『そのひとクチがブタのもと』 [☆☆]
・ダイエット(diet)とはまさに「死」(die)の最後にtを付けただけである。
・Lサイズのポップコーンをもらった人のほうがMサイズの人よりも平均して53パーセント多く食べた。たくさんもらえばたくさん食べるのである。
・皿の大きさに「だまされた」人びとのほぼ全員が、「わたしは影響を受けなかった」と答えている。他人が「だまされる」ことはありうると認めるかもしれないが、自分にはありえないと思いこんでいる。だからこそ、無意識に食べることには非常に大きな影響力が潜んでいる。実際に起きていることにわたしたちが気づかないのだから。
・わたしたちはひとり残らず環境にだまされる。たとえ頭でわかっていても、ほとんどいつも他のことでいっぱいで、わかっていることをいちいち思いだしたり、それに基づいて行動したりはできない。だからこそ、頭を変えるより周囲の環境を変える方が簡単なのである。
・どれくらい体重が減るとこの節約スイッチが入るのだろう? 週に250グラム程度の減量なら代謝の低下を促すことはないようだ。
・一日の食事を100キロカロリー減らすだけでアメリカ人の大半が体重増加を防げるという。
・たいていのアメリカ人は満腹になったところで食べるのをやめるが、アメリカ人より細身の文化圏の人びとは空腹が収まったところで食事をやめる。
・スーパーボウルのコマーシャルが流れるたびに、彼らは何百万ドルもの資金ときらびやかな才能が詰まった広告を無礼にも無視して、お代わりを取に行った。
・常に体重を量っていれば別だが、そうでなければ、食べ過ぎていたこと(そして、太ったこと)に気づきはじめるのは、服が妙にきつくなってきたときだ。
・平均服役期間が半年のこの刑務所では、不思議なことに受刑者たちが「滞在中」に9キロから11キロも太っていたのだ。彼らが挙げた理由は、半年間、刑務所内で着用を義務づけられただぶだぶのオレンジ色のジャンプスーツだった。この受刑服はあまりにもゆったりしていて、少しずつ──1週間に450グラム──贅肉が増えていても釈放まで気づかず、いざ私服に着替えようとしたら自分の服が入らなくなっていたというわけだ。
・ボリュームがカロリーに勝っているのだ。わたしたちは欲しいボリュームを食べるのであって、欲しいカロリーを食べるのではない。
・食べ物に加えられる最も安上がりなふたつの材料は水と空気だ、と食品業界ではよく言われている。
・わたしたちの大半は、実は食べ物を口に入れる前に食べる量を決めている。どれくらい食べたいかと目で見て考え、それを皿に取り、そして、なくなるまで食べる。
・パリの人びとは、空腹を感じなくなったところでいつも食事をやめると答えた。だが、シカゴの人びとは違った。飲み物がなくなったとき、皿が空になったとき、見ているテレビ番組が終わったときに食事をやめるのだ。
・体重のある人ほど食事のやめどきを外側の合図に頼り、満腹感という内側の合図に頼る人は少なかった。
・前もって料理を皿に盛っておくほうが、量を少なめにして二度、三度とお代わりするより約14パーセント、食べる量が減る。
・わたしたちの脳は対象物の幅よりも高さに過剰な焦点を当てるという基本的な傾向がある。
・細長いグラスを渡された参加者は約160cc注いだ。だが、低い幅広のグラスを渡された参加者は違っていた。彼らは平均285cc注いでいた。しかも、驚いたことに、彼らは約200ccしか注いでいないと推測した。
・誰かが大盛りのランチをガツガツと平らげたあと、ある子供がいつもこう言ったのだ。「おまえ、「シー・フード」ダイエットをやってるんだな。だって、目に入るものはなんでも食べるんだから」と。
・わたしたちが目に見える「シー・フード」を多く食べるのは、その食べ物についてよけいに考えるからだ。それを見るたびに、食欲をそそるおいしい食べ物に対して「ノー」と言わねばならない。いずれはこれらの「ノー」のうち、いくつかが「イエス」に変わる。
・目に入らなければ頭にも入らない。目に入れば頭に残る。
・食べるために苦労すればするほど食べる量が減る。もしケージの中のマウスが小さなレバーを十回押せば餌にありつけるとすると、彼らは頻繁に食べる。しかし、レバーを百回押さないと餌が出てこないのであれば、食べる量が減る。それはわたしたち人間でも同じである。
