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『絵本をよんでみる』 [☆☆]

・とりあえずおまえに関係なく、オレは海に行くんだけど、おまえ、いっしょにどう? っていう誘い方が「しゃれてるねえ」という感じ。

・うさこちゃんとふわふわさんの描き分け。何で描け分けているかといったら、ヒゲだけ。ヒゲの一本だけである。ぼくたちは、この一本だけでふわふわさんとうさこちゃんを識別している。ちょうど、「鳥」と「烏」を読み分けているようにね。

・「弱虫はいけない」ということになってしまうつまらなさがあるよね。それでみんな強虫になっていくのが是だ、というばかばかしい、それでいて案外危険な方向。

・その子は「できない」のではなく、「やらない」のだと思う。割り算をやらない子。跳び箱もそうだ。跳べる子・跳べない子ではなくて、「跳ぶ子」「跳ばない子」だと思うんだ。割り算する必要がない子、跳び箱跳ぶ必要がない子、ととらえるべきだろうと考えている。

・すべての子供に30÷5をわからせたい、跳び箱を跳べるようにしてやりたい、という「教育的熱意」というやつはいったい何なんだろう、と思うのね。それでいて「個性の尊重」もへちまもないよ。

・「自閉」っていったいなんだ、という話になった。先生いわく、「自衛です。自衛するために閉じるのです」 そして適は何かといえば、親であり教師であり、友達まで含めた環境であり、社会なんだ。

・ぼくたちが大事にしているのは、「栄養摂取」という実の部分よりむしろ、「いちごを食べる」という行為、つまり虚の部分ではないかと思うわけ。「食の楽しみ」のウエイトは虚の行為のほうにあるような気がするな。

・「いいみたい」って言われると、いいみたいに見えてくるのね。その人がいいって言ってるんだから、その人を信用するからいいんだよ。

・日本の児童文学のつまらなさは、表現する側があまりモラリストではないせいだ、という気がする。何かモラリスティックなことを描いても、いまひとつ迫力がないのは、彼らが芯のところでは不真面目だからではないか。「仲良くしよう」とか「努力しよう」とか、ひじょうに浅いところで流れていってしまう、ほんとうの意味でのモラルや正義感、社会観のようなものがひじょうに稀薄な気がするな。

・人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。

・エネルギーのない人間が、「それはいけない、これはいけない、こうすべきだ、ああすべきだ」と椅子に腰かけたままワイワイ言っている社会の不幸。

・「買う側より売る側のほうが品物が多い」というのが、なにしろ流通の原則でしょ。その原則が崩れていたら、子供用もへちまもないんだ。

・ある一部分を見たいがゆえに全体が存在する、という絵本が確実にある。まさに「一頁の力」なんだ。

・「ごっこ」をしていくところでの「ごっこ共同体」、「ごっこ」をすることで成り立つコミュニケーション。

・あまり起伏のない生活の中で、幸せな「ふり」をしたり、とかね、そういう「ふり」が、生きるための代表的なテクニックになっちゃってるような時代なんじゃないだろうか、現代というのは。

・ロビンソン・クルーソーもそう。あれも孤独の典型のような話だけれども、読者がいればこそのふんばり、読者のために明日もがんばろう、というのが活字にあらわれない彼の意志だと思う。読者のためにがんばるという意志がないかぎり、ああやって生きながらえようとする努力は続かないにちがいない。

・娘がファミコンをやってるのを見てると、一度最後までクリアしちゃったソフトをたまに取り出してきて、やっている。どうしてまたやるのかな、と思ってたら、ときどきやってあげなくちゃ弱くなっちゃってかわいそうだから、と言うんだよね。娘にとっては、あのゲームソフトの中には自分の愛すべき主人公がずっと住んでるんだから、たまには会ってあげなくちゃ、という感覚があるんだな。

・絵本は、はじめから文と絵のどちらが欠けても成り立たない世界なんだ。

・あぶないことを しないのは、いくじなしだ と おもっている子は、あたまが からっぽ。

・現代に生きる文明人としては、まぬけなことをしないように、もうちょっと緊張して暮らさないとケガしますぜ。

・イメージとニーズとテクノロジーという三つのベクトルを設定してみる。そうすると、蒸気機関車というのは、その三者がひじょうな高みで合体したものなんじゃないだろうか。で、それ以降のものはニーズだけが先行してしまったり、テクノロジーだけが先走ってしまったり、というように三位一体にならないばらつきが感じられる、という気がするな。

・動物通の人に言わせると、ライオンと熊が戦ったら、熊に軍配があがる可能性が高いらしい。

・勉強しないとあなたは不幸になる…なんていう迫り方、霊感商法と同じさ。

・この国の人は、一般論が好きだね。それでいてやはり一般論ゆえの、つまり持論は棚上げしたゆえの、自信のなさみたいなものが満ちている。みんな不安げだよね。

・「専門家」というやつを一応疑ってみる習慣をつけておいたほうがいい。なにしろ専門というぐらいだから、明らかに偏ってるわけだ。

・近頃は、スタートが悪くて足も遅い野手の「ファインプレー」が多すぎるなあ。

・わかっていることしかわからないような読書なら、そもそも読む必要はない。時間の浪費である。

・抽象的なものがわからない、という人は、たぶん体が鈍いんだろうね。体が据えるものって、言ってみれば抽象的なものだものな。

・ポルシェは偉いよ。気楽に乗り込むと、「気を引きしめて、しっかり運転しなさい」と、ドイツ語で言うんだ。ほんとだよ。

・体重別にしましょうなんて、誰も言い出さないところが大相撲の意固地なところだね。意固地じゃなくて、誰も考えつかないのかな。

・「自由」には権利意識をスプリングボードにしている感じがしばしば匂う。「自在」はあらゆるスプリングボードから「自由」にみえる。

・21世紀だよね。つまり世紀の単位で考えれば今二十歳で、やっと大人というわけよね。今までのことは若気の至り、無分別の冗談、喧嘩もしました嘘もつきました。悪戯もしました、人に迷惑もかけました。さてこれからは心を入れかえ、己の未熟さを自覚して、責任ある暮らしをしてまいりたいと思います。どうぞよろしくなんて時期なのかな。



絵本をよんでみる (平凡社ライブラリー)

絵本をよんでみる (平凡社ライブラリー)

  • 作者: 五味 太郎
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1999/08
  • メディア: 単行本



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