『共感障害 「話が通じない」の正体』 [☆☆]
・共感障害があるとうまくうなずけないので、「話、聞いてる?」と、よく言われる。
・できないくせに、なぜか自信たっぷりで、「世の中、ちょろい」となめている。あるいは、「世の中、うんざり」と斜めに構えている。共感障害者を部下に持つほど、厄介なことはない。
・共感障害が学業や社会生活に支障をきたすようになると、発達障害と呼ばれ、何らかの対策が講じられる。しかし、周囲とぎくしゃくしながらも、なんとか普通に過ごしている人たちは、ただの「できない人」「心の頑なな人」「頭の悪い人」「無神経な人」と思われて、組織の厄介者になっていく。
・語彙の多い脳は、発想力が豊かだが、思考に時間がかかるので、一人の時間を必要とする。語彙がシンプルな脳は、判断が早く、群れるのが上手い。
・インスタグラムのコミュニケーションモデル(画像+短い説明文+ハッシュタグで自己表現して、共感してくれる人とつながる。心に響いた投稿には「いいね!」でエールを送る)は、国を超え、言語を超える。
・インスタグラムは伝えたい第一属性が画像だけど、ツイッターのそれは言葉だ。
・フェイスブックに至っては、伝えたいのは「自分という人物」「ブランド」である。
・結局、「今、心の琴線に触れた風景」を写真に撮って、「心に浮かんだ言葉」を添えてインスタグラムに投稿することの積み重ねの方が、私らしい気がする。
・ゴール指向のとき、人は結論を急ぎ、問題解決を旨としている。プロセス指向のとき、人は経緯を知りたがり(あるいは語りたがり)、共感を旨主としている。
・いつの年を基軸にしても、28年後は対極の感性の時代、56年後は同じ感性の時代になる。
・来たばかりの嫁がぬか床をかき混ぜると、ぬかの味が変わる。
・人のからだの常在菌がぬか床の立役者。
・ぬかみそを味噌のように使って魚を煮る「ぬかみそ煮」は絶品である。
・脳と身体の神経交差が解ける時間帯がある。満月の時刻を挟んで5時間、新月の時刻を挟んで3時間、半月の時刻を挟んで1時間半、その現象が起こるという。
・左右脳が反転するのは、音だけじゃない。他の感覚器からの入力も逆転する。つまり視覚も触覚も、である。とっさに逆を選んでしまうので、未知を間違える、ケガをする、事故にあう、といったことが起こりやすい。
・ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と、その容認)
・私は、長らく、自分が「社会適応力の高い典型的フレーム優先タイプ」だと思っていた。社会生活に対する理解力が、他の人に劣っているとは思っていなかったからだ(それこそが、理解力の低さの証明でもあった)。
・自閉症児は「59人に1人」と言われる時代、「クラスに1人」に近い発症率だ。
・日本では自閉症の真実を知る人が少なく、福祉の専門家でも、愛を口にするのだそうだ。「手をつなごう、笑顔でわかり合おう」で、自閉症を何とかしようとする支援組織がいまだ主流だと聞く。
・祖母からは「医者と弁護士だけはなってはいけない。人の醜い面ばかりを見て生きるようにできていない」と忠告されたこともあるくらいだ。
・ミラーニューロンの活性度合いと、社会の包容力によって、病名がつけられる範囲は変わる。
・「話、聞いてる?」「なぜ、やらないの?」「わかってる?」は、繰り返しても意味がない。繰り返さなくてはならない以上、相手が、何らかの共感障害であることは間違いないからだ。
・エネジー・バンパイアは、共感障害が増えたここ2年の間にはやり始めた言葉である。人はそれだけ、共感してもらうことに心の安寧を左右されるのだろう。
・女性脳は、共感してもらえないと自己肯定感が著しく下がる。「生きている価値がない」と脳が思い込むのだ。
・自然にできないのなら、演技してみればいい。人と同じレベルにならなくていい。ただ、少しでも努力をすること。周囲はきっと、その努力を買ってくれる。「不器用だけど頑張っている」と。
・やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かず。山本五十六の名言である。この名言には、続きがあるそうだ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
・今、共感障害の若者が増えている。「それ、言われてませんけど」は、ゆとり世代の口ぐせだと思われてるくらいだ。
・子供の共感障害を訴える母親に尋ねてみると、授乳中の携帯使用はもとより「哺乳瓶をベビーチェアに固定して、一人で飲ませた」というつわものまでいた。結果として、子供の共感障害を生んだ可能性が高いのは、やはり否めない。
