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『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 「個と公」論』 [☆☆]

・『なんとなく、クリスタル』は×。この人もバブルの人だから不況に弱いよね。たちまち市民運動やり始め「いい人」になって延命図っているもんね。

・自分らの「私」的な特殊性を普遍化して「憂国」するなって。

・左翼が書いて左翼が読んで、内輪だけでぐるぐるぐるぐる回ってるって状態でしょ。

・相変わらずの「化石の言葉」を一所懸命投げつけているだけ。

・平凡でいいんだって言われて、平凡にしようとどんなに押さえつけておいても、それでもやむにやまれず突出してしまうのが本当の個性だよ。

・戦後民主主義・平和主義の文脈の中での「よいこ」であり続けてきたんでしょうねえ……。

・「これだけ読まれた」という事実の重みは消せませんからね。それを否定するためには、作者か読者を誹謗中傷して「信用できない者」に仕立て上げるしか方法がない。

・野坂は終戦時十四歳でしょ? 野坂は「戦時下」を知っているだけで「戦場」も知らない。語れるのは「戦時下の悲惨」だけで、「戦争」は語れない。

・どうで今後の世の中は戦争を知らない人間ばかりになって、知らない人間が戦争について話さなければならなくなるんだから、そんな時代を前にして「戦争を知らない」なんて言ったって仕方がない。

・死者の気持ちを生きている人間が勝手に忖度するのは傲慢すぎる。

・実際に戦争中というのは目的が一つにハッキリしているから、迷いもないし、吹っ切れるから生き生きするし、かえって明るくなっちゃう。

・その時代にキミたちが生きてたとしても、指導者の立場にも立てない程度の人間だから言える話しだろう。

・「どいつが悪かったんだーっ!」て、一生懸命日本の国民の内輪の中だけ見回して「悪」を探すんだよ。その姿を、外側から戦争を仕掛けた白人から見たら「よしよし」ってほくそ笑んでるはずだよ。

・直接読んだことはなくても、立派な意見というのはずっと回り回って個人に到達していることってのはあるからね。だからそういう言葉を吐いていくという行為自体が、言語による公共の押し広げだからね。

・結局「プライベート」にふけっていくと、やっぱりみんな「個人」ではなく「私人」になってしまったわけよ。

・一つの丸テーブルを囲んで何人かの人物がいる。このテーブルがお互いをべったりくっつけもせず、どこかで距離を取り合い、それぞれを関係立たせている「場」のようなものを作って、そこで初めて「私」と「私」の会話が成り立つ。つまり「公」とは「私」と「私」の間を成り立たせる、このテーブルのようなものだと言っている。

・「近代化」「西洋化」ってやつのバカバカしさを相対化して見るっていう感覚は、わしらはもうすでに習ったわけよ、赤塚不二夫の『おそ松くん』で。「ミーはおフランス帰りざんすよ!」

・彼らの歴史の感覚ってのは真実をあぶり出すためのものではないからね。政治的な発言で、「とにかく大虐殺があってほしい」という願いを込めているから。

・現在の「自虐史観」のほとんどは、朝日新聞と本多勝一氏が中国の反日プロパガンダを直輸入したところから始まったと言えるのです。

・オレたちはこうして自国を責めている。美しい心の持ち主だ。そう考えるのが朝日および本多なんでしょう? 中国によい子、よい子されてりゃ本望なんだろう。

・戦争なんだから残酷なのは当たり前で、それを現在の平和主義と人権感覚のヌクヌクとした感覚の中で責めたって仕方がないよ。そもそも何を「残酷」と感じるかは、その時代と状況によってまったく違ってくるものだからね。

・結局何を残酷と感じるのかと言ったら、殺す相手との距離感の問題でしかないのかもしれない。

・「新書」というジャンルは今では「雑誌」と変わらなくて、ものすごい玉石混交状態になっている。

・「ちくま新書」は1994年創刊で、老舗の岩波新書や中公新書のような権威もない上に、後から文春新書とか集英社新書とか、大手が参入してきて挟み撃ちに遭っている状態ですからね。まともな書き手も確保できなくなっている。

・人口爆発なんかが起きて、人が増えすぎたために生きていけないなんていう地域でも、「生そのものに意味がある」なんて言えるのかね?

・どうせ法の範囲の中での信念しかないはずだからね、宮崎には。違法を覚悟してまではやれないでしょう。実行できないことを信念にしてるよ。

・「生きてさえすれば喜びがある」なんて言っても、生きて喜びを感じられるのは、ある程度豊かな「文化」があってこそであり、文化の消失した飢餓や戦乱の中では、「生きているだけ」で喜びがあるなんて言えるのか?

・医学的に言えば餓死寸前まで栄養を摂取しなかったら、脳が萎縮して何も感じなくなるんだよ。

・大変なことになるかもしれないっていう状況の中に人間置かれたら、まるっきし無力すぎて、自分がやってあげられることがなさすぎて、祈るしかない。

・薬害エイズの時だって批判の矛先は厚生省だけに向かってしまって、アメリカの製薬会社を全然批判しなかった。日本人はどうしても自国の中だけに敵がいると考えて、厚生省の断罪だけで終わってしまった。

・「私」抜きで語れるなら、そもそも名前を名乗って発言する必要もないじゃない。「福田和也と宮崎哲弥の対談」ではなくて「AとBの対談」でいいってことになるんだから。でも、読者だって名前を気にする。それは、意見だけが人格から独立してあるわけじゃなくて、それを誰が言ったのかが必ず対になるからであって、そこには必ず「私」が入り込むんだよ。

・てっきり「原爆を二発も落としやがって、アメリカめ──」と言うのかと思ったじゃないか。要するに「原爆を二発も落とされやがって、大本営め──」と言えちゅうわけか、戦争を始める時は歓喜してた国民が……。

・「国際法」ってのは、西洋人の戦争好きの中から、全滅を避ける最低の基準だけは作っとこうとして作られたものなんだから、結局はてめーの都合のいいようにしか使ってないんだよ。

・「核を廃絶しろ」というのは、核よりもっと強力な武器を持って言うしかないからね、「力の論理」で。



「個と公」論―新ゴーマニズム宣言SPECIAL

「個と公」論―新ゴーマニズム宣言SPECIAL

  • 作者: 小林 よしのり
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2000/04
  • メディア: 単行本



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