SSブログ

『コンヴィヴィアリティのための道具』 [☆☆]

・全社会成員がますます医師に依存するようになった。健康維持は美徳から一転して、科学の祭壇で専門的にとりおこなわれる儀式に変わった。

・富める国々では、医療は中年の者を、よぼよぼになって、より多くの医師とますます複雑化する医療手段を必要とするまで支えるという仕事を始めた。

・貧しい国々では、現代医学のおかげで、子供の大部分が青年期まで生きのび、より多くの婦女子が出産を無事にすますようになった。人口は、彼らの住む環境の受容力と、彼らを養って行くための文化の抑制と効率性とをこえて増加した。

・西欧の医師は原住民がそれと共生して行くことを学んでいた疾病に薬を濫用した。

・成長熱にうかされた社会では、まさにより多くのものを投入することが価値あることのように見えるのである。爆弾をもっと、警察をもっと、医学検査をもっと、教師をもっとというだけではなく、情報をもっと、研究をもっとという絶望的な懇願の超えがあげられる。

・人々は自分のかわりに働いてくれる道具ではなく、自分とともに働いてくれる新しい道具を必要としている。

・教育は、科学という魔術によってつくりだされた環境に適応する新しいタイプの人間を生みだす錬金術的過程の探究となった。

・どんなに多くの金額を学校に費やそうとも、大多数の人々はより高い段階の啓発にはふむきだと認定され、人工的環境で恵まれた生活をすごす準備ができていないものとして見捨てられねばならない。

・学習を学校化と再定義したことは、単に学校を必要と思わせただけではない。それはまた、学校教育を受けていないものの貧しさを、教養のないものへの差別と結びつけたのである。

・ジェット機という機械がパイロットを必要とするのは、それより優秀なコンピュータがないためである。あるいは、航空機に対する労働組合の社会的管理がその存在を強制しているから、パイロットはコックピットのなかにいるのだ。

・支配者が支配できるエネルギーは、彼らの臣民たちが自発的にかあるいはいやいやながら容認した行為の総計であった。

・人間は1日に2500キロカロリーを燃焼させることができ、その5分の4はたんに生き続けるためのものである。

・時間はお金のようなものになった。──昼飯までに二、三時間ある(can have)、どうやって時間をつぶそう(spend)か……時間が足りない(short of)ので、委員会にそんな時間をかける(afford to spend)わけにはいかない、時間をかけるねうち(worth)はないんだ……そんなことしたって時間のむだ(waste)だよ、それよりは一時間節約(save)したほうがいいね……といったふうに。

・人間はいまやほとんど機械に置き換えられ、機械の操作要員にまでおとしめられた。

・奴隷労働は不経済になものになったのである。

・いまでは治療可能な病気はたいてい、素人で診断がつくし処置もできる。人々がこうした主張を受けいれがたいのは、医療の複雑な儀式が医療の基本的な手段は簡単であるということを、人々に見えないようにしているからである。

・モーターが装着できる適切な手押し車や自転車がもっとあれば、人口の99パーセントにとって、ご自慢の種の高速道路の開発などよりずっと有効な技術的解決策となっていたであろう。

・資本主義国では、どれくらい頻繁に長距離の移動ができるかということは、支払能力によって決定される。人が旅行するさいの特定の速度が、その人の属する階級と仲間を決めるのである。速度は効率志向型の社会を階層化する手段のひとつなのだ。

・学校はどこにおいても、学習理論とカリキュラム編成に関する同じ本を読んでいる教育学者によって支配されている。

・人々はよりよい教育、よりよい健康、よりよい輸送、よりよい娯楽、そしてよりよい栄養さえも手にいれる。ただしそれは、専門家が設定した目標を「よりよい」ということの尺度と思いこむ場合にかぎっての話だ。

・環境危機という問題も、生産の総産出が減少しないかぎり汚染防止対策は効果を発揮しないことを指摘するのでなければ、上っ面だけのものになってしまう。そうするのでなければ、そういった対策は廃棄物を見えないところに移したり、未来に押しやったり、貧しい人々に押しつけたりということになりがちなのである。

・石炭から原子力への転換は、今日のスモッグを、明日の高レベルの放射能で置き換えることである。

・人々は自分が教えこまれたことは知っているが、自分のすることからはほとんど何も学ばない。人々は自分たちには「教育」が必要だと感じるようになる。なにかものを学ぶということは、こうして商品となる。

・教育は人々を職に対して等級づけるためだけではなく、人々を消費の資格をもつように高く等級づけするために必要なものとなる。

・生き残れるかどうかは、人々が自分たちには何が「できない」のかということを速やかに「学ぶ」ことにかかっている。人々は、無制限に繁殖したり消費したり使用したりするのを慎むことを「学ば」ねばならない。

・彼らは自分の個人的成長を制度の産出物の蓄積のようにみなしており、自分でできることより、制度が作ってくれるもののほうを好む。

・富めるものは、貧しい国々を収奪して彼らが豊かになると、その結果、すべてのもののために超産業主義的な豊かさが生みだされるかのようなふりをする。貧しい国々のエリートたちはこの夢物語を彼らと共有しているのだ。

・道具が大きなものになるにつれて、操作する能力をもつものの数は減少する。クレーンを操作できるものは手押し一輪者を動かせるものよりつねに少ない。

・もし新しいものが、新しいものはよりよいものだという理由で作られるのならば、たいていの人々が用いる品物は、あまりよいものではないということになる。新型製品はたえず貧しさをよみがえらせる。

・自分が発言権をもたない過程に屈従させられるとき、自分の権利を主張する人間的権利は消滅する。

・知識の制度化はより一般的で退廃的な妄想をもたらす。それは人々を、自分たちの代わりに知識を生産してもらうことに頼るようにしむける。それは結局は道徳的・政治的想像力を麻痺させてしまうのである。

・世界はいかなる情報も含んでいない。それはあるがままの姿でそこにある。世界についての情報は、有機体の世界との相互交渉を通じて、有機体のなかにつくりだされるものだ。

・人々はまず自分の判断に頼ることをやめ、ついで自分たちの知っていることが真実かどうか教えてもらいたがる。

・自分で得た証拠にもとづいて自分の権利について決定をくだすやりかたを学んでいない人々は、超科学技術機構によって操られる世界ゲームの歩駒になってしまう。

・義務制の学校はゼロサムゲームの一例と解釈できるだろう。つまり存在するのは勝者と敗者だけなのである。



コンヴィヴィアリティのための道具

コンヴィヴィアリティのための道具

  • 作者: イヴァン イリイチ
  • 出版社/メーカー: 日本エディタースクール出版部
  • 発売日: 1989/03
  • メディア: 単行本



nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

トラックバック 0