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『THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術』 [☆☆]

・レトリックは、私たちに、怒りの感情を掻き立てずに会話や議論をすることを教えてくれるのだ。

・効果的に相手を説得するには、聞き手が何を信じ、何を期待し、何に重きを置き、どんな感情を抱いているかを読み取る力が必要だ。

・実のある議論をするには、終わったことではなくこれからのことを話すこと、何を選択するか、何を決定するかについて話すことが大切だ。

・説得とは、単に相手の合意を得ることではなく、聞き手をこちらの思い通りに動かすことである。

・現代では、議論とは、彼がこう言えば彼女がああ言うといった口論のことだと思われている。

・聞き手は、ときには見物人であり、ときにはテレビを見ている人であり、有権者も、「議論」の相手である。

・議論は、うまくやれば聞き手を語り手の思う通りに動きたい気持ちにさせるもの。それに対して口論は、相手に勝つためにするものだ。

・説得にあたっては3つのステップが必要だ。まず、気分を変えてやる。電球に「暗闇にいるのは怖いものだ」ということをわからせる。次に、考え方を変えてやる。ここを明るくするためには取り換えるのが一番いい方法なのだ、と電球に納得させる。最後に、行動したい欲望で満たさせる。電球に、変わることなんて簡単なことだと教えてやり、明るくなったところを想像させてみる。

・聴衆を行動へと駆り立てるには、「欲望」を利用することに加えて、行動するのはそんなに大変なことではないのだと納得させることも必要だ。

・非難するための質問は過去形を使っている。価値観を問う質問は現在形。選択を問う質問は未来形を使っている。

・話があらぬ方向へ行ってしまった時は、時制を変えて話してみるといい。

・責任を誰かに負わせようとしているなら、過去形を使うのは正しい。

・現在形は、称賛したり糾弾したりするときに使われる。

・未来への対処の仕方がわからない指導者も、民衆に同族意識を持たせようと、現在形を使いたがる。

・小さな女の子が悲しそうにしていたら、あなた自身も悲しそうな顔をするのが「共感」である。甲高い声で「元気を出して!」と言うのとは違う。

・「ディコーラム」とは、「相手に合わせる」技術を指す。礼儀正しい相手に囲まれているときだけではない。どんな場所でもその場にふさわしい言動をすることである。

・「ディコーラム」というラテン語には、「適合する」「ふさわしい」という意味がある。

・その場に合ったディコーラムを示すには、聴衆と同じではなく、聴衆の「期待に沿った」振る舞いをしなければならない。

・禅問答のようなアドバイスをくれた。「一番高そうな靴を履いている人をよく見るといい」というのだ。靴を真似するということではない。そういう人が着ているシャツやネクタイの色や柄を真似ればいいのだという。

・実践的知恵とは、何を決断すればいいのかを本で調べることでもなければ、普遍的な真理のみを信じることでもない。「どんな場面においても正しい決断をする直感」のことである。

・個人が起こす訴訟は、自分が軽視されたという思いからなされるものが最も多い。こうした思いは、人を動かす原動力になる。

・最も早く行動を起こさせることができるのが、怒りの感情だ。だから、政治広告には有権者の怒りを煽るようなものが多い。ただ、怒りを感じている人はすぐに引き金を引くが、その先のことまで考えない傾向にあるのが問題だ。

・模倣は、何かに帰属したいという本能からくるものでもある。

・政治家の演説は、過去ではなく、未来に焦点を当てなければならない、とアリストテレスは言った。

・感情とは、あなたの論理をちょっと「甘く」するスプーン一杯の砂糖のようなものだ。

・受動態を使うと、その行為をしたのが誰なのかわからなくなり、語り手はまったく関与していないかのように聞こえるので、聞き手の気持ちを落ち着かせることができる。もちろん、このテクニックは、政治家の言い訳にも使える。

・議論には、何が道徳的かをめぐる議論と、何が有利かをめぐる議論のふたつがある。政治の世界では、有利なものの方が最終的には勝つ(国家運営とは利己的なものだ)。

・共通認識は、「誰もが知っている」類のものだ。共通認識の変化をたどることには大きな意味がある。近頃あまり聞かなくなったな、と思うものがあったら、世間の共通認識が変わり始めたということだ。

