・今では、自社の研修予算を削りたい一心から「入社前に英語くらいはできないと」「大学時代に入社後役立つようなことを勉強しておいてください。即戦力を求めていますから」などと浅ましいことをぬけぬけと言う。

・「人生に定年はない」「定年なんか企業が勝手に決めた雇止めだ」。いろいろ意見がある。しかし定年はいい制度だと思う。勤め人にとっては、定年がなければ会社を辞めるきっかけってなかなかないからだ。

・定年とは、なかなか辞め時を自分で判断できない愚かな組織人にとって、辞め時を教えてくれる重宝なシステムでもあるのだ。

・彼も仕事人間で、定年になれば色々やりたいことがあったようだが、実際に定年になってみると、それは会社人であったから、その不満のはけ口としてやりたかっただけだと気づいたのだ。

・会社の理屈は社会の屁理屈。会社の常識は社会の非常識。そういうものだ。こうした状況を私は「トップの曖昧な指示、部下の忖度」と呼んでいる。

・大蔵省検査の目から隠蔽するにあたり、部下に対して「上手くやってくれ」と言っただけだった。何を、どうして、どのようになど、具体的なことは一切ない。トップの指示は曖昧だったが、部下はそれを忖度し、不正に手を染めた。

・よく勘違いされるが、事件が起きてから広報が活躍するんじゃない。事件が起きないように、世間から批判を受けないように努めるのが広報なのだ。だから「何も起きない」のは広報が機能している証拠といえる。

・移民や国家間の人間の移動が激しい社会では、他人に道を譲り、協調していたら生き残れない。他人を出し抜き、どんな手段を使っても一歩前へ出ることが生存のための最低条件なのだ。

・都会の大企業の働き手となったのは、農村の次男、三男たちである。彼らはそれまで、経験重視、長老重視の年功序列のムラ社会で育っていた。その彼らが就職した先で見たのは、農村そのものの社会だったのだ。

・創業者という神を祀り、その周りに長老がおり、運動会や創業祭といった祭りもある。そこは会社ムラという住み心地のよい社会だった。

・年功序列が機能したから高度成長時代を迎えたのではなく、高度成長が企業の成果配分を可能にしたからこそ年功序列が機能したのである。そう考えれば、なぜ年功序列が機能しなくなったかがよく分かる。成長が止まったからだ。企業経営者は、もはや成長の果実を多くの社員たちに配分できなくなってしまったのだ。

・社長というのは重要なポストだ。高度成長期のように、誰がやってもそこそこ業績が上げられた時代ではない。誰がやっても難しい時代だ。

・不正経理を行なった某大手企業で、社長の信任投票を実施するという。幹部社員が投票権を持っている。バッカじゃないの。いくらガバナンスが重要だからといって社長の信任(人気?)投票を実施して、ダメなら社長の座から引き下ろすなんて異常だよ。さらなるバカは「幹部社員だけじゃダメだ。従業員にも投票権を拡大しろ」などと主張している。

・彼にとって「経営を守ること」は「経営者を守ること」と同義だったのだ。どんなに守るに値しない経営者でも守ること、それが男のロマンだったのだ。

・「エアー・ハラスメント」なる言葉もある。特定の人を苛めるためにその場の雰囲気を意図的に悪くすることだそうである。

・パワハラ、セクハラが定義づけられたからこそ、部下の嫌がる行為を上司が控えるようになったのだ。病気はいったん病名がはっきりすれば、対処のための薬や治療方法が確立していく。まずは病気に名前をつけて、定義づけることから始まる。

・ハラスメントは病気の一種だ。だが病気であることに気づかない加害者が多い。

・執行役員は会社法上の役員ではない。会社が決定した重要事項に従って実務を執行する責任を持つ幹部従業員に過ぎない。取締役と執行役員とでは、権限や責任の大きさ、待遇も月とスッポンくらい違う。

・そもそもガバナンスって何だろう? 「企業統治」などと、こなれない訳語が当てられているが、昔からある日本語で言うなら、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」ということではないかと私は思うのだ。

