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『18歳で学ぶ哲学的リアル 「常識」の解剖学』 [☆☆]

・人は「自分以外のものから制約されている状態」を「自由に反する状態」だと考えてしまう。これに対し、他人からの制約を「自分を否定する束縛」としてのみ捉えるのではなく、「社会的に承認された自己」を実現するための条件として理解し直したとき、私たちは真の意味での「自由」を実現して、自分自身に満足できるようになる。

・「私の物語」の「陰の主役」は、特定の「個人」ではなく、自分が属している「集団」なのである。

・アーレントによれば、「大衆社会」こそが「全体主義」の土壌であった。

・「大衆」は、それを信じることで、「現実の世界」から自分を切り離し、不安を解消してくれる「虚偽の世界」に入り込んで、ナチス体制の「人的資源」になったのである。

・ナチス・ドイツは、「ユダヤ人殲滅」という目的のみで「大衆」を束ねていたため、いかなる手段を用いても、その実現へと向かわざるをえず、ヒトラーが命令を下すまでもなく、部下はそれを先取りして実行するほどだったのである。

・この世界のどこにも「居場所」を見出せず、自分は「余計もの」ではないか、という不安を持つ「大衆」は、それを鎮めるために、現実世界の中に「ユダヤ人」という「余計もの」を作り上げて迫害するという解決策に飛びつき。身勝手な安心感に浸った。

・弱者は、(1)強者を「悪い」と評価した後で、(2)「悪くない」自分を「善い」と正当化して、(3)強者が今後は「悪い」ことが為しえないように、それを禁止する。

・日本の学校教育では、国内で望ましいとされる行為を物語形式で体得させる教科が「道徳」(戦前なら「終身」)であり、古今東西で学問的に整理された行為規範の原理を学ぶ教科が「倫理」とされる。

・近年では、雑誌モデルが単なる「ファッション・アイコン」であることを越えて、「ライフ・スタイルのリコメンダー」として脚光を浴びるようになった。

・私たち「普通の人々」は、追い詰められるほどに決断できなくなる。なぜなら、決断を迫られている問題の深刻さは、それを決断することで失われるものに比例するからである。

・「社会的な死」とは、「病院」に隔離されて死を待つ人が直面する、「自分がいなくても世界は何も変わりなく、まだ生きているにもかかわらず、誰からも必要とされていない」という寂寥感に満ちた「孤独」の概念である。

・自分の意見を表明し、相手の反論を聞き、弁明や説得を行う機会を失えば、もうできることはない。

・しかし、誰もキレイゴトを口にできず、それに耳を傾けようとしない世界で、私たちは安心して暮らせるだろうか?

・何らかの理想や善意をもって社会体制の横暴に抵抗する「レジスタンス」ではなく、もっぱら混乱や破壊のみを目的とする「テロリズム」である。

・自分の生存や生活の安全を確保するためには、それ相応の自己防衛が必要であることをすっかり忘れてしまい、事件や事故に巻き込まれる危険を想定せずに暮らしているのである。

・自分で考えることを放棄した人間など、一定のパターンに従うようプログラムされた自動機械にすぎない。

・政教分離は、本来、国家による宗教の固定の禁止であって、政治や公事から宗教を除外することではない。

・「寛容」という概念は、その由来からして「憐み」の別名であり、強者が弱者に対して施しを与えるという含意を持つ。

・その現実に向けて高度な科学技術と広範な政治力の連携が必要となり、素人ではおいそれと把握・評価できないものになっている。大事な一歩なのは分かるが、どんな一歩間なのか、さっぱり分からない。

・未来人という他者は、加害者である私たちに報復する権利を奪われているのだから、彼らを守ることが、私たちの義務なのである。

・「恩返し」は、「過去の世代」から受け取った「恩」を「未来の世代」に返すという「世代間の相互性」をもつ。

・彼らを導いたのは、今のままなら、自分は何もしない傍観者になるだけでなく、知りながら放置した加害者になってしまうが、それは嫌だ、という「良心の声」であろう。

・殺人や強姦、暴行や拷問──自分と同じ「人間」である他人を、「人間」としてではなく、「物」として扱うとき、私たちは「人でなし」になる。

・そのときどきの自分自身に満足できるのは、ある特定の集団の中に自分の「居場所」を確保できている場合である。

・「ゾンビ」はスマホ以外の「マシン」に興味を示さないのだ。

・哲学は「常識」をハッキングする。

・もちろん、「貧困」はなくなることが望ましい。だが、それができないならば、「貧しさ」の中でも「楽しみ」や「喜び」を感じられる仕組みを工夫することが大切なのだ。

・栄養価の高いスナック菓子を作り、人気キャラクターの描かれた袋に入れて、敵味方関係なく、子供たちに手渡しすることはできないのだろうか。この「キャラ付きスナック無差別攻撃」は、いずれ銃を向け合うことになるかもしれない彼らに、共通の「思い出」を与える。

・言葉を、その音や字面で記憶しているだけで、どのような場面で使うのか、その結果、どんなことを主張できるのか、まったく頭に入っていなかったのだ。



18歳で学ぶ哲学的リアル:「常識」の解剖学

18歳で学ぶ哲学的リアル:「常識」の解剖学

  • 作者: 大橋 基
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: 単行本



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