・政治の世界では、何かに賛成する側の方が反対する側に勝つのが常である。中絶反対運動が肯定的な言葉を使ったのに対し、中絶する権利を支持する側は、否定することに終始してしまった(政府の介入「反対」という論点)。

・愚者はしゃべりまくるが、賢者は話すだけだ。

・演繹法とは、まず前提──事実や共通認識──から話を始め、それをある特定のケースに当てはめて、結論を得る。これに対して帰納法を使ったものは、逆の論理展開となる。特殊のケースを取り上げ、それを使って前提や結論を証明するのだ。

・死刑は、個人的な報復をするための制度ではありません。犯罪を減らすための制度のはずです。だが、ご存知のように、犯罪者の死刑を執行しても犯罪が減らないのが実状です。

・馬鹿とは議論するな。はた目にはどっちが馬鹿だかわからない。

・「実践的知恵」とは推測する力──何が起こりそうか、そしてこの状況下で最もいい選択肢は何かを推測する力。

・やじを飛ばす人も、結局はいじめっ子である。演者の話を遮り、演者を貶め、客の前で恥をかかせる。

・細かい部分について議論すると、相手が自分の意見を和らげる傾向にあることが、神経科学で証明されている。詳細を詰めていない意見ほど、極端になりがちなのだ。

・自分の言ったことを訂正すると、たとえ誰かを非難しているときでも、あなたが公平で正確な話をしようとしていると聞き手に思わせることができる。

・咎められている内容を繰り返してしまうと(たとえば「私は盗人ではありません」)、むしろ、聴衆の頭の中にその言葉を強く印象づけてしまうことになるのだ。

・言葉が急速に変化してそれに対応できなくなると、私たちの絆は弱まる。「毛づくろい」が足りなくなるのだ。

・自分が見下されたと思った人は、どうやって相手を小さな人間に貶めようとするのだろう? それは、謝罪を要求することで、である。

・話し合いにうんざりしているとき、人の信念は揺らぎがちだ。

・TEDで行なわれた何百というスピーチを研究した結果、人気のある人がみんな使っているあるテクニックを見つけた。スピーチを、何かを見つける旅に見立てる、というテクニックだ。私たちは、主張するポイントを挙げてからそれを証明する、という方法を学校で習ったが、TEDで行なわれる演説は、それとは逆だ。彼らは証明(例)を挙げ、それから結論を示す。結論の前に裏付けとなる証明を持ってくることで、語り手はスピーチをストーリーに仕立てることができ、聴衆とともに、そのポイントを「発見」することができる。

・学校で教えてくれるのは演繹的な推論であり、TEDのスピーチは機能的な論理を用いている。

・なぜ12秒なのだろう? それは、深く息を吸った後に、人間が息を吐き続けられる時間がだいたい12秒だからだ。

・短い文を重ねていき、12秒でわかる考えを風船のようにひとつずつ聴衆に投げるようなやり方をしている。

・子供の頃の毎日が完璧でない方が、大人になったときにさまざまなものに感謝ができるようになる。

・世界は「ポスト事実」の時代に入ったと言えよう。事実の情報源に対する信頼が失われ、議論しようにも共通の土台となる事実が存在しない。

・相手を口汚く罵るのは、議論ができないことの証――そして、説得したり総意を得たりするための信念がないことの証である。

・気候変動の問題ですら、アル・ゴアが「モラルの問題だ」と言ってから、国を二分する問題になった。それまでは、ほとんどの共和党員が、人的要因により温暖化が進んでいると認識していたのに、ゴアの発言以降、共和党のリーダーたちは気候変動を否定し始めたのである。政治家が価値観を政治問題化し、政治問題を価値観に関するものにしてしまったら、もはやまともな議論はできない。

・いつでもふたつの側面から考えるくせをつければ、心を解放することができる。違う考え方をしてみよう、という姿勢でいれば、人生がもっと楽しくなる。誰かの意見になるほどとうなずいた時には、心の中で言ってみよう。「だが一方で……」

・非難:過去形で語られる。主に扱うのは、「善・悪」に関する話題。

・価値:現在形で語られる。主に扱うのは「称賛と糾弾」。

・選択:未来形で語られる。主に扱うのは、何を「選択」するのか、何が「有利」か──聴衆にとって最もいいことは何か、という話題である。



THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術

THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術

  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 単行本



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