・銀行員は金の勘定はできるが、現場のことは何も知らない。知らないクセに知ったかぶりをするから間違うことが多い。

・リスクの多い人生を選択しているのが創業者なのだ。安定志向の人間にはとても務まらない。天賦の才が必要だ。だから、それだけのリスクを取れる「器」もないのに会社を興そうとすると、必ず失敗する。

・「セールストーク」と言うくらいだから大方の人は「営業=話すこと」と思っているのではないだろうか。それは大きな間違いだ。営業は「耳」だ。「口」ではない。

・「口」より「耳」を使えば、相手は「口」を使ってくれる。こちらが一方的に「口」を使うと相手はうるさくて「耳」をふさいでしまう。

・円が上がれば、こぞって専門家は「安全通貨の円が買われた」と言う。1000兆円も借金があり、いつ財政破綻するかと世界から注目されている国の通貨がなぜ「安全通貨」なのか、いくら聞いてもよく分からない。

・専門家やエリートというのはそういうものだ。その時、その場で都合のいいことを考えるのは上手いが、さてそれでどうするか、ということについて独自のアイデアはない。

・私に言わせれば、査定とは人事評価ではない。査定は人件費を決める基準なのだ。要するに、人件費を圧縮する必要が生ずれば査定は必然と厳しくなるし、人件費の削減がそれほど必要でなくなれば査定は甘くなるのである。

・会社の中で「人件費」というのは、どの会社でも売り上げ全体のせいぜい20%前後ではないかと思う。中には流通業のように、パート・アルバイトといった非正規労働者(彼らだって人間なのに、会計上は人件費に含まれない。何という不思議!)を多く雇用している会社には、人件費数パーセント程度の場合もある。

・某大手電機メーカーのトップは、期末近くになっても目標を達成できていない部下に向かって「チャレンジだ」と叫んだ。残りわずかな期間しかないのに、「あと100億円の売り上げをあげろ! チャレンジだ!」と檄を飛ばした。そのトップは、期末に100億円の売り上げを達成されたのを見て、自分のリーダーシップが効果を発揮したのだと喜んだことだろう。

・今どき、ヤクザの親分でも「アイツを殺してこい」「この覚醒剤を売りさばいてこい」などと直截的に不正を指示することなんかない。部下が親分の気持ちを忖度して、「自主的に」悪事を働くのだ。

・経営者は社員に対し、「仕事をする場所も何もかも用意したのはこっちだから、こちらの取り分が多いのは当然だろう」と言うし、社員は「もっと寄こせ」と言う。

・社員の給料は抑えるだけ抑えている。それに飽き足りないのか、正社員の仕事を非正規社員に担当させるようになり、正社員はリストラされている。そのくせ経営者だけは「俺たちの報酬はアメリカの経営者に比べればずっと少ない」などと言って、億単位の報酬を受け取るようになった。

・社内で一番大きな部屋を秘書付きで占拠している者もいる。元をただせば会社の幹部だが、老害をまき散らすようになってしまえば、もはや会社の「患部」にすぎない。

・旭化成の多角化は非常に成功したケースとして扱われてきたものの、住宅・建材部門の関連会社による杭打ち工事のデータ改ざん問題が発覚、評価が相当怪しくなっているのはご存知のとおりだ。

・フィルムは極めて特殊な技術の集積だ。だから写真フィルムは世界でも4社しか製造できなかった。

・ひとたび経理に配属された人間は、何年もそこで過ごすことになる。そうして、社内では忘れられた存在になっていく。忘れられた自分という存在をうまく利用しようと考える時、不正が起きる。

・新たな節税方法が開発されると、対抗策を各国徴税機関が取り始めるというイタチごっこが世界中で繰り広げられている。こういう時代になれば経理担当の中から戦略家で大胆な人材、国税の裏をかくことなど屁とも思わないようなダークヒーローが現れるかもしれない。

・「日本企業は、目先の利益を追うのではなく、長期的計画に基づいて経営されている」としたり顔で解説する人がいるが、これは直近の実績が把握できなかったからやむなく遠い将来を見て経営をするしかなかったのではないか。



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