・できないくせに、なぜか自信たっぷりで、「世の中、ちょろい」となめている。あるいは、「世の中、うんざり」と斜めに構えている。共感障害者を部下に持つほど、厄介なことはない。
・共感障害が学業や社会生活に支障をきたすようになると、発達障害と呼ばれ、何らかの対策が講じられる。しかし、周囲とぎくしゃくしながらも、なんとか普通に過ごしている人たちは、ただの「できない人」「心の頑なな人」「頭の悪い人」「無神経な人」と思われて、組織の厄介者になっていく。
・語彙の多い脳は、発想力が豊かだが、思考に時間がかかるので、一人の時間を必要とする。語彙がシンプルな脳は、判断が早く、群れるのが上手い。
・インスタグラムのコミュニケーションモデル(画像+短い説明文+ハッシュタグで自己表現して、共感してくれる人とつながる。心に響いた投稿には「いいね!」でエールを送る)は、国を超え、言語を超える。
・インスタグラムは伝えたい第一属性が画像だけど、ツイッターのそれは言葉だ。
・フェイスブックに至っては、伝えたいのは「自分という人物」「ブランド」である。
・結局、「今、心の琴線に触れた風景」を写真に撮って、「心に浮かんだ言葉」を添えてインスタグラムに投稿することの積み重ねの方が、私らしい気がする。
・ゴール指向のとき、人は結論を急ぎ、問題解決を旨としている。プロセス指向のとき、人は経緯を知りたがり(あるいは語りたがり)、共感を旨主としている。
・いつの年を基軸にしても、28年後は対極の感性の時代、56年後は同じ感性の時代になる。
・来たばかりの嫁がぬか床をかき混ぜると、ぬかの味が変わる。
・人のからだの常在菌がぬか床の立役者。
・ぬかみそを味噌のように使って魚を煮る「ぬかみそ煮」は絶品である。
・脳と身体の神経交差が解ける時間帯がある。満月の時刻を挟んで5時間、新月の時刻を挟んで3時間、半月の時刻を挟んで1時間半、その現象が起こるという。
・左右脳が反転するのは、音だけじゃない。他の感覚器からの入力も逆転する。つまり視覚も触覚も、である。とっさに逆を選んでしまうので、未知を間違える、ケガをする、事故にあう、といったことが起こりやすい。
・ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と、その容認)
・私は、長らく、自分が「社会適応力の高い典型的フレーム優先タイプ」だと思っていた。社会生活に対する理解力が、他の人に劣っているとは思っていなかったからだ(それこそが、理解力の低さの証明でもあった)。
・自閉症児は「59人に1人」と言われる時代、「クラスに1人」に近い発症率だ。
・日本では自閉症の真実を知る人が少なく、福祉の専門家でも、愛を口にするのだそうだ。「手をつなごう、笑顔でわかり合おう」で、自閉症を何とかしようとする支援組織がいまだ主流だと聞く。
・祖母からは「医者と弁護士だけはなってはいけない。人の醜い面ばかりを見て生きるようにできていない」と忠告されたこともあるくらいだ。
・ミラーニューロンの活性度合いと、社会の包容力によって、病名がつけられる範囲は変わる。
・「話、聞いてる?」「なぜ、やらないの?」「わかってる?」は、繰り返しても意味がない。繰り返さなくてはならない以上、相手が、何らかの共感障害であることは間違いないからだ。
・エネジー・バンパイアは、共感障害が増えたここ2年の間にはやり始めた言葉である。人はそれだけ、共感してもらうことに心の安寧を左右されるのだろう。
・女性脳は、共感してもらえないと自己肯定感が著しく下がる。「生きている価値がない」と脳が思い込むのだ。
・自然にできないのなら、演技してみればいい。人と同じレベルにならなくていい。ただ、少しでも努力をすること。周囲はきっと、その努力を買ってくれる。「不器用だけど頑張っている」と。
・やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かず。山本五十六の名言である。この名言には、続きがあるそうだ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
・今、共感障害の若者が増えている。「それ、言われてませんけど」は、ゆとり世代の口ぐせだと思われてるくらいだ。
・子供の共感障害を訴える母親に尋ねてみると、授乳中の携帯使用はもとより「哺乳瓶をベビーチェアに固定して、一人で飲ませた」というつわものまでいた。結果として、子供の共感障害を生んだ可能性が高いのは、やはり否めない。
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