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『ことばの歳時記』 [☆]

・魚の身がやわらかいと言って賞美する日本人は、病人や老人は別として、まずいないだろう。身がしまっていておいしい、という味覚は、日本人だけのものであろう。

・浮鯛という現象がある。来島海峡の浅瀬を走る潮はものすごいものだが、産卵のため外海から乗っこんできた鯛が、水圧の急激な変化からウキブクロを調節することができなくなって、その中のガスがにわかに膨張するものだから、腹がふくれたまま浮上る。これも瀬戸内海の奇観の一つで、漁師はそれをすくい取るのである。

・俳人たちはホオジロの囀の観察が欠けていて、いろんな小鳥類に一括して、秋に入れてしまって、平気でいた。自然と親しんでいるはずの人たちが、おそろしく自然に対して無知だったのである。

・過去千年にわたって日本の歌人たちは、サクラとモミジの歌ばかり、たくさん詠みつづけてきた。決まりきった詠みぶりで、ちっともかわりばえのしない駄歌の数々を、飽きもせずにうたいつづけた。

・ホトトギスの一声を待ち望むことは、むかしは風流とされたが、いまではいっそう希少価値になって、風流から物好きの域になってしまったようだ。

・戦後の大磯の漁師たちを描いた「方舟追放」という小説に、次のような一説がある。学者の説によると、この附近の漁獲高が近年全く落ちてしまったのは、沿岸一帯の海辺に変動があったためだという。潮流は変ってしまった。かつて海岸近くまで遊弋して来た魚の群れは、以前の潮流と共に遙かに沖合いを通っている。──けれどもこの土地の漁師たちは、学者の言葉など信じようとはしない。──魚というものは、海に映る山の緑を慕って来るものだ。もう、海に緑が映らなくなってしまっている。これでは魚が集まってくるはずはない! 濫伐の結果、禿山にされてしまったので不漁になったということが、科学的に根拠のあるものかどうか私は知らない。だが、父祖から言い伝えられて来た漁師たちの伝承も、そう考える外はない確信の強さを持っている。

・東北が開発されてから千二百年のあいだに、冷害の年は三百回ほどあり、平均して四年に一回の割で、冷害が発生していることになる。

・昭和三十一年の北海道の冷害の悲惨さは、まだ記憶にあろう。進歩的と言われたインテリたちが、遠いハンガリーの救援ばかり気を取られて、近い北海道の救済に冷淡だった態度が、批判されたりもした。

・歌人・俳人たちは、汽車の窓から見える風景を淡く撫でさすっただけで、美しい「みちのく」の歌や句を沢山作っている。荒廃した村々を歩いてみて、東北の農民たちの生活の暗さに触れるようなことは、まずないと言ってもよい。

・これらは、歳時記による机上の知識をもとにして作られたのであろう。

・底幽霊は、デッド・ウォーターという現象で、科学的に説明できることである。水中で密度のはなはだしく違う水層の、不連続的に重なったところへ舟が入りこむと、その境界面に、いちじるしい内波をおこす。内波の水分子の動きは、不連続線の上下であべこべで、波の峰と谷とにおいて最大であり、内波があれば、海表面の方も、ほんの少し、内波の山に応じて谷、谷に応じて山という起伏がおこる。表面の起伏が10センチぐらいでも、上層の密度が1.0245、下層の密度が1.0265であるとすれば、内波の振幅は51メートルもあるという計算になるらしい。このような水域に舟を入れると、両層の境界面に内波をおこして、舟の推進力の勢力をほとんど全部、この波をつくるために消耗するので、三ノットぐらいの小船では、まったく進むことができなくなるのである。

・バタ足で浮力がついているから、下半身がななめに水中に没することがない。

・日本流の泳ぎからクロールへ転向するとき、一番苦心したのは、足を伸ばしたまま、交互に軽く上下させるバタ足である。足で水を蹴った方が進むように思えたが、それはしろうと考えだった。頭を水中につけ、バタ足で浮力をつけ、水の抵抗を最低限に止めて、両手の強い回転に速度のほとんどすべてを託すのである。

・毎日不快の象徴として「真夏日」などと放送されていると、日本人の耳にこれが如何に嫌悪すべき言葉として定着してしまう。

・気象学者が、六、七、八月を夏とし、九、十、十一月を秋としていて、俳人たちとのあいだに、少し季節の区分のずれがある。

・俳句で、花と言えば春で、祭りと言えば夏で、月と言えば秋で、虫と言っても秋である。これは約束というもので、俳句の世界に遊ぶなら、いちおうこの約束を尊重しなければ、面白くもおかしくもない。ルールを無視してスポーツが成立たないのと同じである。

・東京でも各所の空き地で盆踊りをやるようになったのは、何時からだったろう。満州事変が始まって以後だったように思う。あのころから東京人が馬鹿騒ぎをするようになった。

・天然記念物でも、自然に網にはいってきたら、仕方ないから食べるのだと笑った。カモシカだって、猟師の弾に自然にあたったら仕方がない、というのと、同じ論である。東北のある県で、白鳥と知らないで打ったから、食ってしまったと言った猟友会の副会長がいた。

・鵙というのは小鳥ながら猛鳥で、よくカエルやトカゲをおそうが、桑の枝や枳殻垣などにそれを刺しておくことがある。

・例句が始めて出来、それで名実ともに季題として認められたことになる。



ことばの歳時記 (1980年)

ことばの歳時記 (1980年)

  • 作者: 山本 健吉
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 1980/01
  • メディア: -



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