・大型ディスカウントショップは食料品に関しては本当に得なのか? レジではたしかに割安になるが、結局、買い過ぎたり捨てるはめになるのであれば、節約したはずのお金をほとんど無駄にしたことになる。
・空腹かどうかの判断を時計に頼る傾向は、太り過ぎの人びとにはとりわけ顕著であるようだ。
・料理はまったく同じものなのだ。唯一の違いは名前にひとことふたこと、魅力的な言葉を付け加えただけである。この一語か二語が売り上げや味わい、店に対する印象まで変えたのだ。高級レストランほどこのメニューマジックをよく見かけるところはない。
・彼らが気づいたのは、「内臓肉」という呼び名では肉屋のカウンターに客は殺到しないということだった。この名前が刺激するのは食欲ではなく想像力だった──それも、悪い方向に。
・昼食と夕食には、皿の半分を野菜と果物に、残る半分をタンパク質とでんぷん質にする。基本となるこの「皿半分ルール」を覚えておけば、スパゲッティとミートボールがバランスの取れた食事と考えるようなことはないだろう(サラダを添えること)。
・典型的な客とは「ポケットに2ドルあり、その金額でできるだけおいしくたくさん食べられるものを探している」という。ファストフードに最も批判的な人びとは「ポケットに2ドル」の市場区分には属していないのだ。
・食品交換とは、「もしXをしたらYを食べていい」というものである。たとえば、エクササイズをしたらデザートを食べていい。午前中、お菓子を食べなかったらポテトチップを食べていい。
・古い習慣を捨ててよい習慣に切り替えるには約28日間、つまり、1か月かかると、行動修正の専門家は言う。
・自分には自己規制の能力があると誰もが考えたがるものだが、毎夜、事実と向き合い、小さなチェック欄に印を付けていく作業に勝るものはない。わたしたちの記憶力は自分に都合のいいものしか残さない。
・テーブルにたくさんの料理を並べるのは避ける。種類が豊富であればあるほど人はたくさん食べる。
・わたしたちが間食するのは空腹だからではなく、それがシナリオの一部だから(「テレビをつけたら何か食べるものを探しましょう」)ということを、頭に刻みこまねばならない。
・お腹が空いたと思っても、実は喉が渇いているだけということがけっこうある。
・Lサイズのポップコーンをもらった人のほうがMサイズの人よりも平均して53パーセント多く食べた。たくさんもらえばたくさん食べるのである。
・皿の大きさに「だまされた」人びとのほぼ全員が、「わたしは影響を受けなかった」と答えている。他人が「だまされる」ことはありうると認めるかもしれないが、自分にはありえないと思いこんでいる。だからこそ、無意識に食べることには非常に大きな影響力が潜んでいる。実際に起きていることにわたしたちが気づかないのだから。
・わたしたちはひとり残らず環境にだまされる。たとえ頭でわかっていても、ほとんどいつも他のことでいっぱいで、わかっていることをいちいち思いだしたり、それに基づいて行動したりはできない。だからこそ、頭を変えるより周囲の環境を変える方が簡単なのである。
・どれくらい体重が減るとこの節約スイッチが入るのだろう? 週に250グラム程度の減量なら代謝の低下を促すことはないようだ。
・一日の食事を100キロカロリー減らすだけでアメリカ人の大半が体重増加を防げるという。
・たいていのアメリカ人は満腹になったところで食べるのをやめるが、アメリカ人より細身の文化圏の人びとは空腹が収まったところで食事をやめる。
・スーパーボウルのコマーシャルが流れるたびに、彼らは何百万ドルもの資金ときらびやかな才能が詰まった広告を無礼にも無視して、お代わりを取に行った。
・常に体重を量っていれば別だが、そうでなければ、食べ過ぎていたこと(そして、太ったこと)に気づきはじめるのは、服が妙にきつくなってきたときだ。
・平均服役期間が半年のこの刑務所では、不思議なことに受刑者たちが「滞在中」に9キロから11キロも太っていたのだ。彼らが挙げた理由は、半年間、刑務所内で着用を義務づけられただぶだぶのオレンジ色のジャンプスーツだった。この受刑服はあまりにもゆったりしていて、少しずつ──1週間に450グラム──贅肉が増えていても釈放まで気づかず、いざ私服に着替えようとしたら自分の服が入らなくなっていたというわけだ。
・ボリュームがカロリーに勝っているのだ。わたしたちは欲しいボリュームを食べるのであって、欲しいカロリーを食べるのではない。
・食べ物に加えられる最も安上がりなふたつの材料は水と空気だ、と食品業界ではよく言われている。
・わたしたちの大半は、実は食べ物を口に入れる前に食べる量を決めている。どれくらい食べたいかと目で見て考え、それを皿に取り、そして、なくなるまで食べる。
・パリの人びとは、空腹を感じなくなったところでいつも食事をやめると答えた。だが、シカゴの人びとは違った。飲み物がなくなったとき、皿が空になったとき、見ているテレビ番組が終わったときに食事をやめるのだ。
・体重のある人ほど食事のやめどきを外側の合図に頼り、満腹感という内側の合図に頼る人は少なかった。
・前もって料理を皿に盛っておくほうが、量を少なめにして二度、三度とお代わりするより約14パーセント、食べる量が減る。
・わたしたちの脳は対象物の幅よりも高さに過剰な焦点を当てるという基本的な傾向がある。
・細長いグラスを渡された参加者は約160cc注いだ。だが、低い幅広のグラスを渡された参加者は違っていた。彼らは平均285cc注いでいた。しかも、驚いたことに、彼らは約200ccしか注いでいないと推測した。
・誰かが大盛りのランチをガツガツと平らげたあと、ある子供がいつもこう言ったのだ。「おまえ、「シー・フード」ダイエットをやってるんだな。だって、目に入るものはなんでも食べるんだから」と。
・わたしたちが目に見える「シー・フード」を多く食べるのは、その食べ物についてよけいに考えるからだ。それを見るたびに、食欲をそそるおいしい食べ物に対して「ノー」と言わねばならない。いずれはこれらの「ノー」のうち、いくつかが「イエス」に変わる。
・目に入らなければ頭にも入らない。目に入れば頭に残る。
・食べるために苦労すればするほど食べる量が減る。もしケージの中のマウスが小さなレバーを十回押せば餌にありつけるとすると、彼らは頻繁に食べる。しかし、レバーを百回押さないと餌が出てこないのであれば、食べる量が減る。それはわたしたち人間でも同じである。
・大型ディスカウントショップは食料品に関しては本当に得なのか? レジではたしかに割安になるが、結局、買い過ぎたり捨てるはめになるのであれば、節約したはずのお金をほとんど無駄にしたことになる。
・空腹かどうかの判断を時計に頼る傾向は、太り過ぎの人びとにはとりわけ顕著であるようだ。
・料理はまったく同じものなのだ。唯一の違いは名前にひとことふたこと、魅力的な言葉を付け加えただけである。この一語か二語が売り上げや味わい、店に対する印象まで変えたのだ。高級レストランほどこのメニューマジックをよく見かけるところはない。
・彼らが気づいたのは、「内臓肉」という呼び名では肉屋のカウンターに客は殺到しないということだった。この名前が刺激するのは食欲ではなく想像力だった──それも、悪い方向に。
・昼食と夕食には、皿の半分を野菜と果物に、残る半分をタンパク質とでんぷん質にする。基本となるこの「皿半分ルール」を覚えておけば、スパゲッティとミートボールがバランスの取れた食事と考えるようなことはないだろう(サラダを添えること)。
・典型的な客とは「ポケットに2ドルあり、その金額でできるだけおいしくたくさん食べられるものを探している」という。ファストフードに最も批判的な人びとは「ポケットに2ドル」の市場区分には属していないのだ。
・食品交換とは、「もしXをしたらYを食べていい」というものである。たとえば、エクササイズをしたらデザートを食べていい。午前中、お菓子を食べなかったらポテトチップを食べていい。
・古い習慣を捨ててよい習慣に切り替えるには約28日間、つまり、1か月かかると、行動修正の専門家は言う。
・自分には自己規制の能力があると誰もが考えたがるものだが、毎夜、事実と向き合い、小さなチェック欄に印を付けていく作業に勝るものはない。わたしたちの記憶力は自分に都合のいいものしか残さない。
・テーブルにたくさんの料理を並べるのは避ける。種類が豊富であればあるほど人はたくさん食べる。
・わたしたちが間食するのは空腹だからではなく、それがシナリオの一部だから(「テレビをつけたら何か食べるものを探しましょう」)ということを、頭に刻みこまねばならない。
・お腹が空いたと思っても、実は喉が渇いているだけということがけっこうある。
タグ:ブライアン・ワンシンク
2011-06-24 12:28
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